落合順平 作品集

現代小説の部屋。

オヤジ達の白球(46)駆け引き

2017-12-21 18:25:08 | 現代小説
オヤジ達の白球(46)駆け引き



 
 ホームランを打った瞬間。打者のテンションは一気に上昇する。
どっと溢れてきたアドレナリンが、脳全体を支配する。

 とくに魔球のライズボールをホームランしたときは、別格だ。
たまらなく気持ちがいい。
ライズボールには強い回転がかかっている。
そのため、『芯に軽く当たっただけで長打が期待できる変化球』でもある。
それがライズボールという変化球の宿命だ。

 (だが、下から浮き上がってくるライズボールは、バットに当てるだけでも難しい。
 2球続けて打つことができたが、結果は右と左へのファールだ。
 捕手は、3球目もライズだと宣言した。
 しかし鵜呑みにはできん。裏をかいてくることも、充分に考えられる)

 打席へ戻った柊が、ゆったりとバットを構える。
捕手のサインにうなづいた投手が、グローブの中でボールの握りを変えていく。
1球目、2球目にくらべ、ほんの些細だが間合いが異なる。

 (どうやらライズを投げてこない可能性もあるな。速い変化球を2球つづけたあとだ。
 目先を変えるため、チェンジアップか、落ちる球を投げてくるかもしれん・・・)

 柊が、バットのトップの位置を低くする。
低く構えることで振り出すタイミングを、微妙に調節することができる。
投手が3球目のモーションを起こす。
低く構えた態勢から、大きく胸を起こす。

 次の瞬間。プレート板を蹴って、前方へ大きく跳びだす。
2・44mのピッチャーズ・サークルの線ぎりぎりへ、左足が着地する。
ぐるりと回された腕から白いボールが放たれる。

 球が伸びてくる。ストレートの軌道に見える。
だが速球に見えた球が、柊の数メートル手前で急に失速する。
ホームベースの手前でワンバウンドして、捕手のミットへおさまる。

 「ボール・ワン!」

 やはり裏をかいてきた。ゆるく落ちていくチェンジアップだ。

 「やっぱり、落ちる球を投げてきたか。
 3球目もライズと信じて振りにいったら、空振り三振になるところだった。
 あぶねぇあぶねぇ。
 なかなかにやるね、おたくも。おたくのエースピッチャも」

 「いえいえ。
 さきほどは3塁手を狙ったバント作戦には、すっかり騙されましたから。
 それから比べれば可愛いもんです」

 「おう。うまくいったな。あのバント作戦は」

 「バットを放り投げるという、とびっきりの演技までつきましたからねぇ。
 たいていの内野手が、あれだけで完璧にびびります」

 「同点のランナーを出したところで俺がサヨナラホームランを打つ。
 そういう筋書きでバッタボックスへ立ったんだが、どうやら、そうかんたんには
 打たせてくれないようだな」

 「いえいえ、打ってください。
 俺もこの目で見たいです。伝説のバッターの特大のホームランを」

 捕手の言葉と裏腹に、4球目は内角ぎりぎりを狙ったドロップがやってきた。
ひざの高さから落ちた球は、ストライクゾーンをきわどくはずれた。
「ボール・ツウ!」
この投手は、いろいろ変化球を投げることができるようだ。
つづく5球目。こんどは外へ逃げていく、スライダーがやって来た。

 「ボール・スリー!。ストライク・ツウのフルカウントです」

 球審の千佳の声も、こころもちうわずってきた。
打者と投手の対決をまるでギャラリーのひとりのように、いつのまにか楽しんでいる。

 「わくわくします。次の1球に。
 あら。失礼。でも、球審の仕事を忘れているわけではありません。
 わたしも伝説のホームランバッターのことは、事務局長から聞かされています。
 楽しみですねぇ、つぎの1球が」

 うふふと千佳がまぶしく笑う。
わくわくしているのは千佳だけではない。
3塁で塁審をつとめている事務局長も、さきほどから腕組をしたまま、
立場を忘れて2人の対決にこころを奪われている。


 (47)へつづく