落合順平 作品集

現代小説の部屋。

上州の「寅」(4)年末年始のアルバイト

2020-07-14 15:45:55 | 現代小説
上州の「寅」(4)

 
 寅は冷めているわけではない。しかし熱くなることはほとんどない。
彼女は居ない。いや、女ともだちすら存在しない。
欲しいと思ったこともない。
20歳を過ぎたというのに、いまだ初恋を経験していない。


 「親もおらんし、兄弟はアルバイトと部活で留守か。
 となると実家へ帰っても意味はない。
 ということは年末年始は八王子の、この部屋で過ごすことになる」


 困ったもんだと、ごろり寝転ぶ。
石橋を叩いて渡らないどころか、そのまま帰ってしまうのんき者。
対策を考えているうち、いつしかウトウト。そのまま深い眠りの中へ落ちていく。


 「あれ・・・」


 目覚めた時。窓の外はすでに真っ暗。いつの間にか日が暮れている。


 「よく寝た。腹減ったな」


 冷蔵庫を開けてみる。中は空だ。
何もない。買い出しもしていない。実家へ戻る予定でいたからだ。


 「しょうがねぇ。ラーメンでも食いに行くか」


 八王子にはご当地ラーメンがある。
醤油ベースのあっさりしたスープに、刻みタマネギがたっぷり入る。
スープの表面に薄い油の膜が張っている。
この油が玉ねぎの辛みをうまく抑える。


 ふらりと出た寅が馴染みのラーメン屋ののれんをくぐる。


 「いつもの!」


 「あいよ。毎度。
 あれ・・・なんでぇ。まだ居たのか。上州へ帰るはずじゃなかったのか。
 電車賃でも落としたか?」


 「金は落としていない。
 銀婚式で両親はハワイ。兄弟はバイトと部活で実家は無人。
 というわけで今夜からここで、わびしい夕食を喰うことになる」


 「なるほど。それは災難だ。
 ということは暇を持て余しているな、この年末年始」


 「予定は皆無」


 「そいつは好都合だ」


 「好都合?」


 「人探しを頼まれているんだ。年末年始のアルバイトの」


 「年末年始のアルバイト?」


 「1日、1万五千円。どうだ。わるくないだろう」


 「いいね。どんな仕事?」


 「接客業。とだけ聞いている」


 「接客業か。できるかな。俺に」


 「簡単だから誰でもできるそうだ。
 その気があるのなら電話してみな。これが先方の番号だ」


 マスターがカウンターの上へメモを置く。


 大晦日から5日間。正月用品を販売するかんたんな仕事。
日当1万五千円。経験不問。男女問わず先着3人。
連絡先は住友総合商社、人事担当、大前田と書いてある。




(5)へつづく


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