Sengoku1985

何故、私は鉄道を撮り続けるのか?

Trunk Line#21

2012-06-10 | 鉄道写真


 遂にこの連載も、三度目の正直、本当の最終回になります。今回は、フランスTGV関連を、貰い物の写真で見ていきたいと思います。タイトル写真は、モン・サン・ミシェルです(写真)。



 撮影者が、国際携帯電話で、「パリで自由時間がある、何処へ行けば良い?」と聞くので、私は迷わず、「リヨン駅へ行くべきだ。」と答えました。撮影者は、そのとおりパリ・リヨン駅に行ったようです(写真)。


 リヨン駅は、フランス南東方の玄関口、TGVとして最初に開業した南東線のターミナルです。ここへ来れば、新幹線なら0系に相当する、初代TGVが見られる可能性があります。



 最初は、TGV-Reaseauと思われるTGVが2編成入ります(写真)。リヨン駅という性格からTGV-Atranticが入る可能性は低く、汎用型レゾで間違いないと思います。



 続いて、2階建てTGV、TGV-Duplexです(写真)。輸送量の増加により、客車がダブルデッカーになったものです。



 遂にありました、最初のTGV、TGV-PSEです(写真)。屋根のキセの部分で区別するようです。



 47番という初期のTGV-PSEです(写真)。現在の銀色の塗装が剥げ、かつてのオレンジ塗装だった時代の名残を残しています。この部分が開き、2編成連結運転が出来るようになっています。


 贅沢を言うと、もう少しヨーロッパネタを仕入れたい気がしますが、やはり国内だけでも十分に忙しく、なかなか行けないのが残念です。また、そのうちに。長い間おつきあいありがとうございました。


 それでは、ゆっくりと気まぐれに、次の連載のネタを探したいと思います。それでは、次回をお楽しみに。

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Trunk Line#20

2012-06-03 | 鉄道写真


 高速鉄道シリーズも佳境に入り、アジア地区をさらうと、後は「欧米」ということになりますが、「欧」の自力取材はないため、今回は「米」、すなわちアメリカ合衆国となります。タイトルは、「自由の女神」です(写真)。



 平成19年冬、早朝地元空港から成田へ飛び、成田からJFKへ。ターミナルを結ぶ「エア・トレイン」、通勤電車を乗り継ぎ、ペンシルバニア駅(通称「ペン・ステーション」)へ。昔は駅舎もあったであろうものも、現在は地上部には「マジソン・スクエア・ガーデン」が建っています。


 地下の専用切符売り場で切符を購入し、乗車した”ACELA EXPRESS”(写真、ワシントンDCでの撮影)。アムトラック専用線であるアメリカ東回廊線(ボストン~ニューヨーク~ワシントンDC)を走る高速鉄道です。



 切符(写真)。記名式の切符ですが、列車と車両のクラスの指定はあるものの、席の指定はなく、事実上自由席です。


 そしてその日はワシントンDCにて宿泊。ワシントンDCには、レストランどころかマックさえなく、夕飯には難儀しました。



 次の日、ワシントン発ボストン行きを予約しようとすると、駅員が”Sold Out!”と言います。取り敢えずNYまで行き、その先は車内精算する覚悟で乗りました。しかし、結局精算も無く、車掌に申し出ても1セントも受け取りませんでした。


 そしてボストン到着の図(写真)。2031です。列車は両先頭が機関車のプッシュプル式、フランスの技術ですが、TGVとは異なり全部ボギー車です。フラットステンレスのボディが眩しい!



 ”First Class”車(写真)。車内は2+1列の大型バケット式リクライニングシート、アメリカ人は体格が大きいものだと納得しました。



 ”Business Class”車(写真)。普通車に相当しますが、一般長距離座席列車は「ビジネス」と「コーチ」クラスなので、一つ上といった感じか。



 「ビジネス」の車内(写真)。普通の2+2のシートに見えますが、実はこれは新幹線相当車体での2+2であり、シートサイズは日本のグリーン車並みです。増して「ファースト」は2+1シートであり、正直アメリカ人は本当に体が大きいと思います。



 中には1両、簡単な軽食を出す車両、”Cafe ACELA”があります(写真)。



 エントランスは写真のとおり(写真)、中はカウンター式の売店と、食事席になっています。当時はまだ景気が良く、お釣りはいらないと5ドルでも受け取らない人がおり、多数のコインに混じり残っていました。しかし、アメリカの味付けは塩、胡椒、酢だけで、せいぜいケチャップ程度、正直食べる方は単純な味付けに参っていました。



 機関車に描かれる”ACELA”のロゴ(写真)。モチーフは鳥か、飛行機か。



 そして先頭部の、ボストンイースト駅での姿(写真)。2031の相方は、2030でした。


 元はフランスTGVをベースに造られた”ACELA EXPRESS”。しかしアメリカ東回廊という事情を考慮し、設計が変更されています。車内は大柄なアメリカ人向けに改められ、他諸事情も考慮、かなり違うものとなっています。機会があったら、是非乗車されては如何でしょうか。


 自分自身での撮影はこれだけですが、貰い物の写真があり、468にしたいと思います。次回にご期待ください。

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Trunk Line#19

2012-06-02 | 鉄道写真


 それでは、中国後半戦、その後の進化について見ていきたいと思います。


 雑誌に「寝台新幹線が出来た」と聞き、訪問を計画した中国。再び上海浦東空港に降り立ち、乗ったのはSMT(上海トランスラピッド)です(写真)。最高速時速430キロは、営業用の鉄道としては最高速です。ただ、本家ドイツでの事故から、続行運転などは行われず、事実上単線並列で運転されます。まあ、今は時間はかかるながら浦東まで地下鉄も延長され、選択の余地があります。



 そして夜行まで時間があったので、南京までの乗車を計画。南京行きCRH2も、8連から16連のCRH2Bに車両が変更され、輸送量の増大に対応していました(写真)。隣には、16連のCRH1も並びます。



 先ずは硬座(二等)から(写真)。E2系と同じ3+2列、回転リクライニングシートは、長距離乗車でも疲れません。席が進行方向と反対向きでは、大変です。



 先頭から3両は軟座(一等)です(写真)。日本のグリーン車相当で、2+2列です。値段が少々高い(日本人には何でもないような金額ではありますが)ことから、見た限り空席が多いようです。



 中には1両、「餐車」(食堂車)があります(写真)。旧来のCRH2A8連では、餐車・硬座車合造でしたが、16連となったことから可能となりました。



 その食事(写真)。レンジでチンの弁当です。中国では、日本のような出来合いの弁当は残飯と同じ扱いで、注文を受けてから盛りつけるのが常識らしく、食べている人はいませんでした。確かに、普通の長距離列車の食堂車は、コンロを使っていた雰囲気です(中華料理には、プロパン並みの大火力が必要とのこと)。しかし、CRH2も新幹線同様電子レンジのみでしょうから、今後長距離移動が増えれば、必然的にこのような弁当が増えていくことでしょう。



 南京に着くと、向こうに長距離列車の表示が。上海南発北京南行き「動車」です。CRH2Bの16連、遂に長距離列車にもCRHが進出したのでした(写真)。最終的には京広鉄道(北京~広州間)も専用軌道で高速列車を走らせる予定らしく、中国の「大鉄道旅行時代」を実感させられます。


 南京で帰りの列車の予約を取り、5元安かったと喜んで、切符を見ると、何と座席番号が無い。何と車両のみの指定でそこに立て、ということのようでした。輸送力の最も大きいCRH1の16連でしたが、満席で且つ立ち席多数、日本では盆か正月か、というような混雑でした。軟座も考えましたが、まあこれも機会だと、そのまま乗車しました。



 そしてその夜、お目当ての寝台新幹線、CRH2Eに乗車(写真)。CRH2Eは、CRH2をベースに、両先頭は硬座車、中間14両が軟臥(一等寝台)車でした。CRH2B以降は、中国オリジナルで、ボンネット部にライトが追加されています。



 寝台の様子(写真)。2段式で4人のコンパートメント、丁度陰になる出口側の壁には全席液晶モニターが埋め込まれ、旅客案内を夜中も行っています。



 トイレ及び洗面所部分(写真)。24系25形を彷彿とさせます。中国が、多くの国の車両設計を参考にし、設計したことが窺われます。



 上海~北京間は夜行も多数ですが、私は1日1往復の天津行きを選択。天津からは、「城際高速」CRH3に乗車しました(写真)。CRH3は、ドイツ・シーメンス社との提携で製造された系列、最高時速360キロを誇る高速列車です。北京オリンピックに間に合わせるべく製造されましたが、時期的には微妙でした。北京南~天津間の「城際高速」専用のスプリンターです。



 車内の様子(写真)。3+2列、回転リクライニングシートはCRH2譲りです。


 最高速360キロの表示を撮りたかったのですが、早朝深夜の外がはっきり見えない時間帯には、最高速は出さないようです(上海トランスラピッドも同じ)。



 北京では、オリンピックスタジアム「鳥の巣」、中国鉄道博物館、航空博物館を見学。鉄道博物館は、そのうちに載せたい気はします。


 そして帰りは、多数発車の北京発上海行き寝台列車に乗車(写真)。中国で研究が進んでいるCRH1の寝台形も見つけました。


 そして上海に戻り、帰国しました。


 まだCRH5などもありますが、主に北京以北の東北部にて使用される関係で、記録がありません。そのため、中国編はこれで終わりたいと思います。


 そうすると、もう本当に欧米しか残っていません。「欧」は未踏査でもあり、そうすると「米」か。次回にご期待ください。

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Trunk Line#18

2012-06-01 | 鉄道写真


 遂に終わりが見えてきた、本連載。今回と次回の2回に渡り、中国に技術が輸出された日本のE2系(中国名”CRH2”)を中心に、中国の高速鉄道を見ていきたいと思います。タイトル写真は、正にその”CRH2A”です(写真)。



 中国に色違いのE2系があると聞き、平成19年秋に訪問した上海。上海南站を併設する虹橋空港ではなく、日本の援助で建設された巨大空港、浦東空港に着陸、SMT(上海トランスラピッド)で龍陽路へ移動、上海站近くのホテルに宿泊しました。


 そして朝、駅入口での荷物検査の後候車室(待合室)で待ち、遂に対面した”CRH2”(写真)。南京行きの8連、現在の”CRH2A”形でした。機能的にはE2系1000番台の量産先行車と同じで、8連で前後に連結が可能、2編成で16連になるという設計でした。車内もE2系初期型と同じ、全席回転リクライニングシートは好評のようでした。しかし、中国では直前にならないとホーム改札が行われず、撮影時間は僅かなものでした。


 そして乗車します。設計は恐らく275キロの筈ですが、上海近辺では220キロ程度出ていましたが、高速新線ではないせいか大半は100キロ台でした。



 南京に到着。乗って来た列車は3番ホームに到着。1番ホームにはJR東日本の夢、E2系8+8連の姿がありました(写真)。結局JR東日本ではE2系同士の連結は実現せず、J編成は10連に改められました。



 その編成写真(写真)。8+8連は長いです。


 そして現地で帰りの切符を買い(時間的制約がなければ、自分で買った方が安く買えます)、上海の滞在先に戻りました。



 翌日に上海発香港行き国際列車(香港は自国内ながら「一国二制度」で、国外同様パスポートが必要な場所である)に乗り、翌日昼着く筈が遅れ、夕方になりました。丁度列車が昼間に広州で長時間停車したときに、ホームの向こうに”CRH1”を見てしまい、それを撮りたくなってしまいました。


 そこで折角香港に入国したのに、通勤電車で再度中国入り。駅構内のような施設で通関すると、そこが経済特区である「深玔」でした。


 深玔站にはCRH1が入線し、切符もありましたが、広州から折り返し帰る時間も考え、この時はこの撮影のみで断念しました。しかし、この時に、「次回訪問は広州」と決めました。



 平成20年のゴールデンウィークに、念願の広州行きが叶いました。空港からは広州東站が接続駅で、同駅始発深玔行きも広州発同様に多く、このまま切符を購入、乗車しました。念願の”CRH1”です(写真)。カナダのボンバルディア社の設計をベースとした車両です。



 車内の様子(写真)。車両中間にドアがあり、前後に客室があります(イメージは783系”ハイパーサルーン”です)。シートは3+2ですが3列は固定、2列の一部のみ回転クロスシートで、硬座(2等)はリクライニングではありません。しかし、1両あたりの輸送力は、恐らくCRHシリーズでは最大でしょう。



 そして深玔着、停止位置に据え付けられています(写真)。このまま陸路香港に渡り、香港で泊まり、翌日香港ホンハム駅から在来型高速客車列車(機関車、客車とも160キロ対応)に乗り、広州に戻りました。


 これらの車両は、北京オリンピックに併せ発展する、中国の大鉄道旅行時代を予感させるものでした。その後どう発展したかは、次回に譲りたいと思います。


 それでは、次回にご期待ください。

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