それでは、中国後半戦、その後の進化について見ていきたいと思います。
雑誌に「寝台新幹線が出来た」と聞き、訪問を計画した中国。再び上海浦東空港に降り立ち、乗ったのはSMT(上海トランスラピッド)です(写真)。最高速時速430キロは、営業用の鉄道としては最高速です。ただ、本家ドイツでの事故から、続行運転などは行われず、事実上単線並列で運転されます。まあ、今は時間はかかるながら浦東まで地下鉄も延長され、選択の余地があります。
そして夜行まで時間があったので、南京までの乗車を計画。南京行きCRH2も、8連から16連のCRH2Bに車両が変更され、輸送量の増大に対応していました(写真)。隣には、16連のCRH1も並びます。
先ずは硬座(二等)から(写真)。E2系と同じ3+2列、回転リクライニングシートは、長距離乗車でも疲れません。席が進行方向と反対向きでは、大変です。
先頭から3両は軟座(一等)です(写真)。日本のグリーン車相当で、2+2列です。値段が少々高い(日本人には何でもないような金額ではありますが)ことから、見た限り空席が多いようです。
中には1両、「餐車」(食堂車)があります(写真)。旧来のCRH2A8連では、餐車・硬座車合造でしたが、16連となったことから可能となりました。
その食事(写真)。レンジでチンの弁当です。中国では、日本のような出来合いの弁当は残飯と同じ扱いで、注文を受けてから盛りつけるのが常識らしく、食べている人はいませんでした。確かに、普通の長距離列車の食堂車は、コンロを使っていた雰囲気です(中華料理には、プロパン並みの大火力が必要とのこと)。しかし、CRH2も新幹線同様電子レンジのみでしょうから、今後長距離移動が増えれば、必然的にこのような弁当が増えていくことでしょう。
南京に着くと、向こうに長距離列車の表示が。上海南発北京南行き「動車」です。CRH2Bの16連、遂に長距離列車にもCRHが進出したのでした(写真)。最終的には京広鉄道(北京~広州間)も専用軌道で高速列車を走らせる予定らしく、中国の「大鉄道旅行時代」を実感させられます。
南京で帰りの列車の予約を取り、5元安かったと喜んで、切符を見ると、何と座席番号が無い。何と車両のみの指定でそこに立て、ということのようでした。輸送力の最も大きいCRH1の16連でしたが、満席で且つ立ち席多数、日本では盆か正月か、というような混雑でした。軟座も考えましたが、まあこれも機会だと、そのまま乗車しました。
そしてその夜、お目当ての寝台新幹線、CRH2Eに乗車(写真)。CRH2Eは、CRH2をベースに、両先頭は硬座車、中間14両が軟臥(一等寝台)車でした。CRH2B以降は、中国オリジナルで、ボンネット部にライトが追加されています。
寝台の様子(写真)。2段式で4人のコンパートメント、丁度陰になる出口側の壁には全席液晶モニターが埋め込まれ、旅客案内を夜中も行っています。
トイレ及び洗面所部分(写真)。24系25形を彷彿とさせます。中国が、多くの国の車両設計を参考にし、設計したことが窺われます。
上海~北京間は夜行も多数ですが、私は1日1往復の天津行きを選択。天津からは、「城際高速」CRH3に乗車しました(写真)。CRH3は、ドイツ・シーメンス社との提携で製造された系列、最高時速360キロを誇る高速列車です。北京オリンピックに間に合わせるべく製造されましたが、時期的には微妙でした。北京南~天津間の「城際高速」専用のスプリンターです。
車内の様子(写真)。3+2列、回転リクライニングシートはCRH2譲りです。
最高速360キロの表示を撮りたかったのですが、早朝深夜の外がはっきり見えない時間帯には、最高速は出さないようです(上海トランスラピッドも同じ)。
北京では、オリンピックスタジアム「鳥の巣」、中国鉄道博物館、航空博物館を見学。鉄道博物館は、そのうちに載せたい気はします。
そして帰りは、多数発車の北京発上海行き寝台列車に乗車(写真)。中国で研究が進んでいるCRH1の寝台形も見つけました。
そして上海に戻り、帰国しました。
まだCRH5などもありますが、主に北京以北の東北部にて使用される関係で、記録がありません。そのため、中国編はこれで終わりたいと思います。
そうすると、もう本当に欧米しか残っていません。「欧」は未踏査でもあり、そうすると「米」か。次回にご期待ください。