上州の「寅」(5)
アパートへ戻った寅が電話をかける。
威勢のいい男性が電話に出た。
「君で3人目だ。やる気があるなら即採用だ。どうする?」
「はぁ・・・僕でいいのですか。本当に?」
「やりたいだろ。短期バイト。
その気があるのなら大晦日の昼に、履歴書はいらんから、
免許証のコピーを持って、これから指定する寺院の境内へ来てくれ」
即採用ということで話が決まった。
免許証のコピーがあれば、履歴書はいらないという。
変った会社だと思ったが、ふかく詮索しなかった。
5日間の短期仕事だ。
問題はないだろう・・・とタカをくくっていた。
暮れの31日。
予定の時間より早く寺院へ着いた。
有名寺院はすでに、初詣客を迎えるための屋台があふれている。
(正月用品を売るということは、まさかテキヤの仕事・・・)
準備にいそがしい屋台の様子を見ているうち、不安がわいてきた。
免許証のコピーはポケットにおさまっている。
(困ったぞ。どうする、このまま帰っちまってもいいんだが・・・)
と思った時。運悪く、携帯へ着信が来た。
「もう来とるか~」
「あ、はい。門のちかくにいます」
「そしたらすぐ行くから、そこで待っといて~」
聞き覚えのある大前田氏の声だ。
数分後。全身ジャージの男があらわれた。
後ろに数人の若い者がひかえている。
だがいずれもどう見ても、まっとうな商いをする堅気の人に見えない。
「免許証のコピーは?」
「あ、はい。これです」
反射的にコピーを渡してしまう。
「名前は寅太郎か。おっ、生まれは群馬か。
なんでぇ。群馬と言えば侠客の国定忠治をうんだ土地だ。
となるとさしずめお兄ちゃんは、上州の寅だな。
こいつはいけねぇ。挨拶が遅れた。
お初にお目にかかります。
住友総合商社の人事担当、大前田と申します」
上州には、大前田英五郎という大親分が居た。
國定忠治より18歳年上。「おじご」と呼び、同盟を組んでいた。
江戸時代の侠客と言えば、斬った張ったがお手の物。
腕っ節にものを言わせ、のし上がった者がほとんど。
その結果、役人に追われ、人の恨みを買う。
あげく非業の死を遂げることが多い。
しかし大前田英五郎は若い頃、殺人事件を起こしてお尋ね者になるが
悪い評判は起たなかった。
英五郎が得意としたのは喧嘩の仲裁。
やくざ同志の喧嘩に出張り、双方をなだめ、無事におさめた。
そのため「天下の和合人」と呼ばれた。
流血の雨が降るところを英五郎に救われた侠客たちは、その謝礼に
縄張りを差し出した。
その結果。役人に追われ全国を流浪する身でありながら、縄張り200カ所、
3000人の子分をもつ大親分にのしあがった。
「こら。おめえらもこちらの兄ちゃんにご挨拶しねぇか!」
人事担当、大前田の険しい声が参道へひびいた。
(6)へつづく
大前田の親分さんはその家に客人として滞在していたそうです。
曾祖母(祖母?)は私の実家に嫁ぐにあたって、一旦どこかの養女になってから嫁いで来たと聞きました。(実家は堅気だったから?)
父母からは聞きませんでしたが、両親亡きあと姉から聞きました。
私は大前田親分の事は知りませんでしたので話半分に聞いていましたが、江戸時代の田舎のおばあさんにしては柔道の心得があったり、整体や目薬の調合を一子相伝で知っていたと母から聞いたことがあります。