それでは、連載第52夜は、平成18年、初夏の北海道、2回目をお届けします。
道内各地を巡った後に、私は釧路にいました。それは、特急「まりも」に乗車するためです。当時はまだ「周遊券」があり、周遊券を提示すると特急自由席は追加料金無しで使用出来、非常にお得でしたが、制度が難しく、結果全廃されました。
釧路運転所(釧クシ)から、列車が回送され、釧路駅2番線に据え付けられます(写真、キハ183-501)。特急「まりも」です。
「まりも」は、かつて北海道に特急が無い時代、函館発釧路行きという超ロングラン急行が冠した列車名で、後に函館~札幌間が分離され、それが急行「ていね」、後の急行「ニセコ」で、SLファンの心躍り上がる列車でした。
次位は、キハ184-2です(写真)。中間車キハ182と同外観ですが、国鉄時代の長編成特急ではサービス電源が先頭車のみでは不足するため、ディーゼル発電機を装備する中間車で、番代では無く形式で区分されました。これが以降の特急用気動車の形式名番号が変わってしまった原因です。現在の短編成では必須の形式では無く、一部は先頭車に改造されました。
続いては、オハネ14 504です(写真)。500番代は、北海道対応車の番代区分です。
その後は、スハネフ14、507のようですが、正確な記録がありません(写真)。つまり、「まりも」は、寝台車が2両連結された編成だったのでした。寝台車の電源車です。
そして釧路方先頭は、キハ183 210です(写真)。キハ183 0番代の、機関換装車です。
この夜は、減光された座席車で、安眠したようです。
翌早朝に、札幌に到着。先頭は、キハ183-501でした(写真)。
キハ183-210(写真)。釧路方先頭でした。
暫くして、特急「利尻」が到着(写真、キハ183-1555)。寝台車以外は、特急「サロベツ」と共通運用でした。
スハネフ14、500番代ですが、車番は失念しました(写真)。
反対側先頭は、キハ183 1501です(写真)。
この当時釧路方面特急「まりも」は、特急「おおぞら」から独立し定期列車でしたが、稚内方面特急「利尻」、及び網走方面特急「オホーツク9,10号」は季節臨で、同時に運転されることはありませんでした。これが、この後どう変化したかは、諸兄の知るところです。
そして、続いては帰り道となるのですが、それはまた次回としたいと思います。
それでは、次回をお楽しみに。