落合順平 作品集

現代小説の部屋。

連載小説「六連星(むつらぼし)」第81話

2013-05-31 10:39:39 | 現代小説
連載小説「六連星(むつらぼし)」第81話
「原発労働者、ひとつの最後」




 医師の杉原から危篤状態の一報を受けてから、
原発労働者の山本がその息を引き取るまでは、わずかに半日でした。
あまりにも、あっけないとさえ思われる最後です。
死因とされたのは、原爆病では無く『多臓器不全』です。


 長年にわたり原発労働者として真面目に働き続け、各地の原発を転々とした挙句
最後は福島第一原発で原因不明のままに体調を崩し、ついに原発の最前線から離れました。
彼が原発労働者として働いてきた期間は、およそ20年間にわたります。
彼の持つ放管手帳(放射線管理手帳・原子力発電所をはじめとした各種原子力施設で
作業する従事者に対して発行される手帳のこと)に記載をされた総被ばく量は
20年間にわたる累計で、わずかに50ミリシーベルトにすぎません。


 原子力発電所などの原子力施設で、放射線業務に従事する場合は、
まず放射線従事者中央登録センターが運営している、被曝線量登録管理制度に登録をされ、
全国各地にある放射線管理手帳発行機関から、放射線管理手帳が発行をされます。
作業者はこの手帳を常に持参し、原子力施設で放射線業務に従事する事になるのです。




 この手帳には、全国共通の中央登録番号が付番され、
個人を識別する項目や被曝歴、健康診断、放射線防護教育歴などがそれぞれ記載されます。
原子力施設で放射線業務に従事をした後は、その原子力施設から被曝線量が、
中央登録センターの電算機に登録され、管理がなされるというシステムになっています。
また、こうした登録制度の有無に関わらず、原子力事業を運営している管理者は、
被曝が1日1ミリシーベルトを超えるおそれのある労働者について、
測定結果を毎日ごとに確認することを、厳しく定めています
また3か月ごと・1年ごと・5年ごとの合計も記録をして、これを30年間にわたって
保存しなければならないと、同様に定めています。
またその記録は、当該労働者に遅滞なく知らせなければならない、とされています。
(以上、電離放射線障害防止規則9条より)


 また被曝のそれぞれの限度についても、次のように定められています。
通常作業においては、5年間で100ミリシーベルト、1年間では50ミリシーベルトを限度とする。
緊急作業においてのみ、上限を100ミリシーベルトと別に定めています。
ただし、厚生労働省と経済産業省は3.11直後の2011年3月15日に、人事院は2011年3月17日に、
福島第一原子力発電所で復旧にあたる作業者たちに限って、年間許容量を暫定措置として、
250ミリシーベルトまで最大限度をひきあげました。
その後に厚生労働省と経済産業省は2、011年12月16日に一部を除き通常限度量へ引き下げ、
残る一部も、2012年4月30日に通常限度量へと引き下げています。



 また、妊娠可能な女子については、3か月で5ミリシーベルトとし、
妊娠中の女子は、1ミリシーベルト(内部被曝)、2ミリシーベルト(腹部表面)
と、より一層の厳しい数値をしめしています。
しかし、水面下で相当数にのぼる原発労働者を稼働させてきた各地の原発では、
意図的に被ばく数値を書き換えるなどの無法は、常に日常的に横行をしてきました。
ずさんをきわめた、こうした手帳制度の実態は、原発を管理する電気事業者の利益のみが
最優先をされてきたという、事実上の制度運用の『骨抜き』に他なりません。


 また原発内に日常的に蔓延をしている、ゴミやホコリを媒介とした放射線による
体内被曝の実態はまったくの野放しで、長く運用外とされてきました。
20年余りにわたった原発生活の中で、山本が浴びてきた体内被ばく量は判然としません。
徐々に進行をし続けた体内被ばくの影響は、山本の身体を少しずつ蝕んだあげく、
ガンという死にいたる最大の病気を発症する前に、内臓の全ての臓器を狂わせて、
ついにその死期を早めてしまいました・・・・





 いつものままの山本の病室には、主治医の杉原が顔を見せ、
無言の看護士が3人詰めかけているだけで、いつものような静けさが室内には有りました。
生命維持の器械と、波形と心拍数を刻々と表示し続けているデジタル音だけが、
いつもとは異なる、不思議な緊張感を醸し出しています。


 静かに横たわっている山本の、血の色を失いかけている顔とデジタル表示の数値を、
交互に見つめかえしていくだけの時間が、室内を通り過ぎて行きます。
(これが、死に臨むと言うことなのかしら・・・・)静かすぎる時間の流れと、
室内の気配に、響の気持ちの中には戸惑いだけが広がり続けます。


 医師の杉原が、椅子から立ち上がりました。
それぞれに作業を続けている看護士に目で合図を送ってから、響の背中を手で押して
そのまま、廊下へ連れ出します。




 「おっ、・・・・今朝は普段着のままだな。
 仕方が無いか、いつもの2部式の着物に着替えるほどの余裕はなかっただろう。
 まぁ、無理もない。
 トシからおおまかなに、聞いてはいるだろうが、
 残念だが、もう手のほどこしようが無い。
 ここまで、持ちこたえてきたのが、不思議とも言えるだろう。
 君の看病のおかげかな。良くやったと俺も思う。
 あとは看護婦たちにまかせて、俺は少し席を外すが、君はどうする?
 息を引き取るまでの時間を同席するには、すこし辛いものが有るが・・・・」


 「トシさんに・・・・
 最後に、最善の笑顔を見せてやれと言われました。
 私にできるかどうか解りませんが、最大限の努力をしたいと思います」

 「枕元のテーブルの上に、書きかけのノートとボイスレコーダーが、
 きちんと横一列に、それこそ綺麗に几帳面に並べて置いてある。
 あれはおそらく、君への最後のメッセージの品だろう。
 俺たちも、君の笑顔には感謝をしてきた。
 そうだな・・・・それもいいだろう」



 白衣のポケットから禁煙パイプを取り出した杉原が、
それを口に咥えると、ぽんとひとつ響の肩を叩いてから廊下を立ち去って行きます。
到着音とともにエレベーターの扉が開くと、俊彦と岡本が出てきました。
立ち去りかけた岡本が振り返り、二人の姿を見てまた戻ってきます。


 男たちによる、長い時間をかけた立ち話が始まりました。
真ん中の杉原を挟みこむように、俊彦と岡本はそれぞれポケットに両手を突っこんだまま、
顔を真近に寄せ、常にひそひそとした声での会話を続けています。



 (男たちにはそれぞれの役目と、果たすべきそれぞれの仕事が有る。
 同じように私にも、私にしかできない役割がある。
 最後に山本さんから託された、果たしてあげたい大切な約束事も残っている。
 わたし自身が動揺するのは、もっと後にする必要がある。
 毅然として、覚悟を決めて、最後にのぞむのよ。
 さぁ行こう。・・・・響)



 病室内では、相変らずの静かな時間が流れています。
点滴からは同じように薄黄色い液体が規則正しく流れ落ち、酸マスクからは常に
一定のリズムを保ったままの、呼吸の音が繰り返されていきます。
看護士が見つめているデジタルの画面には、針葉樹林のように心拍の波形が表示をされています。
そこで点滅をし続けている数字の流れは、ただパラパラとした変化だけを繰り返しながら、
死にいたるまでの時の流れを、単なる機械的な推移として刻々と刻んでいます。


 「ご苦労さま」
顔なじみの看護士が、枕元にスペースをつくってくれました。
医師の杉原が言っていた通りに、枕元のテーブルの上には響への遺品と思われる
書きかけだと言うA4判のノートと、ボイスレコーダがの2つが、定規で図ったかのように、
これ以上は無いと言うほど、きちんと平行線を保って並んでいます。



 「声をかけてあげて、響ちゃん。
 鎮痛剤と薬のせいで、少し意識は混濁をしていますがたぶん聞こえると思います。
 激励をしてあげて。いつものように・・・・
 山本さんは、いつもあなたが来るのを、とても楽しみにしていたんだもの」



 年配の看護士が、響の肩を抱きながらささやきます。
ポンと背中を押してから、「笑顔でね」ともうひと声ささやき、
書類を抱えると、あとを若い看護士の二人に任せて病室を後にします。



 「山本さん。響です。
 痛くはないですか。辛くはないですか・・・・」



 次に言うべき言葉が、急な速度で響の頭の中を駆け巡ります。
しかし、いくら探しても、問いかけたその言葉に続けるべき次の適切な言葉が、
いつまでたっても響には、見つけることができません。
毛布の上に置かれている山本の右手の上に、響が自分の両手を重ねます。
やせ衰えて骨ばかりが目立つ山本の細い指が、響の掌の下でかすかに動いた気配がします。
手のひらの温かさに反応をした、凍えた小動物のようにささやかすぎる、
山本の小さな指の動きです。



 「・・・・かすかに動いている。
 頑張って。頑張ってよ。山本さん・・・・
 八木節が始まったら、夏祭りに一緒に行こうって、約束をしてくれたじゃないの。
 もう少しだから、夏祭りまで。
 ねぇぇ、お願いだから、もう少し頑張って・・・・」





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