雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

パンダが帰った

2024-10-04 06:30:00 | 昨日の風 今日の風

パンダが帰った
リリーとシンシンが生まれた国に帰っていった
長い間立ち尽くしても見られるのはほんの数分だけだ。
早い人は、前日の夜から並んだ人も少なくない。上野動物園には開園前から長蛇の列ができていた。この時日本に来たのはリリーとシンシンだった。2011年のことだった。来てすぐに東日本大震災があった。2017年にはシャンシャンが生まれたが、2023に生まれ故郷に返還された。2021年には双子のシャオシャォとレイレイが生まれた。パンダの人気はまた過熱した。「コロコロとしたぬいぐるみのようなわんぱく、おてんばをあやす姿には、眼を細くさせられた」と朝日新聞・天声人語氏は当時を懐かしむ。
そのリリーとシンシンが中国へ帰っていった。19歳という高齢になり健康を考慮しての故郷帰り(返還)だった。
別れを惜しむ人たちが、
空港に押し寄せ、2頭の乗った飛行機を見送り、別れを惜しみ涙する人もいた。13年間の家族の小さな歴史を思い、手を振り望遠レンズで離陸するパンダの乗った飛行機を連射する人の姿もあった。

ドキュメント 「リリー」と「シンシン」
 29日早朝4時、上野動物園を出発した2頭は、8時ごろ成田空港を離陸し、日本時間12時40分ごろ成都双流国際航空に到着。上野動物園から飼育係や獣医師がリーリーとシンシンとともに中国に渡り
日本時間18時00分、リーリーとシンシンは四川省雅安市にある中国ジャイアントパンダ保護研究センターに無事到着し、検疫施設に入りました。2頭は落ち着いているとのことです。
                     (上野動物園ホームページより要点)

最初のパンダ 「ランラン」と「カンカン」
最初にパンダが来たのは1972年、今から52前だった。
 当時の首相である田中角栄が周恩来首相と日中共同声明を交わした奇しくもその52年前の9月29日、リリーとシンシンは生まれた国へ帰っていった。
1972年9月29日、北京を訪問した田中角栄首相(当時)は、日中共同声明に調印。中華人民共和国との間に国交正常化を実現させた。(それまで、中国は台湾寄りの佐藤栄作政権を軍国主義と猛烈に批判していた)
田中角栄は、首相就任わずか85日で日中国交回復という偉業をなし
遂げた。
 (田中角栄と周恩来)

パンダのレンタル料金
 この日中国交正常化を記念して中国から贈られてきたのが「ランラン」と「カンカン」だった。この2頭のパンダは無償提供だったが、以後のパンダはレンタル料金がかかっている。
年間レンタル料は2頭で95万ドル(約1億円)になり、この費用は東京都が支払っている。

日中国交回復声明文に託された未来
 「両国は、平和友好関係を樹立すべきであり、また、樹立することが可能である」と声明で謳いあげ、日中間に明るい光がさしかかる未来への希望であった。
 だが最近の日中関係はぎくしゃくして、友好関係から徐々に遠ざかっていく様子が気になります。
パンダ外交が、見せかけだけの外交に終わらないことを祈りつつ母国に帰ったパンダの健康を祈ります。

(昨日の風 今日の風№142)  (2024.10.3記)

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 訪問介護が危ない | トップ |   
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

昨日の風 今日の風」カテゴリの最新記事