Sengoku1985

何故、私は鉄道を撮り続けるのか?

The Sleepers#63

2016-03-16 | 鉄道写真


 それでは、連載第63夜は、平成19年夏の北海道からお届けします。


 札幌駅には、「北斗星」が据え付けられています(写真、カニ24 506)。札幌発は、昔も今も、カニが末尾です。



 そして、DD51 1148「函」牽引の、札幌発青森行き夜行急行「はまなす」が、入線します(写真)。DD51は単機牽引ですが、運用札は「重」が入り、同機は半重連形では無く全重連形であることを示しています。ヘッドマークも装備します。



 「はまなす」のテールビュー(写真、スハフ14)。ちゃんとテールサインも入っています。


 「周遊券」は、自由席は追加料金がありませんが、もしそうなら着席は不可能で、指定席を取っておいて正解でした。



 未明に函館で機関車が交代、翌早朝に、青森着。青函トンネル専用機、ED79 13「函」が、牽引しました(写真)。ヘッドマークも注目です。


 ED79、JR貨物所属の50番代は新製ですが、それ以外の0番代、100番代は、ED75 700番代の改造車です。快速「海峡」廃止、及びEH500の増備で運用が激減、この頃既に多くは五稜郭で保留車となっていました。北海道新幹線開業で、50番代も含め全機引退します。



 牽引機から切り離された客車、スハフ14(写真)。座席車の屋根高さです。



 その反対側の緩急車、スハネフ14(写真)。一部寝台車の編成でした。


 昔は大阪行き特急「白鳥」、及び盛岡行き「はつかり」に接続し、大阪方面、東京方面に便利な列車でしたが、東北新幹線が新青森まで開業し、接続する「白鳥」は新潟行き「いなほ」、後に秋田行き「つがる」と運転区間を短縮され、新幹線中心の体系に変わり、北海道新幹線函館開業で「はまなす」自体が廃止になります。その後最期まで乗る機会はありませんでしたが、最後の定期急行として、おつとめご苦労様でした。


 それでは、次回をお楽しみに。


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The Sleepers#62

2016-03-15 | 鉄道写真


 それでは、連載第62夜は、先回の続き、平成19年の夏休みをお届けします。


 上野を出た「あけぼの」は、翌日青森に到着(写真)。EF81 139は、交代無く青森に戻ってきました。


 後に「あけぼの」も、上野~長岡間はEF64に変更されましたが、実は平坦用EF81、EF65も、中勾配用EF64も、歯車比は同じでした。



 緩急車、オハネフ24 27(写真)。いわゆる24系24形、3段寝台で落成も後に2段化された車両です。そのため、帯はステンレスでは無く、白帯です。



 電源車、カニ24 25です(写真)。これも、白帯です。EF81は、切り離され、帰庫しました。



 客車も青森運転所(盛アオ)に帰庫します。DE10 1536「青」に、牽引されます。


 そして、「白鳥」で海を渡るのですが、昼行は対象では無いので省略します。


 次は、北海道の車両でしょうか。


 それでは、次回をお楽しみに。

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The Sleepers#61

2016-03-14 | 鉄道写真


 それでは、連載第61夜は、平成19年夏の夕方の上野駅をお届けします。


 暫く寝台列車も使用しない時期が過ぎましたが、夏休みに北海道に行くことを計画、通常に北斗星か新幹線で行けば良いのに、何故かひねくれ、乗車列車は「あけぼの」でした。


 まだ夜と呼ぶにはあまりに早すぎる、昼下がりの上野駅13番線に、銀色の車体が入線します(写真)。寝台特急「カシオペア」です(写真、スロネフE26-1)。最末尾の特等席のこの位置に、特殊弁装置があります。



 電源車、カハフE26-1です(写真)。空きスペースは、展望ロビーになっています。子供がゲームをして遊んでいます。



 牽引機は専用機3両のうちの一つ、EF81 79「田」でした(写真)。塗色も変更されています。



 続いては、少し暑さの緩む頃、上野駅13番線に、客車が推進入線します。「北斗星1号」、客車はJR北海道の列車です。先頭は、マニ50改造の電源車、マニ24 502です(写真)。編成美を維持するため、通常高さの屋根上にキセを装備、24系寝台車と屋根高さを合わせています。



 牽引機は、EF81 93「田」です(写真)。横に流星マークの描かれた、いわゆる「星ガマ」です。


 なお、田端機関区所属の交直機(EF81、EF510)は、交直電源地上切替地点の黒磯を通過できる対策が、車両側でとられています。



 続いて、「北斗星81号」が、カニ24 507を先頭に、上野駅13番線に入線します。以降は、客車もJR東日本所有車両です。



 「北斗星81号」牽引機は、EF81 85「田」でした(写真)。



 続いて、「北斗星3号」が、カニ24 505を先頭に、推進運転され、上野駅13番線に据え付けられます(写真)


 青函区間の当時の牽引機ED79は、以前は青森駅でスイッチバックして繋いでいましたが、この頃から青森信号場場内に変わった関係で、上野方末尾がオハネフ25では無く、カニになっていました。


 また、写真左下のLEDカンテラは、夜間の前照灯に相当します。



 この日の「北斗星3号」牽引機は、EF81 82「田」でした(写真)。



 続いて、オハネフ24 27を先頭に、客車列車が推進されてきます(写真)。「あけぼの」です。貫通路を開け、特殊弁装置を乗務員が操作します。



 そして据え付け完了、弁装置を外します(写真)。間もなく貫通路が閉じられ、カンテラも外され、テールライトが点きます。テールマークも見えます。



 電源車は、カニ24 25でした(写真)。



 牽引機は、EF81 139「青」でした(写真)。同列車が、最後の正調ブルートレインになると、誰が予想したでしょうか。


 そして、同列車に乗り込み、北を目指します。その先は、次回としたいと思います。


 それでは、次回をお楽しみに。


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The Sleepers#60

2016-03-13 | 鉄道写真


 それでは、連載第60夜は、平成18年晩秋の、尾久でのイベントを届けします。


 東京の、南の要は東京機関区「東」(現存しない)に品川客車区「南シナ」(現存しない)であるように、北の要は田端機関区「田」と尾久客車区「北オク」(現在は尾久車両センター「東オク」)です。その、北の方の車両の展示です。


 最初は、EF64 1001、ヘッドマークは寝台特急「北斗星」です(写真)。



 続いては、DD51 842です(写真)。ヘッドマークは寝台特急「はくつる」、運転開始後東北本線全線電化(昭和43年)まで、非電化の盛岡~青森間であった設定です。



 EF64 1001、反対側は「北陸」です(写真)。



 DD51 842の反対側は、寝台特急「出雲」です。SG無し800番台かはともかく、確かにあった設定です。



 続いてはEF81 95、寝台特急「ゆうづる」です(写真)。この「レインボー」塗色であったかは分かりませんが、あった設定です。



 こちらも「レインボー」塗色、EF65 1118は、寝台急行「銀河」を掲出します(写真)。実車では、見たことがありません。



 最後は、「夢空間」24系25形900番台、オシ25 901です(写真)。まだ当時は、臨時運用の設定がありました。


 まだまだ、平和な時代でした。これらの車両も含め、その後の運命など、知る由もありませんでした。


 それでは、次回をお楽しみに。


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The Sleepers#59

2016-03-10 | 鉄道写真


 それでは、連載第59夜は、平成18年秋の東北からお届けします。


 寝台特急は、夜間を中心に走りますが、翌朝を迎えても走ることが多いです。そこで使用後の寝台に乗車出来る、「立席特急券」という特急券がありました。値段は自由席特急券と同じ、地域間輸送と、車両の有効活用に役立っていました。


 おそらく「日本海3号」でしょう、EF81 48「敦」牽引、24系24形を中心に編成されます(写真)。駅弁「鶏めし」で有名な、大館駅入線の図です。



 そして、同列車は終点青森に到着(写真)。直ちに庫内手が、回送の準備を始めます。



 切り離された、カニ24 100番代(写真)。番号は、失念しました。



 客車が青森運転所に回送され、残された牽引機、EF81 48(写真)。単機で回送されるようです。


 そして、翌日東北本線方面へ向かったと記録が残っていますが、台風一過、貨物列車が軒並み運休で、十三本木峠でボウズであった、と記録に残っています。残念でした。


 それでは、次回をお楽しみに。

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The Sleepers#58

2016-03-09 | 鉄道写真


 それでは、連載第58夜は、敦賀駅の未明から朝の撮影をお届けします。


 日本海縦貫線の夜行列車は、敦賀停車が長く取られていました。それは、機関区の敦賀機関区、後の福井地域鉄道部敦賀センター(現「敦賀地域鉄道部敦賀運転センター」)があるからです。ただ、敦賀第二機関区があった時代から比べると、規模は小さくなっています。


 敦賀に向かう列車は、夜行急行「きたぐに」(写真、クハネ581-22他)。これでないと、間に合いません。米原午前1時発、敦賀は午前2時前後と記憶します。



 朝、普通列車がやって来ます。583系のなれの果て、419系です(写真、クハ419(車番不明))。クハネ581そのままのスタイルで、715系同様、特急形の悲しい最期に、あまり見たくなかった系列です。



 そして、本番1回目は、寝台特急「日本海2号」です。トワイライト色のEF81 43「敦」が牽引しました(写真)。



 同機は切り離され、代わりにEF81 106「敦」が入線します(写真)。



 そして連結され、出発準備が整います(写真)。



 間もなく発車。「日本海3,2号」の客車はJR東日本青森運転所(盛アオ)の受け持ちで、こちら側が電源車になります(写真、カニ24 114)。3段寝台で落成した24系24形の、2段寝台改造車が中心です。



 続いて、寝台特急「日本海4号」が入線します(写真、EF81 48「敦」)。こちらは、機関車交代がありません。



 間もなく発車(写真)。「日本海1,4号」の客車はJR西日本宮原運転所(当時、大ミハ)の受け持ちで、九州特急と同じ向き、そのためこちら側が緩急車、オハネフ25です。



 そして、クライマックス、「トワイライトエクスプレス」です(写真)。EF81 113「敦」牽引です。



 同機は切り離され、代わりにEF81 104が接近します(写真)。



 そして、出発(写真)。客車は同じ大ミハですが、カニ24がこちら側、向きが反対になっています。


 一番贅沢な寝台は、戦前の特急「富士」「つばめ」の時代から、下り最末尾の緩急車と決まっています。それは、展望席になっているからです。そのため、上りは指定を取りやすいようで、機関車次位となるその個室には、不似合いな男性が一人で座っていました。見込みも無しに指定を取ると、惨めで、恥ずかしいです。


 それでは、次回をお楽しみに。

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The Sleepers#57

2016-03-08 | 鉄道写真


 遂に9週目に突入した本連載。まだまだ、続きます。


 連載第57夜は、平成18年夏の撮影、過日の「富士・はやぶさ」をお届けします。


 「ムーンライトながら」を待つ間、小遣い稼ぎに撮影した、EF66 43「関」(写真)。まだまだ、この頃は安泰と思っていました。



 翌週の、「富士・はやぶさ」は、EF66 48「関」牽引でした(写真)。今日の状況を、誰が想像したでしょうか。しかし、既に暗雲は足下に忍び寄っていました。


 お葬式になってから慌てて撮るのも、悲しいです。それは、普段如何に「猫跨ぎ」が多かったかでもあります。たとえ地元でも、きちんと撮りましょう。


 それでは、次回をお楽しみに。

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The Sleepers#56

2016-03-07 | 鉄道写真


 それでは、連載第56夜は、平成18年夏の、九州からの帰り、「なは・あかつき」をお届けします。


 かつての「さくら・はやぶさ」は、地元を午前7時少し前に停車でよく使っていましたが、整理後の「富士・はやぶさ」は午前5時台と動作保証対象外で、結果京都早朝着の「なは・あかつき」を利用するようになりました。


 きっぷは多分熊本からだと思いますが、乗車は鳥栖から。鳥栖駅には、32レ用の停止目標が、設置されていました(写真)。



 その停目に合わせ、ED76 70「分」牽引「なは」が到着(写真)。ヘッドマークは「なは・あかつき」です。



 間もなく同機は解放され、その後にはオハネフ25の、「なは」テールマークが見えます(写真)。



 間もなく、長崎本線ホームに、ED76 66「分」牽引「あかつき」到着(写真)。間もなく、入換です。



 スハネフ15に続いて、「あかつき」が推進で近づいてきます(写真)。「あかつき」のテールマークも見えています。



 そして、編成は連結され、出発準備が整います(写真)。私も乗車、定刻に出発します。



 そして、門司でED76 66は切り離されます(写真)。



 見えるのは、オハ14「レガートシート」の、「あかつき」テールサイン(写真)。大阪発の必須装備です。



 入れ替わり、EF81 410「分」が誘導され、接近します(写真)。そして連結、関門間列車を委ねられます。


 関門トンネルを抜けると下関、機関車が直流機に交代ですが、前面が撮影不可能なのでボツです。



 下関からの牽引機は、EF66 49「関」。京都終着の図です(写真)。平日のため、0番線では無く2番線でした。



 0番線と2番線の間の側線には、前日の「なは・あかつき」を牽いた、EF66 42が停まります(写真)。入換灯を点灯し、京都総合車両所まで、同編成を牽引します。そして入換、今夜の「なは・あかつき」を下関まで牽きます。


 これで夏休みは終わり、遠征は次の長期休暇までお預けです。


 それでは、次回をお楽しみに。

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The Sleepers#55

2016-03-06 | 鉄道写真


 それでは、連載第55夜は、平成18年夏休みの九州からの帰り道、上り寝台特急「富士・はやぶさ」をお届けします。


 今回は、大分へ。大分駅3番線には、寝台特急「富士」が据え付けられています(写真)。牽引機は、大分運転所のED76 66です。富士山形ヘッドマークを装備します。



 3番線へ。今日の「富士」緩急車は、スハネフ15でした(写真)。


 寝台特急「富士」は、定刻に大分を発車しました。



 私は、後続の特急「ソニック」に乗車。「富士」を、途中駅中津で抜きます。そして、小倉から普通に乗車します。


 そして、到着したのは門司。此所が、重要な場所です。


 間もなく、ED76 70「分」牽引寝台特急「はやぶさ」が、門司駅6番線に到着します(写真)。



 到着後間もなくED76は解放され、EF81 410「分」が連結されます(写真)。入換表示のままです。



 続いて、ED76 66牽引「富士」が、門司駅5番線に到着します(写真)。こちらのED76も、運用を解放されます。



 そして、門司港方に入っていた「はやぶさ」を、入換、推進運転し、「富士」と連結(写真)。貫通幌を設定します。



 そして入換終了。ED81 410は、出発を待ちます。定刻に、「富士・はやぶさ」は、東京に向け出発しました。


 この後、2両のED76が回送され、明日の準備をしますが、失念しました。


 そして、帰り道第2弾は、やはりあの場所からです。前回は雨で満足がいかなかったので、再挑戦しました。どうぞ、ご期待下さい。


 それでは、次回をお楽しみに。

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The Sleepers#54

2016-03-05 | 鉄道写真


 それでは、連載第54夜は、平成18年夏の、九州方面をお届けしたいと思います。


 やはり、九州の旅は、夜の、寝台特急から始まります(写真)。「富士・はやぶさ」、EF66 47「関」牽引です。同年GWの、口直しです。


 列車に揺られ、夜を車内で過ごせば、「九州へ行く。」という、旅への期待が、否が応でも盛り上がっていきます。今はそういった感覚が無く、少し寂しいです。



 そして、下関到着の図(写真)。EF66は、下関運転所に帰庫します。



 そして、関門の守り、交直両用のEF81 410「分」に、交代します(写真)。0番代を関門用にした機関車で、JR貨物所属機は重連対応改造もなされています。



 そして、門司からは交流機、ED76 90「分」に交代(写真)。「はやぶさ」ヘッドマークを、前後に装備します。



 ED76 90の、熊本終着の図(写真)。九州新幹線対応工事の、準備工の最中でした。



 緩急車、スハネフ14(写真)。「はやぶさ」テールサインを掲出します。


 博多~熊本間は、時間1本の特急「つばめ」に、時間2本の「有明」が走り、20分ヘッドでした。そのため、博多発後、熊本到着までに電車特急に2回抜かれることから、時間で乗れる列車では無く、博多以遠は車庫への回送も兼ねている、残念な事態になっていました。この頃から、九州特急の最後を意識するようになっていました。


 そして、九州島内を巡りましたが、それは今回のテーマには外れるので、登載しません。そう言うと、次は帰りを意識しますね。


 それでは、次回をお楽しみに。

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The Sleepers#53

2016-03-04 | 鉄道写真


 それでは、連載第53夜は、北海道からの帰り道、青森からお届けします。


 快速「海峡」亡き後青函間を結ぶ特急「白鳥」で、青森に到着。しかし時間が早いので、少々撮影タイムがあります。


 寝台特急「あけぼの」の緩急車、オハネフ24 27です(写真)。上野方が緩急車で、この面に上りは機関車が連結されます。



 青森方末尾の、カニ24 109(写真)。テールマークもバッチリです。



 間もなく、EF81 138「青」が連結され、出発準備が整います(写真)。そして、定時に発車します。



 続いて、DE10 1782に牽引され、寝台特急「日本海4号」の客車が、青森運転所から回送されます(写真)。スポット測光の必要なシーンです。



 そして、据え付けられたカニ24 104(写真)。大阪方です。JR西日本宮原運転所所属であることから、東北スジの列車と、電源車の向きが反対です。



 緩急車、オハネフ25 43です(写真)。24系25形ですが、0番代で、折妻です。



 この日の寝台特急「日本海4号」の牽引機は、EF81 102「敦」でした(写真)。


 この夜はオロネ25、「シングルDX」で、夜を明かしました。



 翌朝、大阪駅に到着した寝台特急「日本海4号」、EF81 102です(写真)。長駆1,000キロ、無事この日の運用を終えました。



 そして、昼過ぎに、「トワイライトエクスプレス」が到着(写真)。EF81 113が牽引しました。


 この写真を撮り終え、帰宅しました。


 今思えば、もっと早く出発して、「日本海2号」も撮ればよかったのですが、残念でした。しかし、貴重な記録となりました。


 それでは、次回をお楽しみに。

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The Sleepers#52

2016-03-03 | 鉄道写真


 それでは、連載第52夜は、平成18年、初夏の北海道、2回目をお届けします。


 道内各地を巡った後に、私は釧路にいました。それは、特急「まりも」に乗車するためです。当時はまだ「周遊券」があり、周遊券を提示すると特急自由席は追加料金無しで使用出来、非常にお得でしたが、制度が難しく、結果全廃されました。


 釧路運転所(釧クシ)から、列車が回送され、釧路駅2番線に据え付けられます(写真、キハ183-501)。特急「まりも」です。


 「まりも」は、かつて北海道に特急が無い時代、函館発釧路行きという超ロングラン急行が冠した列車名で、後に函館~札幌間が分離され、それが急行「ていね」、後の急行「ニセコ」で、SLファンの心躍り上がる列車でした。



 次位は、キハ184-2です(写真)。中間車キハ182と同外観ですが、国鉄時代の長編成特急ではサービス電源が先頭車のみでは不足するため、ディーゼル発電機を装備する中間車で、番代では無く形式で区分されました。これが以降の特急用気動車の形式名番号が変わってしまった原因です。現在の短編成では必須の形式では無く、一部は先頭車に改造されました。



 続いては、オハネ14 504です(写真)。500番代は、北海道対応車の番代区分です。



 その後は、スハネフ14、507のようですが、正確な記録がありません(写真)。つまり、「まりも」は、寝台車が2両連結された編成だったのでした。寝台車の電源車です。



 そして釧路方先頭は、キハ183 210です(写真)。キハ183 0番代の、機関換装車です。


 この夜は、減光された座席車で、安眠したようです。



 翌早朝に、札幌に到着。先頭は、キハ183-501でした(写真)。



 キハ183-210(写真)。釧路方先頭でした。



 暫くして、特急「利尻」が到着(写真、キハ183-1555)。寝台車以外は、特急「サロベツ」と共通運用でした。



 スハネフ14、500番代ですが、車番は失念しました(写真)。



 反対側先頭は、キハ183 1501です(写真)。


 この当時釧路方面特急「まりも」は、特急「おおぞら」から独立し定期列車でしたが、稚内方面特急「利尻」、及び網走方面特急「オホーツク9,10号」は季節臨で、同時に運転されることはありませんでした。これが、この後どう変化したかは、諸兄の知るところです。


 そして、続いては帰り道となるのですが、それはまた次回としたいと思います。


 それでは、次回をお楽しみに。

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The Sleepers#51

2016-03-02 | 鉄道写真


 それでは、連載第51夜は、平成18年初夏の北海道関連をお届けします。


 始まりは、大阪駅、12時00分。列車は、「トワイライトエクスプレス」です(写真)。この日はEF81 44「敦」牽引、青森までのロングランです。



 緩急車、スロネフ25です(写真)。一等緩急車、テールビューを見られる、戦前の特急「富士」以来の、一番の特等席です。雰囲気は、「鴎」か、満鉄か。


 真昼の寝台特急、食堂車では昼食から用意されます。しかし、昼食から夕食までは持参の客も多いです。



 ロビーカー、オハ25です(写真)。一般の寝台客の、足を伸ばせる場所です。夜は、バーになります。



 新津から先、翌朝の洞爺までは、ドア扱いが無いために、外部の撮影ができません。


 そして、遅めの時間帯に札幌着(写真)。牽引機は、ED79を経て、DD51に変わっています(写真、手前1083、奥1138)。もう、見られません。



 そして、乗客扱い後、札幌運転所あて回送されます(写真)。やはり、優雅な列車です。



 間もなく、隣のホームには、「北斗星3号」、DD511137及び1141の重連がやって来ます(写真)。「重」の運用札は、1人で2機のDD51を操作出来る「全重連」を意味します。


 そして、これも発車します。


 そして、当然この後もあるわけですが、それは次回以降としたいと思います。


 それでは、次回をお楽しみに。

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The Sleepers#50

2016-03-01 | 鉄道写真


 遂に8週目に突入した、本連載。まだまだ、続きます。


 それでは、連載第50夜は、平成18年九州行の帰り道をお届けします。


 雨の中、熊本発「なは」を鳥栖まで牽引した、ED76 92「分」(写真)。ヘッドマークは「なは・あかつき」です。停止位置に停止します。



 同機は間もなく切り離され、見えるのはオハネフ25 100番代(写真)。「なは」のテールサインも見えますが、既に照明は消えています。



 向こうのホームに、ED76 94「分」牽引「あかつき」が到着(写真)。間もなく、入換です。



 そして、スハネフ15を先頭に、「なは」に近づきます(写真)。「あかつき」のテールサインも明るいです。


 そして連結、門司でEF81 400番代に交代したようですが、雨で撮影を断念しました。



 翌朝、京都駅0番線に到着した「なは・あかつき」(写真)。EF66 45「関」が牽引しました。


 「さくら・はやぶさ」の併合も鳥栖で行っていたわけで、その頃に記録をしなかったのは残念でした。しかし、こういう記録が後に重要になるとは、当時はそれほど思っていませんでした。撮ったのは正解でした。


 それでは、次回をお楽しみに。

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