落合順平 作品集

現代小説の部屋。

舞うが如く 第七章 (12)糸取り競争

2013-02-25 05:59:24 | 現代小説
舞うが如く 第七章
(12)糸取り競争




 糸とりの仕事にも慣れてくると
自然と気持も緩み、少し余裕も生まれてきました。
並んで仕事をする民子と咲の二人も、みんなの目を盗んではこっそりと、
おしゃべりをする機会などを増やしています。


 もちろん、中廻りや指導員がそばに居ないときに限ってのことです。
また、作業の途中で手洗いに発つ時などでも、常に二人は一緒に行動をしました。
話を続けながら持ち場へ戻りますのでいつしか仕事のほうも、
遅れがちになってしまいます。



 「この二人は、まったくもって仲がよすぎる・・」
見回りの指導員たちからは、時々そんなつぶやきが漏れてきます。
それでも仕事に慣れてきたためか、そんな風におしゃべりをしながら手を抜いていても
1日に糸とりをする繭の枡数は、4升から5升ほどと、毎日同じように
成果をこなしつづけていました。

 ところが思いがけなく、この風向きが変わりはじめます。


 おなじブロックで並んで仕事している、武州から来た、
小田切おせんさんと言う女工さんは、すこぶる元気に仕事をしていています。
ときには、繭を6升までも取ったりしていました。


 ある日それがついに、8升を取ったという評判が聞こえてきました。
それから、まもなくのことです。
民子と咲を担当する指導員でもある深井さんが、

 「君達も手が早いので、
 もっと頑張れば8升くらいは、楽に取れると思うのですが。」

 とさりげなく、けしかけてきます。

 「8升なんて、とても私たちには無理です」


 と、咲が、ケロリと答えます。
とりあえず、そうは答えたものの、根は負けず嫌いの二人です。
このまま収まるはずがありません。

 「おせんさんも私達と、同じブロックだし、
 釜も、繭も、同じ条件な訳です。
 おせんさんに出来て、わたしたちに、出来ないわけは、ありませぬ。」

 などと真剣に、額を寄せて密かに相談をいたします。
その翌日からのことです。


 二人とも、おしゃべりはおろか、手洗いまでも我慢をします。
どうしても行きたい時には、駆け出して往復をするようになりました。
糸が切れないようにするために、お互いに細心の注意と工夫を怠りません。
汚れてきた釜のお湯を交換するときには、事前に用意をするなどして、
糸とりを止めないようにひたすら作業を改善します。



 その甲斐もあって、二人はついに、8升の糸とりを達成することができました。
成し遂げたことに二人は手を取り合って大いに喜び合います。
指導員の深井さんも有頂天で、
「君たちは実に、大したものだ。頑張ってこれからも続けてください。」と、
たいそう嬉しそうに、事務所からはるばると駆け付けてきました。



 しかし、この話を聞いた前橋の同僚たちが、皆一様に、
一斉にヤキモチなどを焼きはじめます。



 「1日に8升もとれるなどとは、断じておかしい。
 もともと繭4、5粒の糸をより合わせて、一本にするのが正規なのに、
 いちどに7、8粒の糸をより合わせて一本にして
 繭の使用量を増やしてるいるのではありませぬか?
 私たちには、到底無理なはなしです。」


 これはまったく根拠のない、やっかみだけの勘ぐりの意見です。
これをきっかけとして、この時から、糸取り場の空気が変わり始めました。
しばらくすると、前橋の同僚の一人が、8升をとったという噂が聞こえてきます。
お初という娘で、一番先に8升を疑問視していたその娘です。

 さっそく民子が、そのお初をつかまえました。


 「お初さん、ついに8升とったそうですね。
 やはり、わたし達と同じように、7、8粒の糸をより合わせて、
 一本にしましたか?」

 
 「ハハハ、ごめんなさい。
 一生懸命にやれば、できるということだけが、はっきりといたしました。
 並なことでは、とうていにできないことも、
 大変に良く解りました!。」

 と笑って、手をとりあって仲直りをします。

 前橋の仲間たちも負けず嫌いでは、それぞれにひけをとりません。
生産性の向上を頑張りはじめたために、やがて次々と8升が普通になってきました。
こうして、「7升では、ちょっと少ないかな」と言われるほど、
前橋出身者のレベルも上がってきます。


 そんなある日のことです。


 書類を片手に、糸取り工場を横切っていく琴が
顔を真っ赤にしながら、それでも懸命に作業を続けている咲の姿を発見をしました。
時折り我慢しきれずに身をよじる有様に、見かねた琴が咲の隣へ立ち止まります。


 「咲さま、
 余りに我慢をいたしますると、身体に良くありませぬ。
 器械ならば、蒸気にて動きもいたしまするが、
 生味の身体は、喜怒哀楽によって身を案じてこそ動くというものです。
 8升ばかり取るのが、優秀な工女とは言えませぬ。
 体調をしっかりと整えておくのも
 また、工女としての大切なお務めのひとつです。
 無理に我慢せずとも、早く厠へ行きなさい、
 ただし淑女は、走らぬように。」


 と、目を細めながら、まだ身をよじり続けている咲に助言をします。
言われた咲が、嬉しそうに一つうなずくと、
静かに歩み始めましたが、その半分も行かないうちに、
脱兎のごとくに駆けだしまいます。


 「さすが琴さま。
 見事な一本に、ございまする。」


 「ありがとう。
 まだまだ、腕は落ちていない様にありまする。
 民子さまも、器械人間などにはならぬよう、時には、充分に
 気持ちを緩めてくださいまし。
 精を出すこと自体は大切なれど、
 長く続けてこその、お仕事ですゆえ。」


 「万事、心得ておりまする。
 脚気のおりには、皆さまにあれほどまでの
 ご迷惑をおかけしたゆえ、
 この身に、心底しみておりまする。
 健康もまた模範工女の務めです、
 充分に、心しておりまする。」



 「さすがに、一等工女です。
 やはり、見上げた心がけにありまする。」

 「一等工女でありますか・・
 え・・・この、わたくしがですか?」


 「まだ、内密の話ゆえ、
 ここだけの秘密のこととして、他言などはなさいますな。
 さきほど書類をいただきましたる時に、
 咲どのも、ともどもに一等工女と相なりました。
 よかったですね、民子さま。
 努力も、苦労もそれぞれに、
 きっと、必ずに報われるものにありまする。」


 にっこりと笑って、琴がゆっくりと立ち去っていきます。




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