Sengoku1985

何故、私は鉄道を撮り続けるのか?

The Sleepers#121

2016-05-31 | 鉄道写真


 それでは、連載第121夜は、当時の福井地域鉄道部敦賀センター(現「敦賀地域鉄道部」)でのイベントからお届けします。


 同所でのイベントは初めてで、かつ次回の予定が無いことから、外すことが出来ません。そのため、平成24年秋の、同所でのイベントに参加しました。


 同所への足は敦賀駅からのシャトルバスで、近くの海産物店の駐車場で下車、歩きます。ゲートをくぐると、ピンクのEF81 107が、歓迎します(写真)。



 その後は、同じくピンクのEF81 101です(写真)。



 メイン会場には、「トワイライトエクスプレス」のヘッドマークを装備した、トワ色EF81 44が停まります(写真)。この横を、上り定期「トワイライトエクスプレス」が、通過しました。



 もう1両のメインは、ピンクのEF81 106、「日本海」のヘッドマークを装備します(写真)。かつては2往復あった「日本海」も、既に定期では廃止、多客臨のみでは維持出来ません。



 EF81 101号機の後は、何が入っているか後から見に行くと、トワ色の113号機でした(写真)。


 隔日の「トワイライトエクスプレス」と多客臨の「日本海」、後は工臨のみとなったこれらのEF81の運用は、現在では定期運用が無く、このままでの維持も困難でしょう。複雑な気持ちです。


 それでは、次回をお楽しみに。

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The Sleepers#120

2016-05-30 | 鉄道写真


 それでは、連載第120夜は、平成24年夏の北海道からお届けします。


 東北新幹線青森開業から半年、E5系がデビュー、まだ「はやぶさ」が数往復だった時代に、「はやぶさ」のグランクラスに乗車。正にファーストクラスで、贅沢な時間を過ごしました。


 そして道内を周遊、久しぶりの北海道鉄道旅行を満喫しました。


 その戻るところ、たまたま手稲方面を目指していると、札幌運転所を発ち始発駅札幌まで回送される、DD51 1137及び1142重連牽引「北斗星」に出くわしました(写真)。これは、非常にラッキーでしたが、残念ながら乗車出来ず、残念でした。


 現在のような状況になると分かっていたら、多分乗っていたと思いますが、そこは今でも後悔が残ります。早く気付くべきでした。残念です。


 それでは、次回をお楽しみに。


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The Sleepers#119

2016-05-26 | 鉄道写真


 それでは、連載第119夜は、平成24年晩夏のJR東日本「東京車両センター」(旧称「国鉄大井工場」)イベントからお届けします。


 同イベント会場の一番北の端は車両を展示し、撮影会が開催される場所です。そこには大体その年の話題の車両が並びます。この年は、157系風塗色の185系の横に、EF81 81が、「はくつる」のヘッドマークを掲出し停まります(写真)。その隣には、E233系中距離形3000番代初期車が停まっています。


 毎年夏休み最後のイベントは、同日に西武新宿線南入曽、翌日には金沢総合車両所本所(旧称「松任工場」)と集中し、なかなか忙しい時期です。掛け持ちは、程度を越えると苦痛なので、ほどほどにしましょう。


 それでは、次回をお楽しみに。

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The Sleepers#118

2016-05-25 | 鉄道写真


 それでは、連載第118夜は、平成24年夏の、EF510 500番代の写真をお届けしたいと思います。


 EF510は、主に「北斗星」「カシオペア」のために導入されたのですが、それだけではあれだけの両数は必要ない。何故あの数だったかといえば、それは常磐線や高崎線などで、JR貨物の運用に就くからでした。とりわけ常磐線は、交直切替が必要であったことから、EF81の時代から運用がありました。


 最初は、水戸駅の側線に停まる、EF510 506です(写真)。「流れ星」マークもしっかり入っています。



 続いては、岩間か土浦か、貨物駅で運用を待つ、EF510 513です(写真)。この光景は、今でも続くと思っていました。


 しかし、震災、及び新幹線の函館開業に伴う改廃で運用を失い、そして現在の状況があります。まさか、銀ガマまでとは思っていませんでした。残念です。


 それでは、次回をお楽しみに。


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The Sleepers#117

2016-05-24 | 鉄道写真


 それでは、連載第117夜は、新潟県の温泉に保存される寝台車をお届けします。


 平成24年夏、私は新潟県にいました。新潟中越から只見経由で東北を目指しますが、その途中で寄った、温泉に保存されるA寝台車、オロネ10 2085(写真)。遙か昔は、列車ホテルとして使用されたらしく、前には9600形が連結され、「SLホテル」と名前が付きそうです。しかしその後の状況から、客車はご覧のとおり傷み、キューロクはキャブが潰れ、当時はかなり悲惨な状況でした。


 数年後近くを通ると、周りの木は刈り払われ、見通しが良くなっていたのですが、諸般の事情により撮影出来ませんでした。残念。


 なお、当時は、只見線を寸断した台風災害で道路も通行不可、遠回りして只見にアプローチしたのを覚えています。確か、新津から磐越西線ルートであったと思います。道路は復旧しましたが、未だ只見線は復旧しません。何とか、ならないのでしょうか。


 それでは、次回をお楽しみに。

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The Sleepers#116

2016-05-23 | 鉄道写真


 それでは、連載第116夜は、鹿児島県阿久根市阿久根駅前の「ツーリングステーションあくね」をお届けします。


 九州新幹線部分開業に伴い、八代~薩摩川内間は「肥薩おれんじ鉄道」となり、新幹線の通らなかった阿久根は、各停のみの駅となりました。


 その駅前に整備されたのが、「ツーリングステーションあくね」です。24系25形寝台客車を2両譲受し、設置されました。手前オハネフ25 2209、奥オハネフ25 206です(写真)。「なは」のテールサインを掲出します。宿泊も、可能なようです。



 手前のオハネフ25 2209は、2人用B個室寝台、”DUET”です(写真)。二つの寝台が横並びの個室で、しかしB寝台のため上段の個室と下段の個室が互い違いで入り、複雑な窓形状となっています。


 なお、B寝台1人用個室は「ソロ」、4人用個室は「カルテット」と呼ばれ、それぞれ利用されていましたが、現存しません。


 24系緩急車は、オハネフ24(三段寝台)及びオハネフ25 0番代(二段寝台初期)までは折妻ですが、100番代以降は切妻です。14系も14形(三段寝台)は折妻、15形(二段寝台)は切妻、区別は容易です。


 この後川内駅前に行ってから、「平川動物園」を忘れたことに気付き、しかし戻るわけにも行かず、再訪に2年かかりました。後悔は、先に立ちません。


 それでは、次回をお楽しみに。

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The Sleepers#115

2016-05-22 | 鉄道写真


 それでは、連載第115夜は、平成24年3月、再び富士急行上吉田の、「ブルートレインテラス」をお届けします。


 同日の改正から、富士急がJR205系を「6000形」として投入、その撮影会に合わせ、合間に訪問しました。


 開設半年程となった同所は、春シーズンに合わせ「さくら」バージョンに変更されました。テールサインも「さくら」になっています(写真)。



 最末尾の、業務用部分(写真)。貫通ドア開閉は、禁止です。



 ボックスも、変わりません(写真)。



 通路(写真)。3段落成車は、通路側と寝台側の窓は同じ大きさですが、2段で落成した車両は、寝台側が上段に合わせ小さくなっています。



 方向幕(写真)。「特急 さくら 長崎」になっています。


 小変化ですが、こんなこともありました。


 それでは、次回をお楽しみに。


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The Sleepers#114

2016-05-19 | 鉄道写真


 それでは、連載第114夜は、平成24年3月のダイヤ改正初日、寝台特急「日本海」の、定期運転ラストランをお届けします。


 平成24年は多くの引退がありましたが、その中でも北陸関連では、「日本海」「きたぐに」の廃止がありました。お別れを、また「疋田の大カーブ」ですることとしました。


 「きたぐに」は何時間も遅れ、捉えることは不可能では無かったようですが寝坊でダメ、結果「日本海」のみです(写真)。EF81 106「敦」牽引でした。



 その、動画があります。正に、最後の花道でした。


 また一つ、名列車が消えていきました。残念です。


 それでは、次回をお楽しみに。


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The Sleepers#113

2016-05-18 | 鉄道写真


 それでは、連載第113夜は、平成24年正月の、「リニア・鉄道館」からお届けします。


 閉園する「佐久間レールパーク」の最後の年に、足繁く通ったことから、「リニア・鉄道館」の招待券を6枚貰い、うち4枚は妹夫婦一家に譲り、1枚は開館早々に使いましたが、やはり開館1年目で、毎日混雑でした。


 そこで、残る1枚を使う機会を窺っていましたが、正月2日なら空いているだろう、と思い、決断。晴れ着も着ずに、鉄ちゃんスタイルで、同館に行きました。


 しかし、残念ながら正月休み中の家族連れが多く、開館早々とはいいませんが、かなりの混雑、シミュレーターは全くダメでした。


 今回のテーマでは、先ずは青帯の2等車、オロネ10-27です(写真)。軽量客車、10系の一員で、ス級あるいはマ級の客車をおよそ10トン軽量化し、ナ級あるいはオ級まで軽くすることに成功しましたが、車両寿命については諸説あります。



 貫通路が開き、中が見えます(写真)。プルマン式(開放式)2段寝台、レール方向に寝台がセットされ、座席はボックスになっています。583系の寝台を、2段にした感じです。



 続いては、白帯の1等車、マイネ40-7です(写真)。戦後米軍接収、解除され、後に職用車になっていました。中は恐らく職用車時代のまま、1等寝台の面影は無いでしょう。


 これらは、建物の奥の保存車両展示スペースに並べられ、保存されなければ記録も出来ませんが、出来れば車内見学出来る機会があると、もっと良いと思います。構造的に、難しい感じはしますが。


 それでは、次回をお楽しみに。

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The Sleepers#112

2016-05-17 | 鉄道写真


 それでは、連載第112夜は、山陰を行く寝台特急、「サンライズ出雲」をお届けします。


 平成23年秋、私は鳥取にいました。目的は、最後であろうEF64 0番代の勇姿を捉えるためです。中勾配用機関車EF64 0番代は末期には愛知機関区に配置され、しかしJR東海でのATS-PT使用開始に伴い、最後の活躍を伯備線に見出していました。しかし間もなくそれも、中央東線でのEH200により捻出されたEF64 1000番代に取って代わられるのも時間の問題で、夏期の昼行貨物は運転室冷風装置もある同形となっていました。


 撮影場所は、山陰本線日野川橋梁。1本目と2本目の貨物の間に、その列車はやってきました、「サンライズ出雲」です(写真)。「クハネ285-3002」が確認出来、則ちJR東海所有のI5編成です。JR西日本車と共通運用で、検車も後藤で行いますが、一応JR東海大垣電車区所属です。



 その時の動画です。古い動画ですが、HDで確かに記録されていました。


 晴れれば大山も入る雄大な景色ですが、現在貨物列車は手前の伯耆大山駅に出来た貨物駅が終点となり、もう二度とこの橋梁をEF64貨物が通ることはありません。残念でした。


 それでは、次回をお楽しみに。


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The Sleepers#111

2016-05-16 | 鉄道写真


 それでは、連載第111夜は、平成23年夏の、大阪、弁天町の「交通科学博物館」からお届けします。


 東京の「交通博物館」に続き、「交通科学館」として開館した2番目の鉄道博物館で、開館当初と比べ展示品、展示車両が増え、庭園に京都駅の上屋の一部を移設し車両展示場とするなど、雰囲気が一変した同館。梅小路蒸気機関車館との統合という話もちらほら聞かれ、それなら行っておこうと、行きました。


 車両は20系の食堂車、ナシ20-24です(写真)。0番代、則ち日車製の20系客車です。「南シナ」(東京南鉄道管理局品川客車区)のペイントも維持されます。


 中では、設備の調理器具を使ってか、カレー等の食事が提供されていました。食べておけば、今頃は、と思うのですが、残念でした。


 それでは、次回をお楽しみに。


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The Sleepers#110

2016-05-15 | 鉄道写真


 それでは、連載第110夜は、富士急行線上吉田の、スハネフ14をお届けします。


 平成23年夏、私は「ムーンライトながら」に乗っていました。取り敢えず朝を迎え、先ずは中央線を西へ。大月から終点河口湖へ向かい、続いて富士山、上吉田と行きました。


 上吉田には、「ブルートレインテラス」として、スハネフ14 20が鎮座します(写真)。最終日の寝台特急「北陸」に使用された1輛です。テールサインは普段「富士」を掲出します。



 入口ドア(写真)。伝統の折戸です。



 車掌室側(写真)。左が車掌室、右側が「業務用室」、中に非常時のハンドブレーキが装備されます。スハネフの「フ」は、ブレーキを意味し、それを装備することから、「緩急車」とも呼ばれます。遙か昔、編成ブレーキが無い時代には、機関車の汽笛に合わせ車掌が客車のブレーキを動作させる、という時代もありました。



 その反対側には、客室へのドアがあります(写真)。斜めの角度が、特徴です。中に入ります。



 通路(写真)。進行方向左側に、寄せられています。



 15番ボックス(写真)。3段寝台当時は更衣室ではないかと思いますが、2段化による寝台減により、寝台にされたと思います。



 通常のボックス(写真、13、14番)。国鉄時代の青のモケットではありません。梯子は、折り畳み式です。



 連結面側の、トイレ(写真)。いずれも和式、横向きですが、当初から2段で落成した24系25形、14系15形は、客室寄りのトイレが縦向きになり、客室スペース及び定員を確保しています。なお、間にあるのは、飲料用冷水器です。右側の機械から折り畳まれた紙容器を膨らませ、水を入れました。0系新幹線にも装備された機械ですが、今ではイメージの沸かない人も多いでしょう。


 この後東京に戻り、両国の「江戸・東京博物館」で開かれていた、都電の企画展を見学し、帰宅しました。関東大震災後の量産車「ヨヘロ」の末路、函館市電の「ササラ電車(除雪車)」も里帰りした、大企画展示でした。


 それでは、次回をお楽しみに。


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The Sleepers#109

2016-05-14 | 鉄道写真


 それでは、連載第109夜は、平成23年早春の、富山駅の朝の光景をお届けします。


 高山本線における社会実験(フリークエント化により、利便性が向上することによって利用が増えるか?)で、国内最後の定期運転となったキハ58系の写真が撮りたくて、行った早朝の富山駅。目的の列車を待つ間に、列車到着案内が流れます。「えっ?もしかして?」と行くと、EF81 43牽引のトワイライトエクスプレスが、何と入線するではありませんか!(写真)これは、タナボタでした。


 なお、この時の主目的は、キハ58系と、速星のDE10貨物であったことから、末尾のカニさえ撮っていませんでした。使用車両の車齢から考えても、そろそろ心配するべきでした。


 それでは、次回をお楽しみに。

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The Sleepers#108

2016-05-13 | 鉄道写真


 それでは、連載第108夜では、再びさいたま市の「鉄道博物館」を取り上げたいと思います。


 永く、国鉄大船工場、後の鎌倉車両センターで保存されていたナハネフ22 1(写真)。今日も、美しく保存されていると思います。



 中の寝台が、見えています(写真)。52センチ幅の3段寝台です。現在、国内の定期運転では、B寝台はありません。



 当時のものかコピーか、20系「あさかぜ」「さくら」デビュー時のパンフレット(写真)。あの頃は、夢のある時代でした。


 対面は「パック(EF58 89)」で、国鉄全盛期を復元しています。またそのうちに、時間を見つけ行きたいと思います。


 それでは、次回をお楽しみに。


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The Sleepers#107

2016-05-12 | 鉄道写真


 それでは、連載第107夜は、平成22年秋の後藤総合車両所本所(旧称「国鉄後藤工場」)のイベントをお届けします。


 前日の幡生から、高速で移動、米子へ。米子市街地から少し、境港線「後藤」駅から行きました。人名が駅名となった、日本では数少ない例です。


 今連載関連では、先ずは285系、クハネ285-2、米イモ(JR西日本出雲電車区)I2編成でした(写真)。地元を完全にスルーしているので、利用は1度きりです。



 建物内には、「まつかぜ」等のヘッドマークの中、「出雲」がありました(写真)。他伝統のヘッドマークも多数ありましたが、連載とは関係ないので割愛します。


 下関と米子を掛け持ちした、当時はそんなことが出来たのでした。今は、年に数回です。少し道具に拘り過ぎて、最近は機会が減っています。


 それでは、次回をお楽しみに。


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