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博物館浴(東京国立博物館 特別展「顔真卿 王羲之を超えた名筆」)

2019-02-20 20:58:31 | 博物館・美術館
 東京国立博物館では、2月24日まで「顔真卿 王羲之を超えた名筆」が開催されている。






 顔真卿は、唐時代の官吏であり書家である。東晋時代に活躍した王羲之、楷書を完成させた初唐時代の三大家・虞世南、欧陽詢、褚遂良。顔真卿は三大家のの伝統を継承しながら顔法と称される特異な筆法を創出。王羲之や初唐の三大家とは異なる美意識のもとにつちかわれた顔真卿の書は、後世にきわめて大きな影響を与えた。

 中国の漢字は、読みやすさ・書きやすさ・美しさ等の要素を満たしながら形成され、社会の発展とともに変化した。そのため公式の書体は、篆書から隷書へ、隷書から楷書へと進化した。伝統に束縛されず、自らの情感を率直に発露する機運が高まり、顔真卿はこのような意識の変化を、書の表現に反映させた。

 圧巻は、日本初公開の「祭姪文稿(さいてつぶんこう)」。755年に安禄山と史思明らによる安史の乱が勃発すると、玄宗皇帝は成都(四川省)に亡命し、唐の都長安は安禄山らに占領された。内乱は8年の長きに及び、 763年にようやく収束。顔真卿は義兵をあげて乱の平定に大きく貢献したが、従兄の顔杲卿とその末子の顔季明は乱の犠牲となってしまった。「祭姪文稿」とは、顔真卿が亡き顔季明を供養した文章の草稿で、悲痛と義憤に満ちた情感が紙面にあふれている。最初は平静に書かれていますが、感情が昂ぶるにつれ筆は縦横に走り、思いの揺れを示す生々しい推敲の跡が随所に見られる。






 唐時代の書を通して王羲之の処方を学んだ日本の三筆(空海、嵯峨天皇、橘逸勢)と三跡(空海、嵯峨天皇、橘逸勢)の作品も展示されている。


 さらに、東洋館では、「王羲之書法の残影―唐時代への道程―」が開催されている。







 王羲之が活躍した東晋時代と、顔真卿が活躍した唐時代は書法が最高潮に到達した時代。ここでは、両者の架け橋となる南北朝時代と隋時代の書に注目。


 基本的には、拓本による展示が多い。中には、礎石そのものが風化したり噴出したりしているものもあるという。そして、意外に日本の博物館や美術館に収蔵されている作品が多いことに気付いた。
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