Sengoku1985

何故、私は鉄道を撮り続けるのか?

北の大地から#10

2013-09-30 | 鉄道写真


 連載第10夜の今回は、湧網線(廃止)沿線の保存車を中心にお届けしたいと思います。


 始まりは、分岐点中湧別では無く、現在の線路の終端、遠軽から。D51 859は、屋根付きで保存されます(写真)。形態は、準戦時形に区分されます。



 そのすぐ近くには、単線ラッセル車キ282(キ100形)が保存されます(写真)。



 湧別町計呂地には、C58 139が保存されます(写真)。後2両の客車は、簡易宿泊所となっています。



 隣町の佐呂間町佐呂間駅跡には、D51 565が保存されます(写真)。



 その後には郵便荷物客車、スユニ50 517があり(写真)、更に後には車掌車ヨ8017があります。



 その隣の列には、DE10 1677が保存されます(写真)。同時期のロットには今でも現役がいるところですが、状況は複雑です。



 最後は、網走市卯原内の、9600形49643、オハ47 508です(写真)。


 道北、道東は取りこぼしが多く、未調査の車両も相当あります。載らないからと言って価値が無い訳では無いので、是非そのうちに行きたいと思っています。それまで、ご辛抱を。


 それでは、次回をお楽しみに。

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北の大地から#9

2013-09-29 | 鉄道写真


 とうとう第9夜に突入した、本連載。これから3回で、道東の保存車両を見ていきたいと思います。


 名寄本線(廃止)上興部駅跡に「西興部村鉄道資料館」なる施設があり、ホーム跡にはキハ27 109が保存されます(写真)。サボには「遠軽(名寄経由)」と書かれたものが入ります。



 その後方には、DD14 302の前羽根が置かれています(写真)。「新潟鐵工所」の製造銘板が入ります。本体は、ありません。



 続いて、名寄本線から興浜南線(廃止)が分岐した、興部へ。興部駅跡は道の駅になり、資料館が建ちました。その横には「Rugosa Express」なる施設があり、キハ22が2両(202、251とされる)、簡易宿泊施設になっています(写真)。塗装が改められ、元の車両の雰囲気は残っていません。



 名寄本線渚滑から分岐した、渚滑線(廃止)終点、北見滝ノ上駅跡は資料館となり、横にはスイッチャーが残ります(写真)。小型のDLです。



 そこからも近い場所に、「滝上町郷土館」があり(写真)、ここも車両保存館になっています。写真右側の円筒状の部分がそうです。



 前側には、ラッセル車キ277(キ100形)があります(写真)。近接し、カメラがDXであり、撮影には苦労しました。



 後は、39628(9600形)でした(写真)。こちらは近づきすぎ、像が歪んでいます。



 今日の最後は、名寄本線湧別支線、および湧網線(共に廃止)が分岐した、中湧別へ。駅跡は一部ホームが残り、車両が保存されます(写真)。右側の排雪モーターカーを除き全て車掌車(2+2両)で、2両を溶接し客車のような空間が出来ており、中は展示室になっています。


 撮影はいずれも平成21年で、画像は白飛び、黒飛びも無く安定していますが、全てJpegで撮っていたため、黒つぶれが発生したのが悔やまれます。


 次は湧網線方面でしょうか。


 それでは、次回をお楽しみに。

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北の大地から#8

2013-09-28 | 鉄道写真


 北海道特集第8夜は、北見市街地の保存車体をお届けします。


 ちょうど「ちほく鉄道ふるさと銀河線」廃止直前の、お名残乗車の時に、北見に着く直前の車窓から、明らかに私有地とおぼしき場所に、廃車体が多数並び、その時は大型のタンク体まで転がっているのを発見。「何じゃこりゃ?」と思い、翌日飛行機に乗る直前に、現地を確認。それ以来、北見に行く時には、必ずそこを訪れるようになりました。


 今年も、訪問。一発目は、DD14 312です(写真)。塗装補修の痕跡は認められません。



 続いて、ジョルダン車キ754(キ700形)です(写真)。一時代古く、塗装の傷みは激しくなってきました。



 続いては単線ラッセル車、キ229(キ100形)です(写真)。こちらは、そこそこです。



 その後には、背面を向けるキハ27 26が(写真)。あなたの顔が、見てみたい!



 その横には、スユ15 2033が並びます(写真)。後には、ワフ、ヨが続きます。


 これらの車両が、何故この場所にあるのか、そして所有者は誰か、一切不明です。しかし、そこに残っているのは事実です。池北線廃線跡側、「ハッカ記念館」が目標です。是非、皆さんの目でお確かめください。



 平成18年当時の写真(写真)。下路式転車台の台、タンク体(昭和50年代まで使用された給水塔のタンクと思われる)が転がっているのが分かります。



 そして石北本線地下化区間の地上部には、「SL公園」があり、3両が保存されます。1両目は、C58 119です(写真)。客貨両用のプレーリーです。



 続いては、D51 444です(写真)。不吉なのか、幸運なのか。



 その後には入換動車、DB12があります(写真)。まさに、スイッチャーです。



 そして北見駅裏手に当たる部分には、ここと梅小路にしか残っていないD50オリジナル、25号機があります(写真)。多くはD60に改造され、殆どは現存しません。



 北見市留辺蘂の公園には、D51 311が保存されます(写真)。少々状態が気になります。



 美幌町の公園には、C58 82が保存されます。


 周辺には他にも、状態の良い保存車もいくつかありましたが、条件を緩めると数が増えてしまうので、今回はボツとしました。申し訳ありません。


 それでは、次回をお楽しみに。

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北の大地から#7

2013-09-27 | 鉄道写真


 北海道でも北見地区には、多数の保存車両があります。そのため、第7夜となる今回、及び次回第8夜で、これをお届けしたいと思います。


 最初は、相生線(廃止)の終点である北見相生、その旧駅舎です(写真)。現在、「道の駅」の一部となっています。



 旧ホームに続く線路上、一番南側(終点側)には、広幅雪掻き車(ジョルダン車)キ703(キ700形)が停まります(写真)。正面から見ると、こんな感じです。



 側面からの眺め(写真)。蒸気圧でウイングを開くことから、旧式小型SLを改造して造られる、とのことでした。



 その後に続く貨車(写真)。手前から、トラ74509、ワム180456、ワフ29500です。



 その横にはスハフ42 502が、ライダーハウスになっています(写真)。家庭用エアコンが装備されます。



 一番起点の美幌に近い側には、キハ22 69が停まります(写真)。国鉄標準色、北海道専用形式です。


 たかが一ローカル線の終点でも、これだけの車両が残っています。実は、北見駅近辺には、もっと多くの車両が保存されています。次回、第8夜には、それをお届けします。


 それでは、次回をお楽しみに。

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北の大地から#6

2013-09-26 | 鉄道写真


 それでは、第6夜は小樽を離れ、名寄の「キマロキ」編成から見ていきたいと思います(写真)。写真は、どこかで見た気がしますが、現地でのベストショットと思った写真が、帰ると全然ダメに見え、結果再掲となりました。


 なお、「キマロキ」とは、SL時代の最強除雪編成である、機関車、マックレー車(掻き寄せ車)、ロータリー車、機関車の順に並ぶ編成のことで、頭文字から「キマロキ」と呼ばれます。



 先頭は、機関車。9600形59601です(写真)。マックレー車を牽引します。



 マックレー車、キ900形キ911です(写真)。両側の雪の壁を掻き寄せ、ロータリー車の前に集めるのが仕事です。DD14、DD53の前羽根に相当します。



 ロータリー車、キ600形キ604です(写真)。ロータリー羽根の回転動力を得るために、大型SL並みのボイラと、炭水車(テンダー)を装備し、大型の車両となっています。



 それを押すのは、D51 398です(写真)。いわゆる「標準形」、安定した時期の製造車両です。



 編成末尾には、ヨ4456が連結されます(写真)。


 この編成は現存では唯一となり、「準鉄道記念物」に指定されているとのことでした。数年前、初めて見た時には、正直「すごい」と思いました。なおこの編成は、昭和40年代まで現役でした。



 深川から旭川に至る途中に、ボトルネックがあります。それが、「神居古潭」です。アイヌの時代から難所で、魔神が住む場所とも言われています。開業当初の函館本線もここを通り、現在のトンネルルートが開通するまでここに「神居古潭」駅がありました。現在周辺はサイクリングロードになっていますが、一部閉鎖になっています。旧駅は資料館となり、保存されています(写真)。横のトイレも外観を維持しながら男女別になるよう改装され、動輪のモニュメントもあります。



 ここには、3両のSLが保存されます。1両目は9600形29638です(写真)。



 2両目は、C57 201です(写真)。戦後製造タイプ、北海道と九州に少数のみ配備された、4次形とされます。



 最後は、D51 6です(写真)。「ナメクジ」は、割と残っていますが、キャブまで続く「スーパーナメクジ」は製造2両、残っていません。


 名寄と旭川、上川の保存車両を見ていきました。次は、北見方面でしょうか。


 それでは、次回をお楽しみに。

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北の大地から#5

2013-09-25 | 鉄道写真


 JRの方はいよいよ大変なことになってきましたが、相も変わらず予定通り進めます。第5夜は、小樽市総合博物館の最終回です。


 施設東側の築堤には、貨物列車が二つ仕立てられています。低い側から見ていくと、一番前はDE10 503です(写真)。現在使用されるDE10は、1500番代が中心で(一部DE15編入の3000番代もある)、出力に違いがあるのか。元々DE10は、C58等の中型SL代替であり、機関はDD51に使用されるDML61(1,100PS)のインタークーラーを増強し、1,250PSのDML61Zを1基使用しています。



 全国各地で多数見られたパレット用有蓋車(パワム)、ワム80000形82506です(写真)。末期にはチップ輸送等にも使用されましたが、今年春全ての運用から引退しました。



 続いては石炭車、セキ7342です(写真)。「道外禁止」の文字が大きいです。



 続いては無蓋車、トラ57964です(写真)。同様な貨車は多いです。



 穀物用ホッパ車、ホキ2226です(写真)。貨物が食料のため、屋根付きです。



 その後は、ワフ29984です(写真)。有蓋緩急車、半室車掌室があります。



 その後はDD51 615です(写真)。正面のナンバー切り抜き文字の一部がとれています。



 救援車2両の後は、操重車ソ34です(写真)。クレーンアームは控車チキ6141に納めています。



 そして最後は、車掌車、ヨ7904です(写真)。


 これで小樽は大方説明したと思います。次は、キマロキか。


 それでは、次回をお楽しみに。

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北の大地から#4

2013-09-24 | 鉄道写真


 それでは、第4夜も、引き続き小樽市総合博物館収蔵車両を見ていきたいと思います。


 今日の最初は、初の国産DL、DD13の611号機です(写真)。各地で使用され、DD51充足前は重連で本線に出ることもありました。



 続いては、DD16 17号機です(写真)。簡易線用DL、北海道では手宮線(この博物館のある場所(手宮)から、函館本線に連なる線。廃止)が代表的な活躍場所でした。



 その後の、ホーム状にになっている場所に、列車が据え付けられています。


 一番手前は、キハ56 23です(写真)。キハ58系の北海道バージョン、ちょうど気動車急行混合編成になっています。



 その後は、キロ26 107です(写真)。昔はグリーン車には緑の等級帯が塗られていましたが、後に廃止になりました。



 その次は、キハ27 11です(写真)。この3両で標準的な急行編成が出来ています。



 続いて、キハユニ25 1です(写真)。普通・郵便・荷物合造車、混合編成には欠かせない車両です。国鉄標準色を纏います。



 その後には、ED75 501があります(写真)。北海道地区用電気機関車の試作車、量産車はSG付きのED76 500番代となったため、1両のみの製造に終わりました。



 次は、キハ22 56です(写真)。キハ20系、キハ20の北海道バージョン、酷耐寒耐雪車で、二重窓等冬の北海道で使用できる装備になっています。



 キシ80 12です(写真)。先日のキシ80 34とは反対向きで、食事室側です。



 続いて、C12 6です(写真)。簡易線用SLです。



 今日の最後は、「北海道鉄道開通起点」(0マイル標識)です(写真)。函館でも札幌でもなく小樽で、何故こんな線路の無い場所かと言えば、明治期この場所(手宮)には石炭積み出しの手宮桟橋があり、ここへ石炭を積み出すように鉄道が敷かれたため、ここが起点が置かれました。


 第4夜はこんな感じです。


 それでは、次回をお楽しみに。

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北の大地から#3

2013-09-23 | 鉄道写真


 今回は連載第3夜、引き続き小樽市総合博物館を見ていきたいと思います。


 最初は、DD14 323、ロータリー除雪車です(写真)。掻き寄せとロータリー排雪を1両で行います。


 なお、除雪ディーゼル機関車は、機関車本体の製造メーカーにかかわらず、除雪前頭部は全て新潟鐵工所(現「新潟トランシス」)製です。



 続いてはDD15 37です(写真)。三笠鉄道村の単線形と異なり、複線形です。



 続いてはラッセル車、キ270(キ100形)です(写真)。単線形です。



 同じくラッセル車、キ1567(キ550形)です(写真)。昔は2両並んでいる意味が分かりませんでしたが、完全な複線形ラッセル車です。



 「レールバス」、キハ03 1です(写真)。支線区で使用されたようです。



 開拓使30、「大勝号」です(写真)。日清戦争後に国内で製造されたSL、現存では最古、歴史的にも2番目の国産機関車です。



 ジョルダン車、左キ752、右キ718です(写真)。広幅雪掻き車、旧式小型SLを改造し製造された、とのことです。



 マックレー車、キ800です(写真)。SL時代の最強除雪編成「キマロキ」のマで、現在のロータリー車の前羽根に相当します。



 ロータリー車、キ601です(写真)。本来キ600形ロータリー車は、テンダーを従えた大型SL並みの大きさですが、収蔵の都合でこうなっています。同型機現存は、小樽以外では名寄、会津のみです。



 最後は、動態保存機、「3」アイアンホース号です(写真)。時間が早く、出庫から見ることが出来、転車台に載っています。これもポーター社製、アメリカンスタイルで行われた、北海道開拓使の時代の雰囲気を残しています。



 その、出庫の動画です。



 そして、この日の運転準備が整いました。間もなく出発です。



 出発の動画です。開拓使の時代にタイムスリップした雰囲気です。


 第3夜は、この位で終わりたいと思います。


 それでは、次回をお楽しみに。

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北の大地から#2

2013-09-22 | 鉄道写真


 それでは、鉄道博物館として国内でも屈指の規模を誇る、小樽市総合博物館の所蔵車両を、4回に分け見ていきたいと思います。


 最初は、本館エントランスに保存される、北海道開拓使6号、後の7106「しづか」です(写真)。北海道の鉄道草創期の車両、アメリカのポーター社製のプレートも付いています。後には、同時期の客車が続きます。



 屋外、最初の展示は、キハ82 1です(写真)。昨年撮影時には、塗装補修工事の最中でした。特急の愛称が、山線回りの「北海」であるところが、渋い。



 キハ82 1の車内(写真)。当時は特急でも回転クロスシート、リクライニングシートはグリーン車のみでした。背面の開閉式テーブルは、大半が壊れています。



 食堂車、キシ80 34です(写真)。調理室側の側面、業務用ドアから中に入ることが出来ますが、中はビデオ鑑賞用の施設になっていた筈です。



 その横は、C55 50です(写真)。日本初の国産急行形パシフィックC51の軽量化を目指し、C54の失敗を受け設計されたライトパシフィックです。晩年は北海道と九州でその姿が見られました。



 その後には、日銀の現金輸送車、マニ30 2012が続きます。用途が判明しないように、外観はマニ50に合わせています。現存では唯一の、貴重な車両です。



 その内部も公開されています。日銀職員の、輸送中の滞在室(写真)。寝台、喫煙席等装備されています。



 現金輸送室(写真)。床にペイントで数字が書かれ、下ろす位置を指定していました。


 現在は現金輸送車で輸送されるので、これらの車両は用途を失い、廃車されました。



 北海道のELの主力であった、ED76 500番代、509号機です。客車列車の廃止で用途を失い、1両のみ青函トンネル用に551番に改造されましたが、同機も廃車されました。こちらも、ツララ切りに注目。



 同機の運転台(写真)。左手にブレーキ、右手の扇形の装置がマスコンで、アクセルに相当、ノッチが刻まれています。大体昭和40年代の、他の国鉄形ELと同じです。



 その下からの写真(写真)。ED76の後に、スユニ50 501が続きます。



 スユニ50 501の荷物室(写真)。荷物車としては普通ですが、現在では新聞以外の鉄道荷物輸送は無く、実感が湧かない人が多いでしょう。



 中間は、郵便仕分室です(写真)。客車に郵便職員が乗車し、郵便を区分する、そんな時代もあったのでした。今では、説明のために人形が必要です。



 そして仕分後の郵便の郵袋を置く、郵便荷物室です(写真)。道路が未整備で鉄道しか長距離輸送が無かった時代、このように行われてきました。


 少し長くなるので、今回はこの程度で終わりたいと思います。


 それでは、次回をお楽しみに。

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北の大地から#1

2013-09-21 | 鉄道写真


 暫くお休みしていた本ブログ。新シリーズで再開したいと思います。ここの所の御難続きでどうかとは思いますが、北海道の鉄道博物館の所蔵車両を見ていきたいと思います。


 最初は、三笠鉄道村から。現在は駐車場に並ぶ、電気機関車2と10(写真)。鉱山用機関車です。



 続いては、キロ26 107です(写真)。修復中の旧客2両も並びます。



 その後には、無蓋車トラ72568、除雪モーターカーが続きます(写真)。



 園に入ります。キシ80の後は、DE10 702、後は石炭車セキ6057、有蓋車ワム6672が続きます(写真)。



 建屋横の収蔵庫には、4両入っています。1両目は、C12 2です(写真)。



 2両目は、9600形59609です(写真)。



 3両目は、ED76 505です(写真)。よく見ると、窓上にツララ切りが装備されているのが分かります。



 4両目は、DD13 353です(写真)。日本初の国産量産形DL、直6のDMF31を搭載、これをV12にしたDML61がDD51開発の元となり、更にチューンアップしDE10等が製造されました。



 DD16 15です(写真)。C12、C56淘汰のため、DML61をデチューン、軽量化し、簡易線に対応しました。しかし国鉄貨物が減少し、簡易線では気動車のみとなり、ほとんど廃車されました。スエ32 1、スエ30 41が続きます。



 操重車、ソ81です(写真)。控車は、チキ6147です。



 DD51 610です(写真)。SG搭載の重連形です。非重連のDD51は、横川の1号機以外見たことがありません。横には、首都圏色のキハ22 52が続きます。



 キハ27 23です(写真)。キハ56 16とペアを組んでいます。キハ58系北海道バージョンです。



 単線ラッセル車、キ274(キ100形)です(写真)。



 広幅雪かき車(ジョルダン車)、キ756(キ700形)です。



 現在も各地で使用されるDD14、1号機です(写真)。DMF31を2機搭載、2機ともロータリーに使用する場合、昔はDD14を背合わせで使用しましたが、現在はDE10で後押しします。



 ラッセル車、DD15 17です(写真)。夏期にはラッセルヘッドを外し、DD13同様に使用可能です。ラッセルヘッドに車軸が無いため軸重が重く、入線線区が限定されています。



 三笠鉄道村で忘れてはいけないのは、「テツゲン」S-304です。今日も走っているはずです。


 三笠鉄道村には、こんな感じで車両が保存されています。



 同じ三笠市内には、「クロフォード公園」があり、こちらも鉄道車両を保存しています。その間には、幌内線支線廃線跡を使用したトロッコがあり、三笠鉄道村内から発車します。その「クロフォード公園」側の駅前には、写真のようなDLが保存されます(写真)。車両データは、不明です。



 園内には、北海道初の特急「おおぞら」に使用されたキハ82が展示されます(写真)。キハ82 100、キハ80 150、キシ80 27、キロ80 52、キハ80 145、キハ82 87の順に並びます。



 幌内太駅舎の後には、DD51 548、ホキ2341(穀物用ホッパ車)、ホキ746(バラスト用ホッパ車)、ヨ8006(車掌車)が並びます(写真)。


 三笠市の車両は、大体塗装補修が終了し、美しい姿で保存されます。



 双方の間を結ぶトロッコは、写真のような車両が使用されているようです(写真、平成22年の写真)。


 今回は、長くなりました。次回以降は、もう少し短く区切っていきたいと思います。


 それでは、次回をお楽しみに。

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