つわものたちの夢の跡・Ⅱ
(82)多恵のうなじ

勇作が、目を覚ます。
枕元に置かれた目覚まし時計に目をやると、短い針が午後の2時をさしている。
漂う空気の中に、甘い匂いが混じっている。
(なんだぁ。何の匂いだ・・・あ、置屋の2階で嗅いだのとまったく同じ匂いだ。
ということは、女たちが化粧を終えたということか?)
カラリと開けた襖の先に、化粧を終えた美女が3人、顔を寄せて語り合っている。
振り返ったすずが、勇作のぼさぼさの頭髪を見てクスリと笑う。
「寝ぐせの頭に、着崩れた浴衣。
年が明けたばかりというのに、油断をし過ぎですねぇ、あなたったら」
「あ・・・まずい。こんな格好で、失敬した。
俺が目覚めるのが、遅すぎたということか。
これから何処かへ出かけるというのなら、急いで着替えを済ませるが」
「あわてる必要などありません。
眠気覚ましにひと風呂浴びて、それから着替えをされても大丈夫どす。
ゆるりとフロントで、土産物などを買い求めておりますゆえ、
のちほど玄関あたりで逢いましょう」
土産物を買う?。ここで連泊する予定と聞いている。
それならばいまの時間帯で、土産物を買いもとめる必要はない。
それとも土産物を持ち、これからどこかへ出かけるという意味なのか・・・
そういえば3人とも、正月らしい着物に着替えている。
その中でひとりだけ恵子の着物だけが、格式のある訪問着のように見える。
あとの2人は、正月らしい華やかさは有るが、よく見れば普段着としても
通用するような、小紋を着用している。
まぁいい。どうせ油断できない3人が企てることだ。
余計なことは詮索せず、言われるがままにハンドルを握れば済むことだ、と
勇作が湯船の中で、自分に言い聞かせる。
30分あまりで身支度を整えた勇作が、せかせかと旅館の玄関へ降りていく。
だが土産物のフロアーに、人の姿はまったくない。
(なんだよ。30分でも、遅すぎるってことか・・・
すこしせっかちすぎないか、新年早々の、元日だっていうのに・・・)
そういえば、いくら探しても、キャンピングカーのカギが無かったことを思い出す。
化粧の時は平気で人を待たせるくせに、出発となると急に先を急ぐ。
(勝手なもんだ。妙齢の域に突入した女と言う生き物は・・・)
毒舌を吐きかけたとき、背後でゆらりと人の動く気配を、勇作が感じる。
あわてて振り返ると、肩で息をしている多恵がそこに居た。
「早いどすなぁ。殿方の足は。
いくら呼び止めても気が付かんのどすから、こころ此処に有らずという事どすなぁ。
お2人なら先に車へ行って、車内を暖めておくそうどす。
なにやら、つまらん誤解が有ったようどすなぁ。
怖い顔をしていましたなぁ、つい、さきほどまで」
池田屋の女将、多恵がトントンと追いついてくる。
「ウチ。昔からあわてん坊でな。
出かけるときは、必ず忘れもんをするんどす。
隣の部屋でイライラしながら、探し物をしているあんさんを見いましたえ。
鍵が見つからんで、焦っとたんでっしゃろ。
すずさんも罪作りどす。
ひとこと伝えればええものを、冷たいどすなぁ、そのあたりが。
どうどす。すずさんに愛想が尽きたら、ウチが代わりに
付き合ってあげてもええですえ」
多恵の端正な顔が、勇作の顏の50センチまで寄って来る。
52歳のはずだが、どうみても、40代の半ばのような美しさが有る。
近づいてきた多恵の瞳の中に、「本気どすぇ」と訴えている目の色が有る。
むんずと心臓をわしづかみにされた勇作が、「考えておきます」とあわてて言葉を濁す。
「アブラムシならいつでも追い出しますから、ウチならいつでもかまいません。
楽しみが増えましたなぁ。
あんたとすずちゃんが分かれる日が、早く来るとええどすなぁ」
玄関で下駄を履きかけた多恵が、今度は、ぐらりと態勢を崩す。
あわてて手を差し伸べる勇作の胸元へ、絶妙のタイミングで多恵が倒れ込んでくる。
甘い香りが、勇作の差し伸べた手と胸元へ飛び込んでくる。
多恵の白いうなじが、襟の奥からキラリと飛び出す。
眩しすぎる白い肌が、勇作の眼の中へ飛び込んでくる。
(まずい!)勇作が、多恵の美しいうなじから、あわてて目をそむける。
(83)へつづく
『つわものたちの夢の跡』第一部はこちら
(82)多恵のうなじ

勇作が、目を覚ます。
枕元に置かれた目覚まし時計に目をやると、短い針が午後の2時をさしている。
漂う空気の中に、甘い匂いが混じっている。
(なんだぁ。何の匂いだ・・・あ、置屋の2階で嗅いだのとまったく同じ匂いだ。
ということは、女たちが化粧を終えたということか?)
カラリと開けた襖の先に、化粧を終えた美女が3人、顔を寄せて語り合っている。
振り返ったすずが、勇作のぼさぼさの頭髪を見てクスリと笑う。
「寝ぐせの頭に、着崩れた浴衣。
年が明けたばかりというのに、油断をし過ぎですねぇ、あなたったら」
「あ・・・まずい。こんな格好で、失敬した。
俺が目覚めるのが、遅すぎたということか。
これから何処かへ出かけるというのなら、急いで着替えを済ませるが」
「あわてる必要などありません。
眠気覚ましにひと風呂浴びて、それから着替えをされても大丈夫どす。
ゆるりとフロントで、土産物などを買い求めておりますゆえ、
のちほど玄関あたりで逢いましょう」
土産物を買う?。ここで連泊する予定と聞いている。
それならばいまの時間帯で、土産物を買いもとめる必要はない。
それとも土産物を持ち、これからどこかへ出かけるという意味なのか・・・
そういえば3人とも、正月らしい着物に着替えている。
その中でひとりだけ恵子の着物だけが、格式のある訪問着のように見える。
あとの2人は、正月らしい華やかさは有るが、よく見れば普段着としても
通用するような、小紋を着用している。
まぁいい。どうせ油断できない3人が企てることだ。
余計なことは詮索せず、言われるがままにハンドルを握れば済むことだ、と
勇作が湯船の中で、自分に言い聞かせる。
30分あまりで身支度を整えた勇作が、せかせかと旅館の玄関へ降りていく。
だが土産物のフロアーに、人の姿はまったくない。
(なんだよ。30分でも、遅すぎるってことか・・・
すこしせっかちすぎないか、新年早々の、元日だっていうのに・・・)
そういえば、いくら探しても、キャンピングカーのカギが無かったことを思い出す。
化粧の時は平気で人を待たせるくせに、出発となると急に先を急ぐ。
(勝手なもんだ。妙齢の域に突入した女と言う生き物は・・・)
毒舌を吐きかけたとき、背後でゆらりと人の動く気配を、勇作が感じる。
あわてて振り返ると、肩で息をしている多恵がそこに居た。
「早いどすなぁ。殿方の足は。
いくら呼び止めても気が付かんのどすから、こころ此処に有らずという事どすなぁ。
お2人なら先に車へ行って、車内を暖めておくそうどす。
なにやら、つまらん誤解が有ったようどすなぁ。
怖い顔をしていましたなぁ、つい、さきほどまで」
池田屋の女将、多恵がトントンと追いついてくる。
「ウチ。昔からあわてん坊でな。
出かけるときは、必ず忘れもんをするんどす。
隣の部屋でイライラしながら、探し物をしているあんさんを見いましたえ。
鍵が見つからんで、焦っとたんでっしゃろ。
すずさんも罪作りどす。
ひとこと伝えればええものを、冷たいどすなぁ、そのあたりが。
どうどす。すずさんに愛想が尽きたら、ウチが代わりに
付き合ってあげてもええですえ」
多恵の端正な顔が、勇作の顏の50センチまで寄って来る。
52歳のはずだが、どうみても、40代の半ばのような美しさが有る。
近づいてきた多恵の瞳の中に、「本気どすぇ」と訴えている目の色が有る。
むんずと心臓をわしづかみにされた勇作が、「考えておきます」とあわてて言葉を濁す。
「アブラムシならいつでも追い出しますから、ウチならいつでもかまいません。
楽しみが増えましたなぁ。
あんたとすずちゃんが分かれる日が、早く来るとええどすなぁ」
玄関で下駄を履きかけた多恵が、今度は、ぐらりと態勢を崩す。
あわてて手を差し伸べる勇作の胸元へ、絶妙のタイミングで多恵が倒れ込んでくる。
甘い香りが、勇作の差し伸べた手と胸元へ飛び込んでくる。
多恵の白いうなじが、襟の奥からキラリと飛び出す。
眩しすぎる白い肌が、勇作の眼の中へ飛び込んでくる。
(まずい!)勇作が、多恵の美しいうなじから、あわてて目をそむける。
(83)へつづく
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