落合順平 作品集

現代小説の部屋。

からっ風と、繭の郷の子守唄(75)

2013-09-03 10:09:32 | 現代小説
からっ風と、繭の郷の子守唄(75)
「銃撃犯が美和子の亭主と判明をして、激しく動揺をする貞園」



 (とりあえず動悸を収めなくては。まずは落ち着くことが先決です。
 持病の『過呼吸症』が騒ぎ始めたら大変なことになる。落ち着け、落ち着け・・・・
 対策を考えるのは、2の次、3の次だ・・・・ふぅ~)


 流しっぱなしの水道水に、震え続けている自分の指先を浸しながら、
貞園が何度も、自分自身に向かって言い聞かせています。
携帯の液晶画面に映し出されていた美和子の亭主の横顔は、まぎれもなく3月の末に
貞園が店番を頼まれていた深夜のスナック『君来夜(いえらいしゃん)』を襲撃し、3発の
弾丸を入口のドアへと打ち込んでいった、あの時の発砲事件の実行犯です。



 (間違いない。あの鋭くみつめてきた細い目に、特に深い印象がある。
 見つめられただけでもゾクッとするような、どこかに残忍さを感じさせるものが有った。
 問題はこれから先をどうするかだ。警察へ通報をするべきだろうか・・・・
 いやいや、待て待て。あくまでもこの男は美和子の亭主だ。
 もうすこし美和子から事情を探って、真相を見つけてからでも遅くはないだろう。
 その妙案は有るのか。よく考えろ、貞園。
 疑われずにまずは、この男の顔写真を手に入れる必要がある。
 何か無いのかしら、妙案が・・・・)


 水道を止めた貞園が、濡れた指先をハンカチで丹念に拭いています。
洗面所内にある通りに面した小さな窓から何気なく、下の歩道などを見下ろします。



 (ヤクザの亭主を持ったがゆえの、お決まりともいえる夫婦間のDVは大変だ。
 せっかく妊娠したというのに、今の美和子をめぐる状態はとても微妙で厄介だ。
 おまけに亭主は、あの銃撃事件の実行犯ときた。
 それも問題だが、それよりもはるかに大きな問題は、美和子が子供を産むと決意したことだ。
 迂闊なことをすればそれだけで家庭どころか、美和子自身の崩壊まではじまる事になる。
 なんという日だろう、今日という日は。喜びと衝撃が頭の上から、
 問答無用に、いっぺんに舞い落ちてきた・・・・)


 貞園の落ち着かない目線が階下の通りを見つめています。
目線の隅に、ふとまた気になる人影が現れました。見覚えのある女の姿です。
呑竜マーケットの角から現れたのは、先ほど見失ってしまった、あの
つばの広い麦わら帽子を胸に抱えた女です。
(いた。また現れた。あの子だ!)それを見つめる貞園の頭に、あるひらめきが走ります。
(使えるかもしれない・・・・)化粧室を飛び出した貞園が、あわてて自分の席へもどります。



 『あら、大丈夫だったの、貞ちゃん』と声をかける美和子の手を急いで握り、
そのまま窓際まで引き寄せます。『ほら!』と言いながら階下の歩道を指さしてみせます。


 「ほら、あの子。たった今、呑竜マーケットの角からまた出てきたばかり。
 気になるでしょう。不思議な雰囲気が漂っているもの」



 「たしかに初めて見る子です。
 あの子が最近、頻繁に、呑竜マーケットへ現れるという女性なの?
 そうですねぇ、私たちと同じくらいの年代にも見えますねぇ。
 ・・・・貞ちゃんが言う通りに」


 『そうだ。絶好のチャンスだから写真に撮っておこう』と庭園が自分の携帯電話の
カメラモードを起動させます。が次の瞬間、いかにも絶望的な声を上げてしまいます。



 「あら、絶好のチャンスだというのに、こんな時に限って私の携帯は電池切れだ。
 美和ちゃん、携帯を貸してよ。こんなチャンスなんかは滅多にないもの。
 ついでに康平に急ぎの用事も思い出した。
 悪いけど、写真を撮ったら一本だけ康平に電話をかけてもいいかしら」


 「まったくもって物好きですねぇ、貞ちゃんも。
 はいはい、どうぞ。2枚でも3枚でも気が済むまで写真を撮って頂戴な。
 通話も使って頂戴。遠慮なんかしないで。
 そのあいだに、あたしもお手洗いへ行ってきます。
 病院へ行く緊張案感からも、ようやく開放されたし、バタバタしている貞ちゃんを
 見ていたら、なんだかあたしまでも催してきちゃったみたい。
 ごめんねぇ、うふ」


 (おっ、願ってもない理想的な展開になってきた!)急いで焦点を合わせた貞園が、
女の写真を立て続けに撮影すると、メニューを呼び出し康平の電話番号の検索をします。
(やっぱりだ。康平と呼び捨てで登録してある。美和ちゃんも案外と単純ですね。うふふ)
発信をかけると、数度の呼び出し音のあと『もしもし』と応答をする
いつもの康平の声が聞こえてきました。



 「康平。美和ちゃんの携帯からかけているけど、あたしよ、貞園よ。
 これから大切な画像を送るから、黙って受け取ってちょうだい。
 理由は後で話します。それからこの件に関しては、
 お願いだから、美和子ちゃんには確認の電話をかけないでね。
 私が内緒で工作をしていることが、あんたが電話をいれたら美和子にバレちゃうもの。
 わかったわね。要件はそれだけです。じゃあ切るから」


 急いで通話を切った貞園が、携帯の中から先ほどの画像を探しはじめます。
特徴的な横顔が写った画像はすぐに見つかり、リダイヤルを使って康平のもとへ画像を転送します。
(ふふふ、ついでにもう一枚。これも)と今撮ったばかりの女も選択をすると、
ついでとばかりに、それも転送をしてしまいます。


 (さてと、すべての細工はこれで完了だ。我ながら完璧な仕事ぶりです)と席へ着き、
すっかり覚めてしまったコーヒーを、満足そうに口にします。
お手洗いから美和子が戻ってくる頃には、すっかりと落ち着きを取り戻した貞園が、
両手を自分の顎の下へ組みながら、静かに、美和子の着席を待ち構えています。



 「なあに。変な目であたしを見つめたりして。まだ何かあるのかしら?」


 「いいえ何もありません。ただ、
 妊娠をして、あらためて母親になるということと、その実感がどんなものなのか、
 それを美和子から聞こうと思って、こうして待ち構えているの。
 ねぇ、教えて。母親になる実感というやつを」


 「お医者さんから、妊娠です。おめでとうございますと告げられるだけで、
 まだ半信半疑だし、それほど実感もありません。
 お腹の様子もそのままだし、まだつわりがあるわけでもないし、
 これからいろいろと体験をするうちに
 母親の実感というか、子育ての責任みたいなものが、芽生えてくるんでしょう。
 『あら、やっぱり妊娠してたの、へぇぇ、やっぱりそうなんだぁ~』
 くらいなものかしら」


 「なんだか説得力がありません・・・・いいのかしら。
 そんな頼りのない母親の自覚で」


 
 「お腹の中の赤ちゃんの成長とともに、母親も成長します。
 一緒になって6年も経ってからの予想外の妊娠だもの、喜びよりも驚きの方が正直な実感です。
 でも、今このお腹の中に赤ちゃんがいるかと思うと、何故か不思議な気もするの。
 やっと母親になれるのかと思うと、嬉しさもあるけど不安も次々と生まれてくるわ。
 たぶん子供を生むための勇気は、お腹が大きくなるのと歩調を合わせてやってくるのだと思います。
 この妊娠が、良い方向へのきっかけになってくれれば、最高なんだけどね。
 でもなかなか現実的には、うまくいかないものがたくさんあります・・・・
 世の中は難しいことばかりだもの」



 「それって、」と言いかけた庭園が、再び言葉を呑み込みます。
急に矛先(ほこさき)を変えた貞園が、美和子のお腹へあらためて嬉しそうな視線を
投げかけます。



 「羨ましいわよ、女として。
 お腹が大きくなっているお母さん達を見ると、どこかで嫉妬している自分が居るもの。
 そんな自分をはしたないとは思うけど、本能的にそう感じてしまうんだから
 わたしも因果な人生を送っています。
 好きで選んだ自分の生き方だから、今更愚痴ばかりを言うわけにもいかないけれど、
 女として一番大切な部分を諦めた生き方には、やっぱり本能的に辛いものがあります。
 いい子を産んでちょうだいね。6年目の新米のお母さん!」


 (そうだよね。子供を授かるということは、たぶん女の一番の幸せだ。
 上手く事を運ぶ必要があるけど、DVといい、ヤクザのご亭主の存在といい、
 問題は山のように待ち受けている。
 ここからが思案のし所だけど、私には、手に余るような難題ばかりが待ち受けている。
 さて、これから先の対策をどうしょうかしら。おせっかい焼きで、お友達想いの
 人の良い貞園ちゃんとしては・・・・)




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