Sengoku1985

何故、私は鉄道を撮り続けるのか?

The Romance#4

2012-12-19 | 鉄道写真

 それでは、小田急ロマンスカーシリーズ最終回、ポストバブルのロマンスカーを見ていきたいと思います。

 RSE、EXEの経験を経て、小田急が満を持して世に問うたのは、50000系、”VSE”です。伝統の前面展望に加え、車両屋根がドーム状になり、”Vault”の略で”VSE”と名付けられました。写真は第1編成、50001始め10連です(写真)。3号車、8号車はカフェカーとされ、2両移動すればどこからでもたどり着けるようになっています。また、空気バネ車体傾斜装置も装備され、連接部分の高い位置に傾斜装置が装備されます。

 その動画です。特徴ある前面に、縦2席(複座)の二階運転台、純白のボディにオレンジの線が映えます。50001との初対面でした。

 同じく第2編成、50002始め10連です(写真)。全2編成、休日はフル稼働です。主に、小田原までノンストップの”スーパーはこね”に充当されます。

 50002始め10連の動画です。

 小田急の新たな看板特急、デザインを追求したため、製作は非常に困難であったでしょうが、通年運用のための、第3編成の登場が待たれます。

 続いて登場したのは、60000系”MSE”です(写真)。東京メトロ千代田線、有楽町線への入線を考えた設計であり、車両限界、正面貫通路等、地下鉄対応になっています。連接車ではなくボギー車で、6+4連で運用されます。写真の編成は6連の基本編成、正面は4連付属編成と連結する側で、貫通幌カバーが特徴です。貫通路下部に”Blue Ribbon”と書かれる編成(正面一番前は60252)です。

 付属編成正面から見た、4+6連の編成です(写真、60052+60554、いずれも平成23年度新製車)。流線形の正面にも、非常用貫通路が装備されます。

 MSE10連の、通過の様子の動画です。今後も増備が続くであろう形式です。

 小田原以遠、箱根湯本までの設備の有効長の関係で、6+4両で設計され、6連は箱根湯本まで、4連は小田原切り離しになります。そのため、基本6連は4編成、付属4連は2編成という陣容です。6+4連と、6連の行き違いの動画です。静止画としては完全にボツですが、動画としては意味があります。

 他日、基本編成の流線形正面です(写真)。こちら側も同様に、非常用貫通路が装備されます。

 60000系”MSE”は、”メトロはこね”、”メトロホームウェイ”等、東京メトロ乗り入れ用と思っていましたが、現在は新宿発御殿場行き”あさぎり”にも用いられます。つまり、”MSE”の”M”は、「メトロ」ではなく「マルチ」の略のようです。

 現在の小田急は、”VSE”という新たな看板を得て、また汎用性の高い”MSE”もあり、ロマンスカーも新たな時代を迎えた、ということでしょう。今後も発展を続けて欲しい、と思う一方、古い車両も残って欲しい、という気もします。どのように展開していくか、今後とも目を離すことが出来ません。

 おまけ。小田急で、一番小田急らしい顔をしている電車は、やはり5000系にトドメを刺します。永きにわたり活躍しましたが、遂に今年3月にピリオドを打ちました。最終期まで活躍した、5063始め4連が、ステンレスの6連と共に小田原に向かう姿(写真)。これも、もう二度と見ることが出来ない姿です。

 今後、また次のシリーズを、じっくりと検討したいと思います。

 それでは、次回をお楽しみに。

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The Romance#3

2012-12-18 | 鉄道写真

 バブル景気になる直前に、国鉄は分割民営化され、御殿場線はJR東海の路線となりました。御殿場線電化前から、小田急は同線御殿場まで乗り入れており、松田駅近くには小田急との連絡線もあります。それに目をつけたJR東海が、この御殿場行き特急を沼津まで延長運転することを企画し、それまでの”SSE”に取って代わる車両を、JR、小田急共に新製しました。

 その小田急側の車両が、20000系”RSE”です。JR車が検車等で使用できない時のために2編成新製し、間合いで”はこね”で使用できるよう、ダブルデッカー車2両を含むボギー車7連となりました。

 写真は、20000系”RSE”第2編成、20002始め7連です(写真)。上り”あさぎり4号”の運用に就きます。

 その動画です。これを逃すと”あさぎり8号”まで待たねばならず、時間的に撮影は困難でした。

 第1編成、20001始め7連が、箱根湯本に向かう姿(写真)。晴れた日の午後は、この角度になります。

 他日撮影の動画ですが、これも第1編成です。

 第1編成の”あさぎり”運用が見たかったのですが、この日も”あさぎり4号”は第2編成でした(写真)。もう、撮り直すことも叶いません。

 永く沼津まで運転された”あさぎり”でしたが、本年3月改正で運転区間は元の御殿場まで縮小、車両も60000系”MSE”に置き換えられ、20000系”RSE”は全車引退しました。特にJR区間での利用率が低かったことが原因のようです。正直JR区間の特急料金は、小田急区間と比べ短距離なのに割高で、通しで乗るメリットがあまり感じられませんでした。残念ながら経済原則に従った、ということです。

 番外編ですが、”RSE”の相方は、JR371系、外部デザイナーに車両デザインを依頼した車両で、国鉄では設計できなかったであろう車両です(写真)。この編成は現在定期仕業を失い、時々JR東海の臨時列車などに使用されるのみです。

 これも、同地点での動画があります。歴代ロマンスカーにも劣らないデザインです。

 そしてバブル期の小田急の顔、30000系”EXE”です(写真)。これも20000系”RSE”同様ボギー車で、箱根湯本・片瀬江ノ島行き分割・併合急行同様に6+4連で、付属4両は片瀬江ノ島行きの運用もあれば、小田原切り離しの運用もあります。

 20000系”RSE”といい、30000系”EXE”といい、いずれもボギー車で、ロマンスカー伝統の連接車体ではなくなってしまいました。そのため、20000系”RSE”はともかく、30000系”EXE”は「ロマンスカーらしくない」という声もありました。バブル期の、観光地行き輸送力特急、そんな感じです。

 30000系”EXE”はあまりにもありふれていて、正直撮影意欲はあまり湧きませんでした。まあ、動画はこんな感じです。

 しかし、バブルは崩壊し、小田急は再び「ロマンスカー」の原点へと戻ります。次回は最終回となりそうですが、その現在の姿を見たいと思います。

 それでは、次回をお楽しみに。

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The Romance#2

2012-12-17 | 鉄道写真

 小田急の特急群、3100系”NSE”に続いてデビューしたのは、7000系”LSE”です。”NSE”同様に運転席を二階に上げ、乗客が正面展望を楽しめる車両で、近代的に洗練されたデザインに改められています。当初は”NSE”同様オレンジにグレーの帯を纏う塗装でしたが、後述の10000系のデビューに合わせ、塗装が改められました。暫くは4編成全部新塗装でしたが、うち7004始め11連がリバイバル塗色になったことで話題になり、前述の海老名でのイベント時にも、遠くながら並んでいました(写真)。当時の機材では、これが限界でした。

 ロマンスカー旧式車の整理が始まるとのことで、今年の早春に、定めたポイントで撮影を敢行しました。

 先ずは新塗色の7001始め11連です(写真)。現在、同編成は引退し、同塗色の7003始め11連はリバイバル塗色に戻されたことから、この塗色は現存しません。

 その通過の動画です。当時はまだ現役でした。

 約3週間後、同地点を通過する7004始め11連(写真)。リバイバル塗色です。7000系現存2編成がこの塗色ですが、普通「リバイバル塗色」を纏う時、というのはどういう時か、多分分かると思います。

 その動画です。これも、今後貴重となります。

 7000系に続いてデビューしたのは、10000系”HiSE”です(写真、10041)。7000系を改良し、展望席以外をハイデッカーにするという、当時の流行りを取り入れた車両です。しかしその設計が車両寿命を縮めることになる、などということを、当時誰が思ったでしょう。

 その後10000系は、バリアフリーの時代にハイデッカーが災いし、2編成が引退、残る2編成も今年3月に引退し、現役の車両は存在しません。その直前、今年早春に捉えたもの(写真)。事実上10001始め11連しか残っておらず、正に最期のカウントダウンでした。

 同地点、別日の撮影(写真)。これも10001始め11連です。

 同地点で撮った、10001始め11連の動画です。もう、動く姿を撮ることは出来ません。

 ところ変わって長野県、長野電鉄では、「りんご電車」2000系の後継を探していたところ、丁度”HiSE”の引退で、それを譲受する話となりました。しかし、長電では3、4両が限界、11両では長すぎます。そのため、製造元の日車にて、連接11両を連接4両に短縮する改造を行い、甲種回送で遥々首都圏、長岡を周り(篠ノ井線の車両限界をオーバーしたため)、屋代から長電屋代線(現在廃止)経由で入線しました。

 その、長電須坂駅にて運用を待つ姿(写真)。長電では1000系「ゆけむり」と呼ばれます。

 ロマンスカーは、”SE”以来伝統的に連接車でしたが、バブルの時期に、一大方針転換します。それは、一体どういう転換だったのでしょうか。

 それでは、次回をお楽しみに。

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The Romance#1

2012-12-16 | 鉄道写真

 敵対的国家の車両ばかり載せて、閲覧者もいなくなった当ブログ。その反省もあり、暫くは国内ネタを載せていきたいと思います。

 関東で、有料特急で行くのは日光か箱根です。日光は大体同じ形式の特急ですが、箱根は違う。色とりどりの特急が、頻発しています。その元祖は、小田急3000系、いわゆる”SE”と呼ばれる特急です。現在、小田急海老名検車区に2両保存されます。

 その内の1両、3021です(写真)。引退後、オリジナルの姿に復元されました。特急「乙女」を掲出しています。

 もう1両は3022、後に編成を短縮し”SSE”と呼ばれ、御殿場行き「あさぎり」となった時代の姿で保存されます(写真)。

 製造は昭和32年日車、昭和60年に川重で改造されています(写真)。それだけ先進的な車両だったのでしょう。新製間もない頃、東海道本線で速度記録を残した、という話もあります。

 3021には、「鉄道友の会」から、昭和32年「ブルーリボン賞」が授与されています(写真)。第1回受賞車両でした。

 3000系から発展して製造されたのが、3100系”NSE”です。3000系の技術に、名鉄パノラマカー同様の展望室を設けた車両(名鉄”パノラマカー”製造は昭和36年、”NSE”は昭和38年)、以降のロマンスカーの範となりました。そのうちの1両、3181が、開成駅前に保存されます(写真)。愛称は「ロンちゃん」だそうです。

 展望席の様子(写真)。名鉄”パノラマカー”同様に、運転席が二階に上がったことで、最前部が座席となりました。右側に階段が写っていますが、これは見学用に後年設置された階段、運用当時は上から梯子が降り、それを登っていました。

 運転席の様子(写真)。これも名鉄と大体同様です。

 初期のロマンスカーは、こんな感じです。しかしこれだけの名車が、この程度しか残っていないのは、少し残念な気がします。

 次回は、これを受けて製造された、後継車でしょうか。このシリーズは、少し続きそうです。

 それでは、次回をお楽しみに。

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