Sengoku1985

何故、私は鉄道を撮り続けるのか?

Kyusyu Railway Company#21

2014-05-31 | 鉄道写真


 宮崎県延岡から宗太郎越えをすると、そこは大分県。大分には、ED76 66牽引「富士」が据え付けられていました(写真)。



 続行「ソニック」に乗ると、中津で追い越し。先行し、小倉で普通に乗り換え、門司へ。先にED76 70牽引「はやぶさ」が到着します(写真)。



 ED76は離れ、早々にEF81 410が連結されます(写真)。入換表示のままです。



 ED76 70は、中線を通過し、待機場に移動します(写真)。



 隣のホームに「富士」到着(写真)。ED76 66のままです。



 ED76は離れ、EF81 410牽引「はやぶさ」が前方からやって来ます(写真)。



 そして、連結(写真)。幌を準備し、完了後通路になります。



 EF81 410は入換表示を消し、出発の準備をします(写真)。



 間もなく出発、関門トンネルに吸い込まれていきます(写真)。



 その後「富士」牽引機が、中線を通り待機位置へ。翌日のためヘッドマークを反対側に移設します。


 「はやぶさ」と「富士」の併合という、重要な行事が終わります。


 次回は、「富士」と「はやぶさ」の分割でしょうか。


 それでは、次回をお楽しみに。

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Kyusyu Railway Company#20

2014-05-30 | 鉄道写真


 平成18年初夏の遠征、鹿児島から宮崎へ。宮崎駅には713系、クハ712 901始め2連「サンシャイン」が停まります(写真)。713系は、試作車しか存在しません。



 一駅戻り南宮崎へ。475系Gk-5編成、国鉄急行色編成がやって来ます(写真)。これに乗車しました。



 そして、終点延岡へ。延岡には、高千穂鉄道(廃止)TR-102が留置されていました(写真)。同車が阿佐海岸鉄道の事故代車になったものと思われます。



 貨物列車の仕立てを待つ、ED76 81(写真)。牽引機です。



 同駅構内で入換を行っているDE10 1208(写真)。



 次の大分方面行きは、485系国鉄特急色3連の「にちりん」でした(写真、編成番号不明)。


 当時の宮崎方面のネタは、これで大体載っていると思います。そうすると車齢の浅いTR-800はどうなったか、と思いますが、それはまた、後ほどに。


 それでは、次回をお楽しみに。

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Kyusyu Railway Company#19

2014-05-29 | 鉄道写真


 平成18年夏、九州行2回目です。この頃の私は、JRほぼ完乗であったため、乗り鉄の趣味がJRから民鉄、第三セクターに変わりつつありました。


 この時も、熊本から大牟田、西鉄を通り甘木へ。そう、甘木鉄道です(写真)。


 甘木鉄道は、鹿児島本線基山から分岐した国鉄甘木線の後身で、西鉄や高速バスとの乗換、接続を改善したため利便性が良くなり、利用者が増えた第三セクターです。決して経営的には楽では無く、戦前の航空基地の後に出来たビール工場の貨物輸送も無くなりましたが、今も走ります。



 続いては、肥薩おれんじ鉄道です。九州新幹線開通に伴い八代~川内間が移管された第三セクターです。快速は特別塗装の車両が運用に就きました(写真、出水にて)。食事は、勿論「鮎屋三代」でした。



 出水の検修庫からは、オレンジの顔の塗装車が、顔を出しています(写真)。



 肥薩おれんじ鉄道一般形の並び(写真)。


 肥薩おれんじ鉄道も、「おれんじ食堂」が上手くいっているらしく、私も是非乗りたいとは思いますが、やはり近いところでは無く、なかなか行けません。また、そのうちに。やはり、「美味しいもの」は、人が集まります。


 この日は多分鹿児島で泊まったのでしょう。焼酎の素材が今頃になってからやっと分かるようになり、舌が肥えてきました。しかし、そんなに飲めば、体型は自明です。ああ、気をつけなければ!


 それでは、次回をお楽しみに。

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Kyusyu Railway Company#18

2014-05-28 | 鉄道写真


 平成18年初夏に、GWの分を取り戻すべく、再び九州を目指しました。


 1枚目は、名古屋駅4番線に停車した、寝台特急「富士・はやぶさ」(写真、EF66 47)。丸いヘッドマークです。これを撮り終えると、慌てて列車に乗り込みます。



 そして翌朝、下関着(写真)。東京から長駆1,000キロ、やっと帰庫します。



 下関からは、EF81(写真)。この日は410号機が、関門間を牽引します。



 門司で切り離し、熊本側「はやぶさ」は、ED76 90がお迎えに来ます(写真)。追って「富士」も、別のED76に牽引されます。



 「はやぶさ」熊本到着の図(写真)。そして運用から解放され、帰庫します。


 そして九州島内大旅行が始まるのですが、それは次回に譲ります。


 それでは、次回をお楽しみに。

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Kyusyu Railway Company#17

2014-05-27 | 鉄道写真


 平成18年のGW、九州からのお帰りは、寝台特急「なは」でした。鳥栖駅1番線に、ED76 92牽引「なは」が入線します(写真)。写真右上の標識が、「なは」牽引機の停止目標でした。



 そしてED76 92は運用から解放され、客車だけが残ります(写真)。オハネフ25の「なは」のテールサインが見えます。



 3番線に、「あかつき」到着(写真)。扉扱い後、鳥栖駅構内入換、「なは」の前に入ります。



 「あかつき」牽引機はED76 91(写真)。連結後、準備を終えると出発になります。私も、乗車します。



 そして門司、下関で牽引機が替わり、京都終着時の牽引機は、EF66 45でした(写真)。長旅を終え、私も帰宅しました。


 まだこの頃は、寝台特急が現存し、前夜祭から盛り上がる旅行でした。新幹線博多1回乗り換えのみとなった現在、以前のような興奮を感じなくなったのは、私だけでしょうか。


 それでは、次回をお楽しみに。

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Kyusyu Railway Company#16

2014-05-26 | 鉄道写真


 平成18年GW、長崎に続いて行ったのは、熊本。前日の予定であった「はやぶさ」の熊本終着を見るためです。到着は11時台、気の長い人の利用する列車でした。



 熊本から八代へ、名駅弁「鮎屋三代」を購入し、肥薩おれんじ鉄道経由で、鹿児島へ。女性に、「私を撮りませんか?」と言われ、震えました。


 そして鹿児島中央には475系、鹿カコGk5編成が(写真)。国鉄急行色、60Hzを意味する腰部のラインも、忠実に復元されています。



 そして翌日は鹿児島から日豊本線経由で、一気に大分へ。何故か宮崎近辺の写真がありません。寝台特急「富士」が、出発を待っています(写真)。



 そのテールサイン(写真)。客車は14系寝台車ですが、ハネは白帯14形とステンレス帯15形が入り乱れていました。



 今日の最後は、キハ58とキハ65に挟まれたトロッコ、「トロQ]です(写真)。使用車輌の老朽化により、現存しません。懐かしい、大分駅地平ホームです。


 そして、連休の終わりに帰途に就きますが、それはまた、次回にしたいと思います。


 それでは、次回をお楽しみに。

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Kyusyu Railway Company#15

2014-05-25 | 鉄道写真


 平成18年のGWに、私は九州に向け旅立ちを待っていました。しかし、始まりの寝台特急「富士・はやぶさ」が約3時間遅れ、名古屋発午前1時、最初から無茶苦茶でした(写真)。これで初日の予定が、完全に狂ってしまいました。



 遅れに遅れ、下関に真昼に到着(写真)。何度も新幹線に乗り換えるよう言われましたが、結局ここで断念、運転も打ち切りでした。仕方が無いので、普通で九州入りしました。



 そして博多から「かもめ」にのり、長崎着(写真)。確かこの晩は、地元系ファミレスで「トルコライス」(お子様ランチの大人版、長崎名物)を食べました。



 翌朝は早く起き、待ち構えるのは「あかつき」(写真)。基本的には、優等列車は主要都市圏通過が午前7時以前か午前9時以降(通勤ラッシュに支障しない)という不文律があります。そのため、2列車「さくら」は、東京終着午前11時台でした。



 長崎に来て、行きたいのは、島原鉄道。諫早から乗り換え、終点の加津佐まで行きたいですが、いつも車庫のある南島原で降りてしまいます。駅に停まるのは、キハ20 13(写真)。国鉄標準の朱のツートンでした。



 同じく、キハ20 08です(写真)。朱色一色、いわゆる「首都圏色」といわれる塗装です。


 この時にも加津佐には行かず、ここで戻ってしまい、後々の後悔の元となりました。この少し先には、雲仙普賢岳噴火で寸断され、沈静化後に運転を再開した区間があり、あのときは島鉄は大変だったのです。折角復旧したのに、という所で、話は切っておきましょう。


 この時も大旅行でしたが、長いので今日はここまでです。


 それでは、次回をお楽しみに。

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Kyusyu Railway Company#14

2014-05-24 | 鉄道写真


 58654引退から間もなく、再び私は九州へ。平成17年10月改正で廃止となる、寝台特急「彗星」に乗車するためです。


 出発は、京都から。同駅7番線に、「彗星・あかつき」は据え付けられています(写真)。これに乗車します。ほぼ満席で、これが日常なら廃止は免れたでしょう。



 翌日昼近く、南宮崎に到着(写真)。牽引機は青いEF66から、赤いED76に変わっています。



 緩急車スハネフ15 4のテールビュー(写真)。14系15形、国鉄最後の新製寝台車です。この、「彗星」も、もう見られません。



 宮崎空港から帰ってくると、位置は中線に移動し、名残を惜しむファンにサービスをしていました(写真)。



 直前に、災害で日豊本線は不通となっていましたが、JR九州の努力の甲斐があり、運転が再開されました。災害箇所は土嚢が丸見えで、苦心の跡が見て取れました。


 そして、西鹿児島(現「鹿児島中央」)へ。鹿児島からは、「はやとの風」に乗車(写真)。特急料金は払いますが、実際には観光列車で、歴史ある駅(「嘉例川」等)に長時間停車し、観光が楽しめます。



 そして吉松からは、「いざぶろう・しんぺい」です(写真)。人吉発が「いざぶろう」、吉松発が「しんぺい」で、それは肥薩トンネルの扁額に由来します。



 「彗星」廃止で、「なは」が再び京都に戻ってきました(写真、平成18年2月、「なは・あかつき」、上り京都着)。ダイヤ改正毎に列車が減るのは、この頃から気になっていました。寝台列車とは、それほど魅力が無い列車なのでしょうか。確かに、料金が高かったのは事実ですが、格安夜行バスが危険な運転をしていたのは当時は知られておらず、結果残念でした。


 それでは、次回をお楽しみに。

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Kyusyu Railway Company#13

2014-05-23 | 鉄道写真


 58654は立野の三段スイッチバックを越え、一休み。その間に私は先行し、宮地へ。58654は、介添え役を従え、終点宮地に入線します(写真)。



 そして切り離し、火床整理、給水等整備の上、暫し休み(写真)。その間に雨が激しくなり、撮影を断念、次の熊本行きで熊本に行き、その夜を過ごしました。



 その関連動画が以前投稿してあったので、再度掲載します。ご参考までに。



 そして翌日の仕業は、「SL人吉」です。これも乗車できず、外からの撮影となりました。運用を終え人吉で休憩中の姿(写真)。上りも撮りたかったのですが、仕事の都合で断念しました。



 58654と同じ位、いやそれ以上歴史のある、熊本駅構内の煉瓦矩形庫は、九州新幹線関連で取り壊しとなりました。同日の写真(写真)。熊本といい、糸魚川といい、何とかならなかったのでしょうか。残念です。


 58654、このシーズン直前にボイラを新缶に交換したばかりでした。その後30億ほどかけて台枠も交換して復活し、現在「SL人吉」として運転されますが、ボイラも新品、台枠も新品、主要部分は新品で、新製ではないかという気もします。今後も大切に乗って欲しいと思いますし、動く8620形は貴重であるとは思いますが、私の心の中ではこの時に終わっています。


 それでは、次回をお楽しみに。

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Kyusyu Railway Company#12

2014-05-22 | 鉄道写真


 先回に続き、平成17年初秋の熊本から。駅で待っていると、間もなく、DE10 1753に牽かれ、列車がやって来ます(写真)。今回の主役ですが、勿論DE10は介添え役です。



 そう、主役は勿論58654「SLあそBOY」です(写真)。大正期、国産初の大型旅客蒸機8620形、平成17年のシーズンをこなしていたところ、運転中に部分異常発熱があり、その日は途中肥後大津で運転打ち切りとなりました。運休し原因を調査したところ、機関車の台枠(シャシー)が変形し、それが発熱の原因であったため、遂にこの日最終運転となったのでした。豊肥本線の厳しい勾配で酷使したため、遂に引退の日を迎えてしまったのでした。勿論単機で運用がこなせる筈も無く、ディーゼル機関車の後押しが必要でした。席はやはり取れず、仕方が無いので外からの撮影にしました。



 そしてSLに先行し、立野に到着。暫くすると、58654が立野に入線します(写真)。



 立野は三段スイッチバックの駅。列車は折り返し、DLを先頭にスイッチバック線に入っていきます(写真)。



 そしてスイッチバック線で再び折り返し、SLを前に前進します(写真)。


 この区間は、通常の方法では建設できなかったため、急勾配対策としてスイッチバックで建設された訳で、勾配的にも一番苦しい所です。それで一番煙も上がり、良いポイントだと思ったのですが。


 そして、58654との、お別れの時が来ます。それは、また次回に。


 それでは、次回をお楽しみに。

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Kyusyu Railway Company#11

2014-05-21 | 鉄道写真


 平成17年の秋も近い時期に、緊急事態が発生し、急遽熊本へ行くこととなりました。今のように格安航空がある訳でも無く、鉄ちゃんが乗るのは、やはり、寝台特急。新幹線で新大阪まで出て、熊本行き「なは」に乗車(写真、EF65 1132)。何の予約も無いまま、列車に揺られ西に向かいました。



 そして九州では、牽引機がED76 92に替わり、熊本着(写真)。この日の、重要な舞台です。



 「なは」のテールビュー(写真)。オハネ25後期形、切妻が特徴です。このテールサイン自体も、もう見られない貴重なものですが。



 続いて熊本駅1番線には、ED76 1017牽引コンテナ貨物列車が入線(写真)。しかし、これを撮りに来たのではありません。


 平成17年秋、熊本と聞くと、分かる方は分かると思います。そう、その主役は、間もなく登場ですが、その前で今回は終わります。是非、その主役は何か、思い出して下さい。


 それでは、次回をお楽しみに。

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Kyusyu Railway Company#10

2014-05-20 | 鉄道写真


 平成17年春改正で、九州方面で消える列車がもう一つ。それは、特急「いそかぜ」でした。国鉄の時代には京都発博多行き、山陰本線のクイーン特急「まつかぜ」が系統分割され、米子発小倉行きで残っていた列車を、さらに米子~益田間をキハ187系特急「スーパーまつかぜ」として分離するため、益田~小倉間という、山陰本線で最も利用が見込めない区間の特急として残り、やはり廃止となった列車です。今なら惣郷川橋梁付近からの撮影を考えますが、当時はやはり乗り鉄、実車を乗りに行きました。


 小倉駅3番線に、門司方から、国鉄色キハ181系特急「いそかぜ」が入線します(写真)。



 3番線に据え付けられます(写真)。キハ181 6です。



 中間車はキハ180 17、益田方先頭はキハ181 28です(写真)。


 しかし、当時は車内を記録する、という発想が無く、キハ181系の様子が残っていません。勿体ない!



 そして、益田駅3番線到着(写真)。国鉄色キハ181系定期列車としては、最後の列車でしょう。ふく列車も、もうありません。


 モデル時程表では、益田から京都まで、山陰本線を乗り継ぐ時間が乗っていましたが、出雲市で断念、「やくも」で岡山に出て帰りました。それらの写真は、今回の連載とはあまり関係がないので、割愛します。


 かつては関門トンネルを気動車が走っていた、というのはある意味驚きです。例えば青函トンネルであれば、気動車もトンネル区間では電気機関車牽引で、列車番号も客車列車と同じ扱いになります。もう、今では考えられません。


 でも、国鉄色って、やっぱり良いですねえ!


 それでは、次回をお楽しみに。

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Kyusyu Railway Company#9

2014-05-19 | 鉄道写真


 平成17年早春、遂に、東京発長崎行き寝台特急「さくら」が廃止になる、と発表され、お別れに、2月に乗車しました。


 最初は、名古屋発の図(写真、EF66 43(「関」))。「さくら・はやぶさ」のヘッドマークも最後です。



 翌朝同機は下関で、運用から解放されます(写真)。



 関門間の牽引機は、EF81 409(「分」)です(写真、下関にて)。間もなく、関門トンネルです。



 そして門司からはED76 92(写真、「分」)。一時のピンクを改め、より強い赤に戻されました。これが熊本まで「はやぶさ」を牽きます。



 鳥栖で「はやぶさ」から切り離され、長崎本線の牽引機はED76 90でした(写真、「分」)。この「さくら・はやぶさ」のヘッドマークも、見納めでした。



 客扱いを終えると、夕方の出発まで、横の車庫(長崎車輌センター)でお休みです。入換機、DE10 1756がスタンバイしています(写真)。



 駅西方の、長崎車輌センターの様子(写真)。中央に写っているのは、「あかつき」の客車、「レガートシート」車が手前です。この場所も、長崎駅高架化、及び九州新幹線長崎ルート関連工事で早岐に移転し、懐かしの写真となっています。


 「さくら」廃止で、14系と24系25形混結の「さくら・はやぶさ」、及び「富士」は無くなり、14系「富士・はやぶさ」とするべく、シングルデラックス(A個室)オロネ25をオロネ15 3000番代に改造することとなりました。改造を終えた同車の、最初の使用列車が「さくら」であったのも皮肉です。


 かつて「九州特急」と呼ばれ隆盛を誇り、多客期にはプラチナチケットであった列車たちが、遂に1往復のみとなった時点で、衰退を感じずにはいられませんでした。「来るべき時が来た。」と思いました。「せめて、最後のヒトスジ位、」と思いたかったですが、それは少し現実が見えていなかった、のでしょうか。使用車輌も経年30年を越え、正直古さを感じずにはいられませんでした。だからこそ、「いつでもお別れできるよう、出来るだけ、利用しよう。」と思いました。


 そして帰りは、九州発の気動車特急でしたが、その話は長くなるので、また次回とします。


 それでは、次回をお楽しみに。

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Kyusyu Railway Company#8

2014-05-18 | 鉄道写真


 その日は長崎でトルコライスを食べて寝て、翌朝再び行動します。先ずは、あまり考えずに鳥栖から小倉へ、そして中津へ。丁度415系交直流一般形標準塗色を復刻塗装されたFm-5編成に出会います(写真)。



 続いては、大分へ。EF81 413牽引寝台特急「富士」が据え付けられています(写真)。



 同列車が出発すると、その向こうの中線に、ED76 1019牽引のタンクコンテナ貨物列車が停まっています(写真)。恐らく延岡発で、特殊な化学製品の液体が入っていると思われ、一目見て危険と分かるよう黄色のタンクになっています。


 そして再び大分から、中津で「富士」を追い越す「ソニック」に乗り小倉へ行きました。しかし、その後小倉発の写真が無いことから、「のぞみ」で帰宅したものと思われます。寝台特急では無いのが、悔やまれます。


 こんな感じで九州を周遊しました。昔の周遊券が懐かしい(現在販売していない)ですが、現在は期間限定の3日間3万円程度のフリーきっぷがあるそうです。もっと長いのも出して欲しいですが、そうすると金額がイってしまう様な気もします。


 それでは、次回をお楽しみに。

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Kyusyu Railway Company#7

2014-05-17 | 鉄道写真


 長崎本線、佐世保線が電化される前は、485系電車特急「かもめ」「みどり」ではなく、キハ58系急行でした。DMH17系列で過度に統一されていた国鉄形気動車、同機関を搭載すれば併結も可能であり、そこで長崎県の私鉄「島原鉄道」もキハ20同形を製造し、起点諫早から急行に併結され、遙か博多まで入線していました。


 その名残で、島原鉄道は当時まだ多くのキハ20同形を保有していました。最初は、キハ2003(写真)。国鉄急行色に近いですが、三本ヒゲのような赤線が入り、「島鉄急行色」とされます。



 続いて、奥にはキハ2006が(写真)。ブロックパターンのツートンです。この塗色の正式名称を、私は知りません。



 洗浄線には、朱色一色の、所謂「首都圏色」に塗られた、キハ2008が停まります(写真)。



 その奥には、同じくブロックパターンのキハ2018が停まります(写真)。


 後にこれらの車両が、一気に廃車される事態が生じてしましました。それは、後に投稿することになりますが、何故そうなったか、是非思いを巡らせてみて下さい。本当に断腸の思い、残念でした。


 それでは、次回をお楽しみに。

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