Sengoku1985

何故、私は鉄道を撮り続けるのか?

還らぬ時#5

2011-09-10 | 鉄道写真


  遂に最後を迎えた本シリーズ。今回も、被災車輌集である。


 最初は、キハ100-9である。同車は、山田線津軽石駅構内で被災、津波で押し流され脱線した。走行可能かどうかは、不明である。写真は平成20年1月、宮古駅での撮影である。



  続いて、仙センM9編成、クハ204 3109始め4連である。同編成は野蒜駅付近で被災、津波で押し流されL字形に折れ曲がり脱線大破し、即時廃車された編成である。乗客は避難所に移動したそうだが、その避難所も津波が襲い、どうなったのか、よく分からない。



  最後は、仙センM16編成である。同編成も野蒜駅近辺で被災、長期残留となっているそうである。望遠レンズと、動体予測フォーカスの練習に過ぎなかったこの写真に、こんな結果が待ち受けていたとは。


 正直、E721系大破の写真を見て、自然の猛威には人間は為す術もない、というのがよく分かるが、やはり生を受けた車輌たち、可能な車輌は出来るだけ復活させて欲しいと思う。困難なのは分かるが、それこそが復興という気がする。遠く離れた人間が他人事のように言うように聞こえるかも知れないが、やはり、立ち直って欲しいのである。出来れば、自分の意志で。


 確かに、私は、「セシウムさん」と流したテレビ局のある県に住んでいる。しかし、そうやって他人の不幸を笑っていると、次に順番が来るのは自分たちではない、という根拠は無いわけで、手痛いしっぺ返しを受けると思う。被災地、被災者から多くを学び、自分たちが被災した時に役立てなければならない。所詮、自然を前に、人間が出来ることには限界があるのだから。


 それでは、次のシリーズのための写真を、探してみたいと思う。

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還らぬ時#4

2011-09-09 | 鉄道写真


  今回は、震災被災車輌のうち、E721系関連を見ていきたい。


 最初は、E721系トップナンバー、クモハE721-1ほか4連である。後の2連はともかく、前2両は、震災当時新地駅にて被災、津波で大破した。平成19年7月、福島駅での撮影である。



  同時に被災したのは、P19編成であった。写真手前は同編成、クハE720-19である。同日、仙台駅での撮影である。



  平成19年に、仙台空港鉄道が開通し、E721系の同形、SAT721形がデビューした。写真は、そのデビュー間もないSAT721系、クハSAT720-103、平成20年1月の姿である。新車で、光沢もまだまばゆい。


 同編成は仙台空港駅で被災、路線が水没したため、同駅構内に長期残留ということとなった。


 E721系は優れた電車であったが、低床車で、嵩上げしていないホームに対応していたことから運用範囲が広く、結果被害が出てしまった。


 現在、主に郡山と秋田で被災車輌の修繕を行っているのであろうが、戻せる車輌は早期に復旧してもらいたいものである。

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還らぬ時#3

2011-09-08 | 鉄道写真


  平成17年冬、石巻方面を訪問した。その時、何気なく写した、DE10 1199である。当時、この機関車の最期を予測することは、全く不可能だった。同機は後に更新工事を受け、JR貨物更新色に改められたが、震災の際、石巻港貨物駅構内で地盤沈下部分に転落した。同機はもう二度と動くことはない。



  続いては仙石線、仙センM7編成である。同編成は震災時も写真と同じ石巻駅にいて、床下浸水の被害に遭った。



  続いて、DE10 1642である。同機の姿も石巻での撮影であるが、被害を受けたかどうかは記録がない。運が良いのか。



  次はDE10 1595である。同機も、同様に難を逃れたのか。



  今回の最後は、女川駅のキハ40 519である。同車は当時既に引退しており、駅横の女川温泉の施設として使用されていたが、女川駅もモロに震災被害を受けた場所、当然被災した。転覆した姿が残っている。


 被災車輌の在りし日の姿を見ていると、複雑な心境である。これらの日々は、もう戻らないのである。


 次回は、平成19年の訪問の際の写真を載せたいと思う。

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還らぬ時#2

2011-09-07 | 鉄道写真


  今回の東北シリーズ、タイトル写真として迷った写真、磯鶏駅前に保存されていた、9625である。同駅も海から僅かな距離、現在は当然、跡形もなく壊れているであろう。



  続いては、宮古駅三陸鉄道北リアス線ホームに停まる「さんりくしおさい」号である。レトロ調気動車、「おやしお」号、「くろしお」号の後を継ぐべく導入された気動車である。写真は36-601である。


 震災時、601が南リアス線、602が北リアス線に配備されていたが、震災以来北リアス線の大半と南リアス線全線がストップしており、車輌も水没が多く廃車が大量発生するとのことである。その中に含まれているかは不明であるが、再び元気な姿で走るのを見たいものである。

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還らぬ時#1

2011-09-05 | 鉄道写真


  永く投稿を行っていなかった当ブログ。新シリーズを始めたいと思う。暫くは、撮り貯めた写真から、東北関連を続けたいと思う。


 1枚目は、E5系、でも少し変である。それもその筈、これはE5系の元となった試験車”Fastech360S”、E954-8である。平成18年の仙台車両基地(現在の「新幹線総合車両センター」)のイベントで公開された姿である。



  続いては、同基地の屋外にある、国鉄形機関車である。勿論イベントの時でも見学できたが、入構証を貰えば何時でも見学が出来た。平成21年、秋の撮影である。



  その右手、本館前には、新幹線試験車が保存される。左から221-1、953-5(”STAR21”)、961-1である。


 なお、961形の運転台には、列車の状況の表示をするブラウン管のモニターが装備されていた。今なら液晶画面であろうが、当時はそれしか無かったのである。



  そして昨年の「新幹線総合車両センター」のイベント、先ずはE5系、E514-1である。同車は量産先行車であり、未だS11編成である。



  最後は、同日同センターの留置線で見られた、E6系、E621-1である。同編成もS12編成、試験中である。


 この頃は、あんな大地震など全く思いもよらず、また来年どうしようかなあ、程度に思っていたのである。どうしてこんなことになってしまったのであろうか。「残念」より、後悔の方が先に来る。本当に世の中は、何が起こるか分からないものである。


 これから暫く、記録写真を見ていきたいと思う。

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