落合順平 作品集

現代小説の部屋。

「舞台裏の仲間たち」(23)   第五章(2)黒光の少女時代

2012-09-14 11:54:06 | 現代小説
アイラブ桐生Ⅲ・「舞台裏の仲間たち」(23)
  第五章(2)黒光の少女時代




 黒光の少女時代の写真は、とても印象的です。
広い額に理知的な眼差しをしていて、きゅっと閉じた唇には、
士族の娘として生まれた、強い誇りを感じさせます。


 黒光こと星良(ほし・りょう)は仙台藩の漢学者・星雄記の孫として1875年、広瀬川の畔に生まれました。
高等小学校の時代にキリスト教に触れ、上京して横浜のフェリス女学校、さらに、東京麹町の明治女学校で学んでいます。
黒光の名前の由来は、「光というものは控えめであってこそ受け入れられる」という戒めをこめて、
明治女学校時代の師が当時文学を志していた良にペンネームとして与えたものであると言われています。



 良が、才気煥発、好奇心もすこぶる旺盛と言う性格の持ち主のため、
彼女が信州の豪農の嫁という器に、とてもおさまりきれなかった、というのも、おのずとわかるような気もします。
そこまで、黒光の少女時代のことを語ってきたおばあちゃんが
ふと、茜の顔をまじまじと見つめなおしました。



 「そういえばあなた、
 いえ茜さん。
 最初にお会いした時からず~と、
 どことなく、どなたかに似ていらっしゃると思っていたら、
 今、お話をし始めたばかりの黒光の雰囲気に、よく似てらっしゃいますね。
 ほんとに・・・やっと、それを思い出しました。」



 「私が、ですか・・・」


 「どことなく理知的ですし、芯も強そうです。
 なによりも、いつでも、まっすぐに見つめようとしている、
 その視線が、とても綺麗です。」




 「そんなぁ・・・
 私にはとても心外な話しです。
 第一私は、それほど綺麗でもありませんし、自分に自信も持てません。
 姉が一人おりますが、そちらは器量良しで、
 性格も見た目も、私となんか比べようがありません。
 姉は女としても、申し分のないすべてのものを身につけているようです。
 姉と比べられるのが嫌で、私はいつも姉の背中に
 隠れておりました。」



 「自分を知っておられる人は、充分に美しい人です。
 茜さんは、ご自分の内面に秘めたたくさんの美しさを
 しっかりとお持ちのようです。
 私の目から見ても存分に、
 とてもチャーミングに見えます。」



 「とんでもありません・・・
 今の私は、自分自身に自信が持てないあまりに、
 もう一歩、どうしても前に足を踏み出すことが出来ずにいます。
 現に今だって、まだ二の足を踏んで躊躇をしたままです。
 ことに、あの人の前に立つと、特にです。」



 「そうなの・・・
 やっぱり。
 何かありそうだなと思って、ず~と拝見しておりましたが、
 やはり何かのお悩みがあったようですね。
 よかったら、心を許して私に話してみませんか、
 長い黒光の話を始める前に。」



 おばあちゃんが、茜のグラスに2杯目のワインを注いでくれました。
「呑めるんでしょう」と、細い目がさらに細くなりました。




 「実は、(今付き合っている)あの人のことは、
 10年も前から大好きでした。
 私は姉とは一つ違いで、あの人は姉の同級生のひとりです。
 あの人も姉のほうには関心が有ったようですが、
 私はまったく相手にされず、いつも子供扱いをされていました。
 私が勝手に片思いをしていただけの話で、事実もまたまったくその通りでした。
 半年ほど前に偶然に再会をしましたが
 その時も、本当はあの人に素直に顔向けのできる事態ではありませんでした。
 実は・・・その時に私は、許されない妊娠をしていました。
 しかも父親となるべき男性とは、行き違いの末に、
 ついに、別れてしまった直後でした。」



 「そうなの・・・それは辛い思いをしましたね。
 碌山の女の彫刻の前で、あんなに真剣にあなたが見つめていたものは、
 やはり、あなた自身の生き方と人生だったようです。
 女が生命を宿して、子供を産むということは
 女性としての最大の喜びだと私は常に信じていましたが。
 そうですか・・・
 時としては、そのような事態もありますね。
 それも、女の性(さが)のひとつということでしょうか。
 それにしてもずいぶんと、辛い思いをしましたね。
 それで・・・この先に、あの人と二人でやっていこうという決心は
 もう、つきましたか。」




 「それを今、こうして思い悩んでいるところです。」



 「そう、
 あなたはやはり、素敵な女性です。
 私には、あなたからそのようなお話を聞いたその後でも
 やはり、十二分に可愛い素敵な女性に見えます。
 余計な事を、もうひとつだけお聞きしますが
 もしかしたら、お母さんやお姉さんに
 このことは、お話をされましたか。」



 「母は早くに亡くなりました。
 相談相手と言えば、姉だけです・・・
 でも姉も含めて、結局、誰にも言えませんでした。
 訳あって私も、ここ5年ほどはアパートでの独り暮らしが続いています。
 何度も考えて、姉に電話もかけましたが
 結局、肝心な話がいつも言えずに、また電話を切ってしまいました。」




 「そう・・・言えなかったの。
 あなたは一人で全部背負いこんだまま、一人で苦しみぬいたわけね。
 それはどんなにつらかったことでしょう・・・
 よく自分自身の心を壊すことなく、辛抱できたと思います。
 たぶん、それほどまでにあなたって言う人は、今日拝見した、
 あの方のために本気なのですね。
 彼は、そのことを全部知っているのですか。」


 「たぶん、知っていると思います。
 私からは、何も告げてはいませんが・・・」



 グラスへ一滴、いままでこらえていた茜の涙が落ちてきました。
心の中に秘め続けてきた想いの堰が、ついに切れてしまいました。茜の両目からは次々と、大粒の涙があふれ始めます。



 「それほどまでに辛い思いを、
 あなたは今まで、たった一人で辛抱をしてきたなんて、
 残酷すぎる話です。
 泣きなさい、気の済むまで泣いて、
 いっぱい泣いて、洗い流してしまおうね。
 女は、そういう生きものです。
 生命を育む者に、常に着いて回る宿命です。
 望まれて生まれてくる子供ばかりではないことも、不条理のようですが
 それもまた抗うことのできない、この世の現実です。
 それらのすべてを、女は泣きながら乗り越えて行かなければなりません。
 気持ちよく泣いて、泣き疲れて気が晴れたら
 また自分をとりもどしましょうね。
 若いというのに、あなたは苦労をし過ぎです。
 笑顔がとっても可愛い、素敵なお嬢さんだというのに、
 運命というものは、いつもたいへんに
 残酷です、辛かったですね。」



 「ごめんなさい・・・
 でも今は、こうして安曇野に来られたことに
 心から、感謝をしています。
 さんざんつかえていた、胸のわだかまりが溶けそうです。
 不安で怖くて、自分自身が大嫌いになりかけていたというのに。
 またなんだか、元気がもらえそうです・・・」



 「私も嬉しい。
 何十年ぶりかで、娘が帰ってきたような気がします。
 遠慮しなくてもいいんだよ。
 しっかり泣いたら、笑顔いっぱいで生き返ろうね、
 あたしもしっかり、応援するよ。」




 安曇野の夜が、静かに更けて行きました。


(24)へつづく






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