どうにもならないこと
(ことの葉散歩道 №33)
人生には、 |
このルポルタージュに登場する人物は、人生の道を踏み外してしまった人々だ。
酔ってアパートの5階から墜落し、失明し生きる意欲を亡くしてしまった47歳の男。
自分の容貌に極端な劣等感を持ち、世間から隠れるようにしか生きられない46歳の女。
ホームレスに身を落とし、日銭を稼いでその日その日を凌ぐ生活も悪くはないと思う元サラリーマンの初老の男。
客に身の上話をするタクシーの女運転手。
女優に慣れなかった女。
自分にとって不本意な人生がさまざまな形で描かれている。
順風満帆とまでいかなくても、そこそこの人生を歩み、人並みの小さな幸せは手に入れたいと人は思う。
幸せを望まない人はいない。
しかし、予想もしなかったような陥穽に落ちて、身動きが取れなくなってしまう人たちも多い。
希望を失い、生きていくことにも疲れてしまう。
自分を取りまく人の一人ひとりが、自分よりはましな生き方をしていると思い込んでしまう。
劣等感は、自分を取りまく家族や友人や知人との間に壁を作り、やがて交流を断ち切ってしまう。
待っているのは孤独地獄だ。
あの時、意地を張らなかったら…。
友人の言うことを聞いていたら…。
事業に失敗しなかったら…。
交通事故に遭わなかったら…。
病気にならなかったら……。
過去を思い起こし、……したら、……だったら、と思うこと自体無意味なことのように思える。
失敗や挫折を望む人はいない。
だが、人間の持って生まれた性格や気質は百人百様。
精一杯努力し頑張ったと自分が思っても、他者から見れば、努力が足りない、
踏ん張りがきかないという評価だってされてしまう。
器用に生きられる人もいれば、不器用にしか生きられない人だっている。
一度きりの人生を失意と喪失が占めてしまっては、とても辛い。
せめて、
他者との比較の中の自分ではなく、
自分にできる努力や頑張りで、
自分流の生き方を選択していくしかないのだろう。
過酷な現実に立ち向かう気力も必要だが、
置かれた状況の中で、
意地を張らずに自分が生きられる場所を探すように努力するのも人生だ。
(2017.5.4記)
周りに左右されないで、生きることが、
自分らしく生きることに繋がりますね。
時によっては、偏屈、変わり者、変人などとあまり有り難くない評価を頂くこともしばしばありますね。
それでも夢に向かってがむしゃらに進んでいく心意気。
悲しみにじっと耐えながらひっそりと生きていくこと。
いずれの生き方を選択しようとも、関係のない他者が口をはさむことではないと思います。
この社会がもう少し寛容であるのなら、
ぎすぎすした人間関係は、人にやさしい環境に変わっていくと思います。
それが、互いの個性を認め合い、多様性を認めることに繋がっていくのでしょう。
私も本当にその通りだと思います。
人と比較したり、枠にはめ込むのは、
必ずしも正解だと思いません。
人は10000人いても、不思議と
全く同じ考えの人はいないですよね。
不思議です。
やっぱり行きつくところは、自分らしく生きる
ですものね(*^。^*)