「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。
おちょぼ 第16話 お風呂のはなし、その2
「逆を狙う賢い妓がおんねん。
どういうこっちゃて云うと、昔は祇園でも舞妓ちゃんの数があまりにも多すぎて、
ちやほやされる時代やおへんどした。
器量の悪いのんや舞の下手な妓は、中々お花※が売れへんのどす。
今では考えられへんことどすけど、都をどりも出られへん妓がぎょうさんいたらしおす。
そこで、そういう妓はどうするかて云うと、朝は毎日お茶屋はん巡りをして、
『お母はん○×どす、よろしゅうお頼申します』そう、先ず名前を覚えて
貰わなどうしようもおへん。
それにおかんにしても、毎日毎日通うて来るといじらしゅうなって来ます。
何かの折りに、そやあの○×ちゃん呼んだろか、ちゅうことになりますわなぁ。
そこで、お風呂でも同じようにこの手を使うんどす。
つまり、ぎょうさん来やはる時間をわざと狙ってお風呂で待ってんのどす。
で、来やはったおかんに『お母はん背中流さして貰います、どこそこの○×どす、
○×どす、よろしゅうお頼申します』て、
まるで総選挙の連呼みたいに、背中で云うのんどす」
「うわぁ~。凄い執念です。
舞妓にも過去には、そんなに激しい売り込み競争の時代が有ったのですか。
涙ぐましい努力ですねぇ。で、効果は有ったのですか、その後に」
「他人事みたいに呑気に聞かはるなぁ、あんたも。・・・・まぁ、よろし。
お風呂でのこんな涙ぐましい努力の話を聞いたら、切のうて泣けてきまっしゃろ。
売れへん妓は、人並以上に努力せなあきまへん。
その結果、お稽古も熱心にしやはるし、愛想もようなってきます。
逆に顔立ちがええ妓はほっといても、お花が売れますさかいに段々と横着になって、
これが自分の実力なんやて、勘違いするようになってしまいます。
何年か経ったら、その差ははっきりしますわなぁ。
持って生まれた美しさちゅうのんは段々と古うなりますし、
祇園では次から次と、若い美しい妓が出てきます。
美人の盛りの時期は、あっちゅう間どす。
それに比べて身につけた芸ちゅうもんは、年が経つほどに磨かれていくもんどす。
そら器量が良うて、努力家ちゅうのんが理想的やと思いますけど、
うちが思うに舞妓ちゃんになる条件は、決して顔立ちだけやないて思うんどす。
器量の悪いのんをバネにして、努力するちゅう根性があるかないかの問題やて思います。
こら、舞妓ちゃんの世界だけやおへん。
自分が大事にされへんのは、綺麗に生んでくれへんかった親のせいやとか
云う子がいてますが、そういう子に限って努力はしたぁらしまへん。
人間。努力したらきっとそんだけの報いはあるて、わたしは考えてますえ」
話を聞き終わった清乃が、半信半疑に小首をかしげている。
どうやらあまり納得をしていないようだ。
話を終えたお母さんが、「若いあんたには、まだわからやろう」と笑う。
「無理に理解せんでもええ。幼いあんたには、まだ早すぎる話や。
インターネットを見て若い子が舞妓に憧れて、祇園へ大挙してやってくる時代や。
ひと昔前とは、ずいぶんと考え方も変ってきた。
そやけど、何事に関しても、絶対に諦めたらあきへんえ。
諦めたらその時点でぜんぶがおしまいや。
17~8歳で舞妓になることを諦めたら、そこから先はただの普通の女の子や。
けど諦めが悪くて辛抱しながら努力を重ねると、うん十年後には、
こないに屋形の女将におさまることもある。
お風呂の話は、実は、わたしの若いころの懐かしい話や。
何十人もいた同期もこの歳になると、残っているのはほんの数人。寂しいもんや。
どや、俗にいう『勝ち組』の話やで、少しは参考になったんかいな?」
※お花 花代ちゅうて、芸・舞妓ちゃんを呼んだときの料金のことです。
5分を1本ちゅうて勘定します。1本幾らかは、そんときの状況次第です。
値段は屋形のおかんが、鉛筆舐めながら決めるんどす。
第17話につづく
落合順平の、過去の作品集は、こちら
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます