Sengoku1985

何故、私は鉄道を撮り続けるのか?

The Sleepers#58

2016-03-09 | 鉄道写真


 それでは、連載第58夜は、敦賀駅の未明から朝の撮影をお届けします。


 日本海縦貫線の夜行列車は、敦賀停車が長く取られていました。それは、機関区の敦賀機関区、後の福井地域鉄道部敦賀センター(現「敦賀地域鉄道部敦賀運転センター」)があるからです。ただ、敦賀第二機関区があった時代から比べると、規模は小さくなっています。


 敦賀に向かう列車は、夜行急行「きたぐに」(写真、クハネ581-22他)。これでないと、間に合いません。米原午前1時発、敦賀は午前2時前後と記憶します。



 朝、普通列車がやって来ます。583系のなれの果て、419系です(写真、クハ419(車番不明))。クハネ581そのままのスタイルで、715系同様、特急形の悲しい最期に、あまり見たくなかった系列です。



 そして、本番1回目は、寝台特急「日本海2号」です。トワイライト色のEF81 43「敦」が牽引しました(写真)。



 同機は切り離され、代わりにEF81 106「敦」が入線します(写真)。



 そして連結され、出発準備が整います(写真)。



 間もなく発車。「日本海3,2号」の客車はJR東日本青森運転所(盛アオ)の受け持ちで、こちら側が電源車になります(写真、カニ24 114)。3段寝台で落成した24系24形の、2段寝台改造車が中心です。



 続いて、寝台特急「日本海4号」が入線します(写真、EF81 48「敦」)。こちらは、機関車交代がありません。



 間もなく発車(写真)。「日本海1,4号」の客車はJR西日本宮原運転所(当時、大ミハ)の受け持ちで、九州特急と同じ向き、そのためこちら側が緩急車、オハネフ25です。



 そして、クライマックス、「トワイライトエクスプレス」です(写真)。EF81 113「敦」牽引です。



 同機は切り離され、代わりにEF81 104が接近します(写真)。



 そして、出発(写真)。客車は同じ大ミハですが、カニ24がこちら側、向きが反対になっています。


 一番贅沢な寝台は、戦前の特急「富士」「つばめ」の時代から、下り最末尾の緩急車と決まっています。それは、展望席になっているからです。そのため、上りは指定を取りやすいようで、機関車次位となるその個室には、不似合いな男性が一人で座っていました。見込みも無しに指定を取ると、惨めで、恥ずかしいです。


 それでは、次回をお楽しみに。

コメント
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