Sengoku1985

何故、私は鉄道を撮り続けるのか?

The Sleepers#78

2016-03-31 | 鉄道写真


 それでは、連載第78夜は、平成20年初冬の尾久車両センターのイベントをお届けします。


 この年は、新貴賓車編成、皇族のお召しにも使用される新型電車、E655系のデビューの年で、多くのファンがこのイベントで展示されたこの車両を撮り、私も撮りました。しかしあれは昼行用の編成で、夜行ではないので、残念ながら載せません。


 このテーマでの最初は、カヤ27-501です(写真)。「カシオペア」E26系の電源車カハフE26-1の予備車、カニ24 100番代を改造し誕生しました。使われなければ良い車両ではあります。



 続いては、「夢空間」オシ25-901です(写真)。豪華食堂車、「カシオペア」登場でほぼその役目を終え、今後の去就が注目されました。



 左「星ガマ」EF81 86「田」、ヘッドマークは「エルム」、右「レインボー」塗色のEF65 1118「田」、ヘッドマークは「銀河」です(写真)。



 EF81の反対側は「ゆうづる」でした(写真)。「星ガマ」はともかく、確かにあった運用です。



 DD51 842、ヘッドマークは「あけぼの」です(写真)。このような運用の列車もあったのか。



 EF60 19は、「彗星」のヘッドマークを装備しています(写真)。ブルトレ用に500番代もありましたが、高速性能の問題から早期に貨物用となりました。



 DD51 842の反対側は、「はくつる」です(写真)。昭和43年以前、盛岡以遠で実際にあった運用です。



 最後は、マヤ34 2004、「高速軌道試験車」です(写真)。E491系、及びキヤ193系の登場で、運用は無くなり、当時既にこのような状態になって尾久の側線に留置されました。


 他昼行用の車両も多く、架線柱も架線も無い同所のメリットを生かし、最大限撮影しました。まだ、良い時代でした。


 それでは、次回をお楽しみに。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

The Sleepers#77

2016-03-30 | 鉄道写真


 それでは、連載第77夜は、平成20年晩秋の名古屋駅からお届けします。


 漠然とした不安から、名古屋を通る最後のブルートレインとなった「富士・はやぶさ」に、カメラを向けるようになりました。これが、後々役立つとは思っていませんでしたが。


 この日の牽引機は、EF66 45「関」でした(写真)。背景は「JRタワーズ」下層階です。



 当てもなく待っていると、その後に、キヤ97の編成がやって来ます(写真)。海ミオ(美濃太田車両所)R101編成、200メートルロングレール輸送用の、先頭車キヤ97 200番代、中間車はキヤ96及びキサヤ96の13連です。JR東海の、機関車全廃計画の一翼を担う重要車両です。



 反対側(写真)。運転台前の装置は、ロングレールが(重くて)側方に下ろせないため、前後にスライドして下ろすためのスロープと思われます。0番代と100番代のペアには無い装備です。


 この時既に「銀河」は無く、この興奮で「ムーンライトながら」を撮り損ねたようです。今思えば、不注意でした。


 昨年はほとんど投稿が無く、今年になってから集中連載を行い、今回で投稿300回となりました。ご愛読、ありがとうございます。


 それでは、次回をお楽しみに。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

The Sleepers#76

2016-03-29 | 鉄道写真


 それでは、連載第76夜は、平成20年秋の、JR貨物広島車両所のイベントをお届けします。


 前日の鹿児島総合車両所のイベントを終え博多に戻り、この日の朝は起きるなりJR西日本博多総合車両所(新幹線)イベントに行き、午前も早めに切り上げ、博多南線、「のぞみ」を乗り継ぎ、広島から芸備線矢賀へ。何とか、間に合いました。


 昼過ぎの会場は、撮影会になっています。最初は、左EF65 1038「つるぎ」、右EF65 1129「さくら」です(写真)。切り抜きナンバーの1038は、関東圏で活躍する初期形PFとして知られていましたが、遂に同年引退、大宮では無く広島で余生を過ごしていました。「さくら」は、白地にピンクの花のパターンです。



 そう、注目は「茶ガマ」EF65 57です(写真)。一般形65、塗色が旧式機風ですが、本来の塗色ではありません。しかし、今の若者には65は十分に「旧式機」です。



 塗色試験に使われたのでしょう、EF81 5「北斗星」です(写真)。既に車籍はありません。



 最後は、EF66 1「あさかぜ」です(写真)。実機では実現しなかった組み合わせ、JR化後に下関の66で実現しました。



 EF510の母体となった悲運の試験機、EF500-901も展示されました(写真)。三菱電機と川崎重工の合作、平成2年製で、EF200同様に6000kwの出力を誇りましたが、スペックが大きすぎるのに加え、誘導障害にも悩まされ、量産されませんでした。現在は解体されたはずで、もう二度と撮り直しがきかず、残念です。


 福岡と広島、昔だったら絶対に不可能な掛け持ちですが、今は「のぞみ」があり、可能です。その意味でも、新幹線は凄い存在です。


 それでは、次回をお楽しみに。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

The Sleepers#75

2016-03-28 | 鉄道写真


 それでは、連載第75夜は、平成20年秋の、九州行きの記録です。


 かつては国鉄の看板列車であった九州特急も、この頃には少しでも風が吹けば運休となり、これはいよいよヤバいと、乗車を心がけるようになりました。


 旅立ちは、EF66 53「関」牽引「富士・はやぶさ」です(写真)。この日は定時にやって来ました。



 関門間は、EF81 411「大」に牽引されます(写真、門司にて)。九州島内に入り、次のランナーに引き継がれます。



 間もなく、ED76 94「大」が、「はやぶさ」のヘッドマークを装備し、入線します(写真)。そして、客車と連結します。



 間もなく、「はやぶさ」は、熊本に向け発車します(写真)。



 そして、「富士」の客車が残り、牽引機を待ちます(写真)。



 牽引機、ED76 90「大」が、入線します(写真)。



 同機は、前側のみ富士山形の「富士」のヘッドマークを装備します(写真)。戦前の、東京発下関行き1、2等特急「富士」以来の伝統です。


 そして、同列車は大分に向け発車しました。


 この後は、九州鉄道記念館に行き、その後「リレーつばめ」と「つばめ」を乗り継ぎ鹿児島泊、翌日鹿児島総合車両所(鹿カコ)の、工場としての最後のイベントに参加しましたが、鹿児島には既に夜行列車の痕跡は無く、残念でした。


 その後もありますが、それは次回としたいと思います。


 それでは、次回をお楽しみに。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

The Sleepers#74

2016-03-27 | 鉄道写真


 それでは、連載第74夜は、平成20年夏の、JR東日本東京車両センター(旧称「大井工場」)のイベントからお届けしたいと思います。


 写真は、ご存じ「Pトップ」、EF65 501「高運」です(写真)。車両展示スペースで、「あさかぜ」ヘッドマークを装備します。


 ブルートレイン牽引の決定版として、EF65一般形に各種装備を追加した65P形、その栄えある1号機は、未だ現役で、JR東日本高崎車両センターに所属します。初代ブルートレイン「あさかぜ」がそのはしり、九州特急の全盛期には東京機関区でその任に就きましたが、酷使で、昭和50年代に65PF形に置き換え、現在に至ります。


 九州行きだけで何本もあった時代の再現は無理ですが、夜間寝ながらの移動はメリットが大きいと思うのですが、やはり無理なのでしょうか。


 それでは、次回をお楽しみに。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

The Sleepers#73

2016-03-26 | 鉄道写真


 それでは、連載第73夜は、平成20年夏の、夜行快速「ムーンライトながら」の写真をお届けしたいと思います。


 平成28年3月のダイヤ改正で、大垣までのJR西日本車両乗り入れが廃止となりました。この写真は、その起源を思い出すのに、重要な一枚です。373系F4編成他9連「ムーンライトながら」が大垣に終着し、その乗客を関西に運ぶため、JR西日本からお迎えの電車が来ています(写真)。223系では無く、221系というのが要注目です。


 「ムーンライトながら」の起源である「大垣夜行」は、153系準急の合間運用及び回送を兼ね、東京から中部圏の東海道本線の基地、当時の大垣電車区(現JR東海大垣車両所)のある大垣まで走る、夜行快速でした。関西圏との接続も、大垣からの普通で確保され、とても良い列車でした。東海道新幹線開業で廃止の予定が、投書から存続となり、それが永く続き、平成の世まで走り続け、最終的には準特急形の373系で運用されるに至りました。しかし、トラブル多発で定期列車から「青春18きっぷ」の時期だけの臨時に格下げ、それも続くか、危ういところです。毎日で無ければJR西日本が迎えに行く必要も無く、結果今改正で大垣~米原間のJR西日本車の運用は廃止となりました。


 現状に見合った改正ではありますが、だんだんと無くなっていくのは残念です。何とか、ならないのでしょうか。


 それでは、次回をお楽しみに。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

The Sleepers#72

2016-03-25 | 鉄道写真


 それでは、連載第72夜は、平成20年夏休みの静岡駅からお届けします。


 夜行快速「ムーンライトながら」は、各休みの「青春18きっぷ」の時期には利用が集中、時期には「ムーンライトながら81,82号」を出すほどでした。しかしそれ以外の時期はそれ程では無く、不正乗車やトラブルも多く、結果現在のような季節臨であり、その命脈は風前の灯火です。


 その前兆であった、「ムーンライトながら81号」(写真)。クハ189 509、特急「あさま」の、EF63協調連結側の先頭車です。



 間もなく、静シス(JR東海静岡車両所)F10編成他、上り「ムーンライトながら」が入線(写真)。373系と183・189系の、ツーショットです。



 373系の去った後に、3番線には編成が残ります(写真、クハ189 11他)。H102編成、所属は東チタか宮オオか忘れましたが、JR東日本の団臨・波動輸送用の車両です。



 静岡駅1番線には、クハ189 513他、H101編成「ムーンライトながら82号」が(写真)。こちらも協調側です。



 先頭は、クハ183 1023です(写真)。183系寒冷地形1000番代、特急「とき」用に製造され、上越新幹線開業後189系に多く改造編入され、残りは「あずさ」に使用されました。


 これらの編成は、165系時代の大垣夜行救済臨のことを思えば大発展ですが、グレードアップ車とその他が混在、定期列車と同料金で一部簡易リクライニングであったりして、かなり居心地の悪い車両となりました。後に定期列車が廃止されると、こちらが「ムーンライトながら」を名乗り、最終的には185系投入となりましたが、設定日は年を追う毎に減少、今すぐにも運転を止めたい列車なのでしょう。残念です。


 それでは、次回をお楽しみに。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

The Sleepers#71

2016-03-24 | 鉄道写真


 それでは、連載第71夜は、平成20年の大宮のイベントをお届けします。


 車両展示は、青大将のEF58 93「つばめ」、直流特急色のEF65 535「さくら」が並びます(写真)。


 国鉄時代は「大宮工場」として一つの組織でしたが、JR化時にJR東日本とJR貨物部分が分離、JR東日本大宮車両センターと、JR貨物大宮車両所と、別組織です。しかし、イベントは同日に行われ、JR東日本とJR貨物の車両が並ぶということが可能でした。


 なお、「さくら」のヘッドマークは、白地にピンクの花の「さくら」と、ピンク地に白い花の「さくら」と、東京機関区のヘッドマークでも2種類あり、どちらも本物です。



 EF65 535は、EF65一般形として生を受け、僅かな期間でP形に改造され535と改番、JR化時にJR貨物高崎機関区に配属、同機関区最後の直流特急色現役P形として有名でした。しかし遂に同年引退となり、「富士・はやぶさ」を模した「惜別」のヘッドマークを装備して、最期の運用に就いていました(写真)。



 奥のJR貨物のスペースには、左ED62 17(直流一般色)、右EF65 1001(直流特急色、「あけぼの」ヘッドマークを装備)。が展示されます(写真)。EF65 1001はPF形初号機、P形、F形の運用実績に基づき製造された機関車で、重連用貫通路の装備と、飾り帯の省略が特徴です。JR化後各種の塗色変更が行われたことは、諸兄の知るところです。


 車両の展示は多かったですが、「夜行」と限定すると、この程度です。だんだん、肩身の狭い地位となっていったことが分かると思います。


 それでは、次回をお楽しみに。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

The Sleepers#70

2016-03-23 | 鉄道写真


 それでは、連載第70夜は、平成20年早春の大阪駅、早朝編です。


 前日に「レインボー」塗装を撮り、安眠した一夜。翌早朝も、再び大阪駅を目指します。


 一発目は、上り夜行急行「きたぐに」です(写真)。新潟発、豪雪地帯を通るので、583の雪化粧は当然です。



 「なは・あかつき」と迷い、選択した寝台急行「銀河」(写真)。EF65 1114「田」牽引、こちらも雪化粧です。伊吹颪の関ヶ原でなったものでしょう。



 緩急車、オハネフ25です(写真)。折妻の0番代、こちらも雪を巻き上げています。



 次はEF81 107「敦」、寝台特急「日本海2号」です(写真)。こちらも当然真っ白です。



 末尾のカニ24 102も、雪が付着しています(写真)。



 この日の団臨には、京キト(JR西日本京都総合車両所)所属583系、クハネ581 33他が充当されています(写真)。これは、タナボタです。


 「日本海4号」まで待つと、チェックアウトタイムを過ぎてしまうことから、、ここで打ち切り、ホテルに戻り朝食、出発しました。


 まだ、夜行列車も多く、夕方から早朝までの間も楽しい時代でした。現在の状況を、誰が想像できたでしょうか。残念でした。


 それでは、次回をお楽しみに。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

The Sleepers#69

2016-03-22 | 鉄道写真


 それでは、連載第69夜は、平成20年初春の大阪駅からお届けします。


 早朝の京都駅に引き続き、昼に赤川仮橋、そして夕方に大阪駅着。混乱は予想できましたが、まだ、ポツポツでした。


 大阪駅10番線に、EF81 108「敦」牽引「日本海1号」が据え付けられます(写真)。出発を待ちます。



 最末尾は電源車、カニ24 108でした(写真)。テールサインもバッチリです。宮原運転所所属のため、九州特急と向きが同じです。



 続いて、EF81 106「敦」牽引「日本海3号」です(写真)。同じく10番線、定刻を待ちます。



 緩急車はオハネフ24 21です(写真)。青森運転所所属のため、東北特急と向きが同じです。



 続いて3番線に、京都発「なは・あかつき」が到着(写真、EF66 50「関」)。国鉄最強電機、特急エンブレムも未だ輝かしいです。



 最末尾はオハ14、「レガートシート」です(写真)。「あかつき」のテールサインも入っています。



 そして、この日の話題、寝台急行「銀河」牽引機のEF65 1118「田」、二代目「レインボー」塗色車でした(写真)。例の脱線事故以来あちらでは白眼視されていた鉄道撮影でしたが、ネットで知ったファンが多数集結、大阪における鉄道写真趣味の復活を、強く印象づける出来事となりました。その場に立ち会うことが出来たことは、幸運でした。



 今は亡き「レインボー」塗色の、最大の特徴、大きく描かれた形式名です(写真)。この上洛を、多くの関西のファンたちは待っていたのでした。土曜夜という設定も、最高の舞台でした。



 寝台急行「銀河」の上り最末尾は、カニ24(写真)。テールサインもバッチリですが、車番を失念したのは残念でした。


 外、大阪終着の列車も撮りましたが、夜行ではないので、省略します。


 そして梅田で宿泊、翌日も大阪駅に行きました。しかし、それを掲載すると長くなるので、ここで水入りとしたいと思います。


 それでは、次回をお楽しみに。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

The Sleepers#68

2016-03-21 | 鉄道写真


 それでは、連載第68夜は、平成20年初春の、早朝の京都駅からお届けします。


 寝台特急「出雲」が廃止となり、未明の京都駅には、列車は来なくなりました。しかし、早朝にはまだ列車がある。そこで、再度記録するべく京都駅に向かいました。


 最初は、EF81 106「敦」牽引、寝台特急「日本海2号」です(写真)。雪でヘッドマークが見えません。



 客車は盛アオ(JR東日本青森運転所)の車両のため、こちら側はカニ24です(写真)。100番代です。



 続いては、下り夜行急行「銀河」です(写真)。牽引機はEF65 1118「田」、「レインボー」塗色でした。この晩の大騒ぎが、予想できるようです。



 「銀河」の、テールサイン(写真)。オハネフ25 100番代の、切妻テールです。



 側線には、EF66 50「関」が停まります(写真)。運用を、待っているようです。



 続いて、0番線に上り「なは・あかつき」が入線(写真)。牽引機は、EF66 51「関」です。



 暫くして、列車は一旦駅東方に引き上げます(写真)。「なは」の電源車、カニ24 15が見えます。



 その後方に連結され、編成を西方に牽引する、EF66 50(写真)。この姿で、京都総合車両所に入庫します。



 暫くして、EF81 108「敦」牽引、寝台特急「日本海4号」が、入線します(写真)。



 間もなくして、出発(写真)。大ミハ(JR西日本宮原運転所)受け持ちのため、こちら側が緩急車、オハネフ25です。


 これで京都駅の朝の儀式は終了、続いて電化間近の赤川仮橋に向かいました。


 続いて、大阪駅に行くことにしました。大騒ぎになることは間違いなかったのですが、やはり、行きたいですね。


 それでは、次回をお楽しみに。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

The Sleepers#67

2016-03-20 | 鉄道写真


 それでは、連載第67夜は、平成20年初春の九州から、寝台特急「あかつき」をお届けします。


 平成20年は、いくつもの廃止が重なる年でした。島原鉄道、廃止になる島原南線と、同時に引退する旧式気動車が撮りたくて、諫早に向かいます。往き道に、未乗車の寝台特急「あかつき」が思い浮かべば良かったのですが、残念ながら思い出した時には満席で、遂に乗車は叶いませんでした。


 せめてもの記録と、早朝の諫早で、カメラを向けます(写真)。ED76 94「分」、ヘッドマークは「なは・あかつき」です。



 末尾はオハ14、「レガートシート」です(写真)。


 「なは」が西鹿児島行きだった時代に、「レガートシート」に乗車しましたが、九州新幹線の無い時代、鹿児島に朝一番に着く列車として、博多からの乗車が多かったのを覚えています。既にこの時には九州新幹線も新八代まで暫定開業し、長崎もそれほどの距離では無く、残念な結果でした。


 当時夜行バスにはほぼ何の規制も無く、値段的に圧倒されていた時代でした。失われた20年、追い詰められ、幾つもの列車が廃止になりました。今の機運であれば、運転再開の可能性はありますが、もう車両は残っていません。新造に見合う成績を、上げられるでしょうか。


 それでは、次回をお楽しみに。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

The Sleepers#66

2016-03-19 | 鉄道写真


 それでは、連載第66夜は、平成20年正月の、名古屋駅からお届けします。


 漠然とした不安があった、夜行列車。一度きちんと記録しようと思い、名古屋駅へ。駅前の、深夜出庫可能な駐車場に入れます。


 最初は23時少し前の、下り寝台特急「富士・はやぶさ」(写真)。EF66 49「関」が牽引します。



 末尾のスハネフ14は、「富士」を掲出します(写真)。



 23時半過ぎに、上り「ムーンライトながら」が到着(写真)。静シス(JR東海静岡車両所)F13編成ほか9連です。



 向こうの方に、見慣れない車両があると見に行くと、そこにはレール運搬用気動車、キヤ97、1、101、2、102、則ち海ナコ(JR東海名古屋車両所)R1及びR2編成です(写真)。鉄道機械では無く列車、JR東海における機関車全廃の目処をつけた形式です。



 そして翌日1時、名古屋駅最終列車となる、EF65 1113牽引、最後の寝台急行「銀河」が入線します(写真)。あり得ないゴーストに戸惑い、AFも暴れて合焦せず、失敗した撮影です。


 更に、テールマークはブレまくり、散々に悲惨でした。


 今なら、高輝度光源にはスポット測光、グループダイナミックAFで対応、感度も自動感度で対応出来るはずですが、当時はそれだけの知恵が無く、失敗写真を量産しました。せめて、現在程度の技術があればと、悔やんでいます。


 名古屋での「銀河」の撮影は、これが事実上の最後で、何故もっと撮っておかなかったのだろうと、後悔します。まあ、他の場所では撮ったので、記録自体は出来ましたが。


 それでは、次回をお楽しみに。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

The Sleepers#65

2016-03-18 | 鉄道写真


 それでは、連載第65夜は、平成20年正月の、東京駅からお届けします。


 前月のボーナスで、新型機D300を手に入れ、渡米までした年でした。その余波で、正月は青春18で、東北を目指しました。


 未明の東京駅7番線で折り返しを待つ、静シス(JR東海静岡車両所)F8編成他、373系9連、「ムーンライトながら」です(写真)。


 静岡から普通で送り込まれ、折り返し大垣行き「ムーンライトながら」、翌朝「ホームライナー」で豊橋、昼は特急「伊那路」1号と3号に分解して飯田、2号と4号で豊橋に戻り、「ホームライナー」で大垣、夜に東京行き「ムーンライトながら」、翌朝東京発静岡行き普通で帰庫という大きな運用のため、一つどこかで狂うと全部の運用が停まるという問題もありました。終いには勝手に座った客と指定客とのトラブルも多数、時期には各駅に警備員が立つというレベルにまで達し、結局「青春18きっぷ」の時期だけの臨時になり、その臨時も消え去りそうな現在です。


 元々は準急の回送も兼ねた快速、通称「大垣夜行」に始まり、東海道新幹線開業で廃止の筈が、投書から存続し、時を追うにつれグレードが上がり、遂には特急形が使われた「ムーンライトながら」、しかしこの命脈は、間もなく絶たれようとしています。最後まで、悔いの残らない記録を残したいですね。


 それでは、次回をお楽しみに。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

The Sleepers#64

2016-03-17 | 鉄道写真


 それでは、連載第64夜は、「富士・はやぶさ」の、下関駅での様子をお届けします。


 平成19年秋、韓国に渡り、関釜フェリーで帰国し、下関港から下関駅に入ると、丁度EF66 49「関」が入線(写真)。下り寝台特急「富士・はやぶさ」です。幸運に恵まれ、早速シャッターを切りました。



 間もなく、EF66は切り離されます。折妻のスハネフ14、「はやぶさ」の表示です(写真)。



 EF66は、入換の表示を出し、下関運転所に帰庫します。



 入れ替わり、EF81 410「分」が入線(写真)。庫内手に誘導されます。



 そして連結、列車は関門トンネルに入る準備が整いました(写真)。定刻に、列車は発車しました。



 最末尾は、「富士」のテールサインです(写真)。下り、上りとも進行方向前方が「はやぶさ」、後方が「富士」で、東京折り返し時に入れ替わります。


 このように冷めた目でこの列車を見ることが出来たのも、まだまだ安泰だと思ったからで、最終期にはそんなことは出来ませんでした。まだまだ、良い時代でした。


 それでは、次回をお楽しみに。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする