落合順平 作品集

現代小説の部屋。

おちょぼ 第37話 福屋の女将

2014-11-14 11:42:01 | 現代小説

「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。

おちょぼ 第37話 福屋の女将



 福屋の女将、勝乃はかつて祇園で3本指に入った名芸妓だ。


 唄や舞で、酒席の座を取り持つ女性たちのことを芸妓(げいこ)と呼ぶ。
地域によっては、「芸者」と呼ぶ。
京都の場合、10代の若い芸妓のことを 特に「舞妓(まいこ)」と呼ぶ。
祇園甲部は、京都で最大の花街(かがい)だ。
「花街の母」という歌謡曲 がヒットしたため、「はなまち」と呼ぶ人もが
多くなったが、正式には今でも「かがい」だ。


 勝乃は芸妓として政財界のVIPなどを中心に、多くの著名人たちから
長い間にわたり贔屓にされてきた。
6年間、売上ナンバーワンを確保した輝かしい実績も持っている。
4歳で京舞の井上流を習い始めた。11歳で「置屋 福屋」の跡取りになる。
15歳で舞妓としてデビューし、21歳で襟替えをして芸妓になった。



 4歳の頃、はやくも天分を見込まれた。
祇園甲部の「置屋 福屋」の女将から、跡取りになることを望まれた。
家庭裁判所で「福屋の子になります」と自分の口から言い、養女になった。
一見、順調にすすんできた人生だが、実は、見えない部分で苦労を重ねている。
養女になる意味を上手く理解できず、ふらふらしていた時期がある。
あるとき舞のお稽古の題を間違えて、そのまま覚えてしまったことが有る。
大きいお師匠さんの前で舞って、ひどく叱られた。
題が違っていたことよりも、ふらふらして落ち着かない生き方のほうを叱られた。


 多くのお客に贔屓にしてもらえるようになると、大きい姐さんから
反感を買い、イケズ(いじわる)をされることも有る。



 それでも女将は、
「芸妓は、日本におけるキャリアウーマンの原型です」と笑顔で語る。
「芸妓はみんな、芸を磨き自分の力で生きていきます。
結婚して旦那はんに養ってもらうのも、女の幸せのひとつです。
けど、結婚をしても女性が自分の仕事をちゃんと持ち、働いてお金を稼ぎ、
その中で子どもを育てるという事が、自立した生き方だと思います。
自立して輝く女性が増えていく事を、わたくしは、心の底から願っております」、
といつもにこやかに笑う。


 佳つ乃(かつの)を育て上げたのは、福屋を継いだこの勝乃だ。
「佳つ乃(かつの)に是非、この福屋を継いでもらいたい」と、
口にこそ出さないが、勝乃は昔から腹を決めている。
自分によく似たものをこの子は持っている、おちょぼとして指導し始めた頃から
勝乃はそんな風に、強く感じている。
しかし。当の佳つ乃(かつの)が手塩にかけて育て上げた妹芸妓の清乃は、
わずか7年で次の目標を見つけ出し、祇園甲部を後にした。
咲きかけた大きな花を失ったことが女将の勝乃にも、深い悲しみとして残っている。



 「傷が癒えんうちに、もうつぎのおちょぼの話どすか。
 それがまた、よりによって、帰国子女とは、なんとまぁ頭の痛い話どす。
 おおきに財団の理事長はんからのたっての願いでなければ、
 即決で却下どすわなぁ」


 「まぁそう言わんと、なんとかしてくれ。
 ワシも自分の子供のことでなければ、この話は断っとったが、
 なにせ可愛い孫のことや。
 しかも問題が多いため、こんな相談が出来るのは、お前しかおらん。
 同級生のよしみもある。なんとかワシを助けてくれへんか・・・」


 「都合のええ時だけ、同級生を持ち出して仲間扱いや。
 昔から困った時、要領よく立ち回るところだけは変わりませんなぁ、理事長は。
 そやけど、香港からの帰国子女では、なんとも骨がおれまっせぇ。
 その子は、日本語はできますのかいな?」


 「香港の公用語は、広東語とイギリス風の英語や。
 母親は日本人だから片言での会話は出来るが、いざとなるとやっぱり英語やな。
 あ、目は薄いブルーや。髪は栗色だがな」


 「栗色の髪で、目が薄いブルーどすか・・・頭が痛くなってきましたなぁ。
 そのうえ英語で会話をする子を、舞妓に育ててくれというんどすか、あんたは。
 そんな前例が、いったい祇園のどこを探したら有んねん。
 見たことも、聞いたこともあらへんで。
 まったくもう、理事長ったら。無理難題を言うにも、限度があるわ!」

 


第38話につづく

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