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落合順平 作品集

現代小説の部屋。

つわものたちの夢の跡・Ⅱ (89)無形文化財の舞い 

2015-07-23 11:17:37 | 現代小説
つわものたちの夢の跡・Ⅱ

(89)無形文化財の舞い 





 「あ、失礼をした。別に他意はない。君の立ち振る舞いがあまりにも優雅だったので、
 もしかしたら、京都あたりに所縁(ゆかり)の人かと思っただけだ」


 「ありがとうございます」と白い歯を見せて、若女将が頭をさげる。
「残念ながら私、一度も此処から出たことが無いんです。高校も短大も地元ですから」
ともう一度、丁寧に頭を下げてみせる。



 「なんだ。当てが外れたか。生粋の吉野育ちなのか君は。
 俺の眼が狂ったようだな・・・京都で育ったような優雅さを感じたんだが」


 「期待を裏切って、申し訳ありません。
 京都といえば、修学旅行で一度訪ねただけです。
 生まれた時から、吉野の山奥で育った野生のサルです、わたくしは」



 25歳の若女将がお盆を抱えて、座り直す。
「優雅だなんて言ってもらえると、嬉しくて、猩々のように舞い上がりそうです。
はじめてお見えになったお方に、そんな風に褒めてもらうと調子に乗り、
舞のひとつも披露したくなってしまいます」と、目を細めて笑う。


 「舞が出来る!。へぇぇ・・・やっぱり君は、ただ者じゃないねぇ。
 優雅に見えたのは、そのせいなのかな?」


 「いいえ。舞と言っても、本格的なものではありません。
 このあたりの集落に昔から伝わっている、踊りです。
 正月の神事として毎年1月25日、地元の神社へ奉納されるものです。
 踊りは奈良県の、無形文化財にも指定されています」



 「県の無形文化財に指定されている!。ますますもって凄いねぇ、そいつは。
 どんどん興味が湧いてきたぞ。
 そいつはいったい、どんな由来のある踊りなんだ?」


 「800年前とも、それ以上昔から伝わるものとも、言われています。
 80戸ほど有った集落ですが、いまでは20戸まで減ってしまいました。
 最奥にある集落で、二ホンオオカミの被害に困っていた時代に生まれたと言われています。
 ですが、ここ4~5年は後継者が居なくなったため、中止が続いていました。
 集落外に踊り手を募り、練習を積み重ねて、再開されたばかりの踊りです」


 「なるほど。それで君も踊り手のひとりとして参加したわけか」



 「はい。去年参加したのは男性が5人、女性が11人。
 集落の在住者は1人のみ。集落外に住んでいる出身者が9人。
 集落にまったく関係なく外部から参加したのは、わたしを含めて6人です」


 「どんな風に踊るの。二ホンオオカミの被害に困っていた舞いというのは?」


 
 「区長さんの口上からはじまります。
 今年はシシ(猪)も出ず、サルも出ず、キリハタ(切畑)も豊作で
 氏神様に何か踊りを献じましょう、と述べるの。
 「式三番」と呼ばれる「梅の古木踊り」「宝踊り」「世の中踊り」の3曲を奉納します。
 音頭にあわせて紋付きはかま姿の男性が、和太鼓を打ち鳴らします。
 女性は扇を持って、横並びになって踊ります。
 昔は、若い衆と嫁入り前の娘が踊りを勤め、唄い手さんは別にいたそうです。
 現在は男性が太鼓を打ち、踊りながら唄うので、いっそう難しくなったといわれています。
 どの踊りも、扇の振り方、太鼓の打ち方、体の動かし方、唄の節回しなど、
 すべてにおいて優雅です。
 独特のテンポと間で表現する踊りを見ていると、時間が経つのを
 忘れてしまうほど魅了されます。
 でも初心者のわたしは、この3曲を覚えるだけで汗だくでした・・・」


 「ということは、踊りのレパートリーは他にもたくさん有るというわけか」



 「踊り歌は、全部で48曲まであったそうです。
 残念ながらそのうちで、いまでも歌詞が残っているのは38曲です。
 神事のときだけでなく、普段でもよく唄われているものも残っています。
 「入り波」という曲は、子守唄です。
 子供を寝かしつけるときに唄うと、よく眠ると言われています。
 わたしも子供が出来たら、ぜひ、歌ってあげたいと考えています」


(90)へつづく
 


『つわものたちの夢の跡』第一部はこちら