写真家・長倉洋海さんのギャラリートークが、
『 私のフォトジャーナリズム 』と題して、土門拳記念館で開催されました。
冒頭、フォトジャーナリズムは「しつこさ」にあると言い、
いい写真が撮れるまでしつこく、カメラを持ってしつこく迫るとの事でありました。
お話は、2001年9月に暗殺された、アフガニスタンの国防大臣であり軍司令官の、
マスードさんの事を中心に進められ、また、現地における取材での出来事や、
長倉さんがマスードさんに惹かれた理由、その人間性、更には、「写真」に対する
考えなど、一言一言を実直に、そして思いを込め、お話を頂きました。
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「マスードは自分の価値観を人に押し付けない。」
現地取材で共にした、マスードさんの人間としての魅力を語る長倉さん。
「自分が一生懸命に生きる事で神が喜ぶ。」
「勝敗ではなく、その中でどう生きたか、いかに生きるが大切。」
という、マスードの信仰・思想にも触れられ、
その人間性の素晴らしさを熱く淡々と話されました。
読書が大変お好きであるとのマスードさんは、
おかれている母国での状況下、国防大臣として、軍司令官として、
大変な重圧の中にあっても、時間をみては読書をしていたそうで、
スライドショーで紹介された、穏やかな時間の中で草原の丘の上に寝そべって
読書をするマスードさんの写真は、見ていて大変印象深いものがありました。
また、長倉さんがこれまでの取材の中で感じた事についても、
「今、この瞬間の世界を示す写真は撮れないが、撮り続ける事で見えてくるものがある。」
「何度も現地に足を運ぶ事で、その度に新しい発見がある。」
「そして、どんなに取材を重ねても、世界のほんの一部しか知らない事を痛感する。」
気付かなかった事、知らなかった事を伝える写真が撮りたいという長倉さんは、
写真について、” 写真は音も動きもないが、見る者へ想像する事を教える。” と言います。
写真の素晴らしさと共に、その想像力の大切さも強く語り、
その言葉は僕にとって大変貴重なものとして、心に深く浸透してくるように感じられました。
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長倉さんは、人間を撮る事で「自分」が見えてくると言います。
また、色々な人々と出会い、その逞しさや美しさを目の当たりにし、
「希望」というものを与えられたと言います。
写真集に収められた人々の姿を拝見すると、
一生懸命に生きる事で見えてくるもの、そして、人々の輝きというものが、
長倉さんの想いものせて、静かに強く伝わってくるように感じられました。
「マスメディアが伝える程、世界は残酷ではなく、絶望的ではない。」
「伝えている部分は薄っぺらな世界である。」
「多くの人々との出会いの中で見てきた逞しさや美しさは、まさに希望である。」
原稿など無く、常に私達を見ながら語られたその言葉1つ1つは、
現地の実情と共に、僕にも「希望」を与えてくれました。