Sengoku1985

何故、私は鉄道を撮り続けるのか?

Hokuriku Memories#4

2014-04-30 | 鉄道写真


 石川県ということで、北陸鉄道も勿論対象ですが、このツアーでは廃止間近な「のと鉄道」に乗車。珠洲駅構内にはイベント車、NT800形「のと恋路号」が停まっていました(写真)。



 乗ってきたのはキハ58系、国鉄急行色「リバイバル能登路」でした。主役が2人並べば、当然撮影会が始まります(写真)。



 そして終点、蛸島へ。廃止直前で、多くの人が訪れています(写真)。



 そこへ当時の主力、のと鉄道NT100形2連(番号不明)が入線(写真)。お名残客を捌きます。



 最終号機か、NT127が入線(写真)。同車はお座敷車に改造されていました。


 元々は穴水~輪島間及び穴水~蛸島間を運営すべく造られた三セク、「のと鉄道」。その後七尾~穴水間も移管されましたが、早期に穴水~輪島間が廃止、結局穴水~蛸島間も廃止、現在は七尾~穴水間のみの運営となっています。車両も穴水以遠廃止時に全車NT200形に置き換え、NT100形は一部の動態・静態保存車を除き海外譲渡、NT800形も廃車されました。その話も、追ってしていきたいと思います。


 それでは、次回をお楽しみに。

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Hokuriku Memories#3

2014-04-29 | 鉄道写真


 福井鉄道は田原町が終点、その先は元は「京福電鉄」、現在の「えちぜん鉄道」です。


 えちぜん鉄道の心臓部は、福井口。車両工場があります。そこには、当時は3両の電気機関車がありました。


 その代表的な機関車が、テキ6(写真)。ポールを2本持った電動貨車様の機関車、マスコット的存在でした。現在は引退し、勝山駅構内に留置されます。



 後の2両は凸型。スノープラウを装備した、テキ522です(写真)。



 同形、テキ521です(写真)。こちらは現在も運用に就きます。


 2度の大事故の後、運行停止となった京福電鉄。一時は廃止も検討されましたが、道路渋滞に耐えかねて、三セク「えちぜん鉄道」として復活しました。しかし、支線の永平寺線は復活せず、残念でした。丁度撮影の時期は復活間もない頃で、まだ「京福グッズ」も残っており、良い感じでした。


 続いては、石川県でしょうか。


 それでは、次回をお楽しみに。

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Hokuriku Memories#2

2014-04-28 | 鉄道写真


 福井鉄道のツアー、武生新の後は、当時の「西武生」、現「北府」の福井鉄道車両工場に移動。移動は、モハ122です(写真)。夏の時期、事実上の暖房車でした。



 福井鉄道は、当時も今も機関車は2両。最初は、凸型のデキ3です(写真)。



 もう1両は、デキ11(写真)。元は電動貨車が、機関車に格上げ、除雪もこなします。



 デキ11の、貨車当時の荷室のドアを開けると、中には抵抗体と主幹制御器が入り、空きはありません(写真)。



 こちらは冷房車、モハ203-2です(写真)。鉄道線車両、軌道では梯子が開きます。当時は、ラッピング車はありませんでした。


 デキは何れも現在まで現役ですが、クリームに青帯の旧塗装は現在は見られず、貴重なものとなっています。当時の福井鉄道を思い出す、貴重な一コマでした。


 次回は、やはり同じ福井の私鉄でしょうか。


 それでは、次回をお楽しみに。

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Hokuriku Memories#1

2014-04-27 | 鉄道写真


 私には”Tetsu By Seichiro”というHPがあるのですが、最近数年間、容量もあり更新していませんでした。しかし、折角新しいパソコンも買ったので、更新しようと、HP作成ソフトの最新版を購入。現在、新規格で更新中です。


 その中に、「名鉄600V 最後の輝き」というページがあり、廃止となる名鉄600V区間の車両を追った記録があるのですが、更新するにあたり現況も載せようと思い、過去写真集を見ていました。すると、かなり多数が福井鉄道に移動しているのですが、それによって玉突きとなった車両は、どうなったかなあ、と見ていると、何と記録がありました!


 そこで、今回はそれらをベースに、未発表写真を含め、投稿したいと思います。


 最初は、当時武生新駅に留置されていた、モハ562です(写真)。元名鉄(岐阜市内線)のモ562、その前は北陸鉄道金沢市内線2000形とのことで、数奇な運命を辿った車両です。



 続いては、モハ81(写真)。クハ81とペアを組んでいました。



 続いては、クハ122(写真)。元名鉄モ3000形、その前は三河鉄道(現「名鉄三河線」)デ3000形とのことです。系統板式が、懐かしいです。



 今日の最後は、クハ141(写真)。元名鉄900形(瀬戸線特急用)、その出自は知多鉄道(現「名鉄常滑線」)デハ910形とのことです。2ドア転換クロス車、当時としては贅沢な車両です。


 いずれも平成16年の撮影です。名車たちの、晩年の姿、と言うべきでしょう。


 次回は、福井鉄道2回目としたいと思います。


 それでは、次回をお楽しみに。

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雪男伝説#29

2014-04-23 | 鉄道写真


 遂に、本連載も最終回を迎えました。最終回を飾るのは、正にモンスター、アメリカ合衆国アラスカ州の鉄道車両、”Snow Engine 1”です(写真)。ホワイトパス(ホワイト峠)区間の除雪用として使用される、現在も現役らしい、超大型蒸気ロータリー機関車です。手前の人物の大きさから、如何にこの車両が大きいか、見当がつくと思います。ただ、自分で撮ったものではないことが、残念です。


 連載29回、水曜に始まり、水曜に終わる中途半端な連載でしたが、最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。また、次の連載を、ゆっくりと検討したいと思います。


 それでは、次回をお楽しみに。

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雪男伝説#28

2014-04-22 | 鉄道写真


 最終回までの写真集を見て、デジタル画像は全部確認しましたが、思い出したことが一つ。「そういえば、冬の北海道があったよなあ!」そう、スキャン画像をひっくり返すと、ありました、平成12年の画像が。


 写真は、平成12年2月、「富良野・美瑛ノロッコ号」の運用に就く、DE15 2514(写真)。通常は専用塗装のDE10ですが、この時はDE15が運用に就いていました。2000年のドラゴンの装飾が、目を引きます。また隣には、映画「鉄道員(ぽっぽや)」に出演したキハ40、バス窓風改造車(キハ12 34)が停まります。



 DE15の反対側(写真)。通常もう一方のラッセルヘッドが連結される側、ナンバープレートの真中に突起がついています。右側の茶色の車体は、オハ51改造の客車です。



 その反対側(写真)。重連総括制御機能を利用し、この運転台から機関車を遠隔操作します。



 翌日は、小樽へ。小樽築港駅側線には、DE15 1534が待機します(写真)。複線形です。



 反対からの眺め(写真)。昭和40年代の小樽築港機関区を知る人には悲しい画像ですが、当時はまだ入口に、木造の信号小屋が残っていました。


 そして最終回へ。最終回は、外国の一枚物です。


 それでは、次回をお楽しみに。

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雪男伝説#27

2014-04-21 | 鉄道写真


 そして、遂に当初の最終予定回になりました。フィナーレに向け頑張りたいと思います。


 今年の早春の目標は、185系でも無く、単純に「除雪列車を撮る」でした。何度も失敗し、辿り着いたのは黒姫。JR東日本最後の除雪機関車たちが、活躍する場所です。丁度DE15 1537が、黒姫駅に入線しました(写真)。



 間もなく、折り返しの準備を始めます(写真)。未明に出発、朝には直江津に戻ってしまいます。



 その、黒姫駅入線の動画です。DE15とはいえ、動いている姿が撮れました。



 他日訪問すると、今度は同僚のDE15 1538が、出発前のアイドリング中でした(写真)。


 この区間では、未だDD14が背合わせで運用される、とのことでしたが、今回は遂に一度も逢いませんでした。


 ロータリー機関車は、DD53はすでに亡く、DD14のみです。これも内地では現存2両と、非常に寂しい陣容です。それも、北陸新幹線開業までであり、ラスト1シーズンです。撮れるか、どうか。


 それでは、次回をお楽しみに。

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雪男伝説#26

2014-04-20 | 鉄道写真


 平成25年初秋、私は再び北海道に向け出発しました。フェリーの都合がつかず、結果陸路で。でも、青森からはどうしても乗らねばなりません。


 そして、いろいろ経由しながら、道東へ。写真は、遠軽駅にも近い公園に保存される、キ100形キ282、単線ラッセル車です(写真)。前年に列車の車窓から発見するも下車できず、結果翌年愛車と共に確認しました。D51と共に保存されます。



 続いては、音更町に保存されるジョルダン車、キ704です(写真)。士幌線(廃止)沿線であった同町、廃止後も9600形と共に保存されます。



 今回最後は、南大夕張駅跡に保存される、三菱大夕張鉄道(廃止)キ1です(写真)。保存会による修復により、美しい姿になっています。


 因みに、有名な「夕張三弦橋」は、ここからすぐそばの場所になるのですが、現在はシューパロダム建設により周辺へのアプローチは不可能となり、超望遠レンズが無いと、撮影は不可能です。


 去年の話をすると、間もなく今年の話となり、間もなくか、と思いますが、遺漏があり、もう少し続きます。もうちょっとだけ、お付き合いください。


 それでは、次回をお楽しみに。

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雪男伝説#25

2014-04-19 | 鉄道写真


 平成24年10月、私はJR西日本敦賀地域鉄道部のイベントに参加すべく、敦賀にいました。敦賀駅からシャトルバスが出ているのでそれに乗り、暫くするとエントランス近くで下車。そしてゲートをくぐり、敦賀地域鉄道部に入ります。


 エントランス横の線路には、DD15 10が停まります(写真)。少し塗装が傷んでいますが、現在はどうなっているのでしょうか。しかし写真の雰囲気は、「これは模型です」と言っても、それでも本当のように見えます。



 メイン会場の建屋には、123系、521系、EF81などと並んで、DE15 1004が展示されます(写真)。現在の主力ですが、キヤ143系投入に伴い、今後JR西日本でも数を減らすのでしょう。



 その反対側(写真)。編成の雰囲気が、分かります。


 やはり、「100周年」などの記念イベントは、次回が無いことから、必ず行かなければなりません。行けば、その時だから撮れる写真もあるのです。失敗の無いように。


 それでは、次回をお楽しみに。

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雪男伝説#24

2014-04-18 | 鉄道写真


 北海道で記録的な猛暑となった平成24年、9月の遠征では、続いて特別快速「きたみ」で、北見へ。前日の貨物列車脱線が原因で石北貨物が運休、最大の目的は達せられませんでしたが、続いて「ある」目的地に行きます。


 それは、ちょうど「ちほく鉄道ふるさと銀河線」廃止時の訪問で、車窓から偶然見つけた場所で、それ以来、北見に行くと必ず寄る場所となっています。かつては給水塔のタンクや下路式転車台が放置されていましたが、今は車両のみです。


 1枚目は、左がジョルダン車キ754、右はロータリー車DD14 312です(写真)。DD14は、掻き寄せ羽根が警戒トラ色に塗られています。



 もう一枚は、単線形ラッセル車、キ229です(写真)。奥にはキハ27、スユニ50が放置され、北海道における鉄道衰退の生き証人として、哀れさを誘います。


 本当に、「何じゃこりゃ!」という世界ですが、皆さんも、北見に行ったら、是非見てきてください。目標は「ハッカ記念館」です。


 それでは、次回をお楽しみに。

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雪男伝説#23

2014-04-17 | 鉄道写真


 平成24年初秋に、私は北海道遠征に行きました。それ自体は他で語るべきですが、その際に、鉄道ファンが北海道に行ったら絶対に外さない場所、そう小樽市総合博物館に行きました。今回はここの雪男たちです。


 最初は、以前も取り上げた、DD14 323です(写真)。雪質は異なりますが、基本的には内地のDD14と同じです。



 続いては、DD15 37です(写真)。複線形ラッセル、こちらも同様です。



 次は単線形ラッセル車、キ270です(写真)。左右対称のラッセル車です。位置が変わりました。



 背合わせに並ぶのは、複線形ラッセル車、キ1567です(写真)。右寄りのラッセル車です。残存はあと1両きりの、貴重な車両です。



 続いてはジョルダン車、左キ752、右キ708です(写真)。旧式小形SLを改造し製造された車両のため、個体差が大きいのが特徴です。



 庫の中に入るのはキ800、マックレー車です(写真)。ロータリー車の前に雪を寄せるのが仕事、歴史的建造物の扇形庫は、狭い住処です。



 最後はロータリー車、キ601です(写真)。大型SL並みのサイズの車両が、こんな狭い場所に収まるには、テンダーを外したからです。これだけでは動態復元も出来ません。


 肝心の写真で頭が切れ、予備デジカメの画像を急遽登載したのは、まだ技術が未熟だから。今後とも努力します。


 これで、蒸気ロータリー車、現存全3両を載せました。他にもあるというなら、是非ご教示ください。


 それでは、次回をお楽しみに。

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雪男伝説#22

2014-04-16 | 鉄道写真


 平成24年7月、私は会津へ向かいました。恐らく西会津町になるのでしょう、神社前にあるという除雪車を見にです。六十里越を通りたかったのですが、現在も只見線を運転不能にする台風災害の影響で、当時は道路も通行止めでした。


 仕方が無いので新潟を経由し、内陸に入ります。予想した位置より手前にありました、ロータリー除雪車、キ621です(写真)。小樽、名寄とここのみに残る、SL時代の蒸気ロータリー車です。こちらもテンダーを装備する大型の車両です。内地に残っていたことに、私は感激し、震えました。



 その回転部(写真)。日本以外の車両でも、この部分は大体赤色です。


 多分、前にはマックレー車はあったのでしょうが、現在は残っていません。



 その後にはラッセル車、キ172が保存されます(写真)。こちらは、一般的な形です。



 更に山中になる、日中線(廃止)会津熱塩駅跡に保存される、キ287です(写真)。ラッセル車キ100形では、最終期の車両でしょう。


 ここは、鉄道があったことさえも一時忘れられていた場所ですが、地元の人々の努力により駅は美しく復元整備され、車両も手入れが行き届いています。近くには温泉宿もあるそうなので、そちらも是非どうぞ。


 こんな写真を見せてしまうと、自家用内燃機関が欲しくなります。基本電車にプラスして、が正しい姿ですが、残念ながら私もそうではありません。まあ、なるべく鉄道に乗るよう心がけましょう。


 それでは、次回をお楽しみに。

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雪男伝説#21

2014-04-15 | 鉄道写真


 平成24年初夏に、新潟へ行きました。行ったのは月潟、新潟交通(廃止)の保存施設です。ここ自体は何度も訪れていますが、先回は雪囲いされていたため断念していたことから、再挑戦となっていました。


 この雪男はラッセル車、キ116で(写真)、元は国鉄キ100形と思われます。営業当時は、後に控えるかぼちゃ電車、モワ51(電動貨車)が後押しし使用されていた、とのことです。


 ここには屋根がありませんが、状態は良好です。それは、冬期にはブルーシートを被せ保存しているためで、冬期に行くとガックリします。撮影は、春から秋までがお薦めです。


 小坂、新潟と来ると、次あたり、あそこへ行くのではと思いませんか?そうです、次回はあそこです。次の、クライマックスになっているでしょうか。


 それでは、次回をお楽しみに。

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雪男伝説#20

2014-04-14 | 鉄道写真


 平成23年のシーズンは寂しいものでしたが、翌24年に復活。6月に、小坂鉄道(廃止)のイベントがあると聞き、遙々秋田県の端、小坂まで行きました。前々日の晩に出発、前日は大館で泊まり、イベントに備えました。


 勿論主役は、4両の55tディーゼル機関車、DD13タイプですが、モーターカー、無蓋車と共に展示されたのは、緑色のラッセル車、キ115でした(写真)。通常黒に塗られるラッセル車を、こんな鮮やかな緑に塗るのは、洒落ています。


 硫化鉄精錬時の副産物、硫酸を運搬し、貨物専業となった末期の小坂鉄道、営業中に訪問できなかったのは残念でしたが、主要な車両は動態で残り、現在小坂駅周辺を公園化すべく整備中で、昨年仮オープンし、本オープンに向け準備中とのことです。少しでも、多くの車両が残って欲しいですね。


 それでは、次回をお楽しみに。

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雪男伝説#19

2014-04-13 | 鉄道写真


 平成23年早春、米原駅で待っている時に、とあるポスターを見つけました。「米原市役所に、ラッセル車がある。」とのことで、その時には行けませんでしたが、ブログ取材の谷間の日に、滋賀県米原市役所に行きました。


 行って発見したのは複線形ラッセル車、キ500形キ555で、そのナンバーのせいかもしれませんが、運良く残りました(写真)。見ての通り片側に寄った複線形で、残っているのは、ここと小樽のみです。この時は感激し、前後左右、考えられる全ての方向から撮りました。


 多くの複線区間では、早期にディーゼル機関車DD15・DE15が配備され、当時はSLも含め、旧式車が顧みられる時代では無かったため、ほとんどが解体、運良く残った1両ということでしょう。



 春が来て、岐阜県高山市内へ。以前どうやっても発見できなかった、9600形の捜索のためです。インターネット地図で見当をつけ、カーナビに入力すると、ありました、キューロクが。その横には、お誂え向きに、ラッセル車まであります(写真)。キ132、キ100形単線ラッセル車としては、早期のロットに入るでしょう。


 これが、「近所の」雪男たちです。でも、貴重でしょ!


 それでは、次回をお楽しみに。

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