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アイラブ桐生
(53)第4章 千両役者の夜(3)
源平さんから呼び出しを受けて、順平さんのお店に顔を出しました。
お茶屋の「小桃」での例の一件からは、半月後になりました。
源平さんとお千代さんが、長い旅行からやっと戻ってきました。
結婚式の相談のために、青年の実家である秋田を訪ねた後、そのままの足で、
東北地方のすべてを周遊してから、やっと京都へ戻ってきました。
なに、罪滅ぼしの旅だと思えば安いもんだと、源平さんは笑います。
年老いた先方の両親に配慮をして、結婚式は秋田であげることに決めてきたそうです。
それから先は、お千代と二人で水入らずのまま、気ままに
日本海側から津軽海峡へと回り、ついでに初めての東太平洋まで眺めてきたと
豪快に笑っています。
「お前はんには、ずいぶん世話になった。
旅先でもお前さんのことで、お千代とずいぶんその話がでよった。
ところで、俺も気にしていたことなんだが
お前はんは、この京都に本気で骨をうずめる気があるかいな?
本当のところはどうなんや。」
熱燗を注ぎながら、ストレートに切り出されました。
源平さんの質問は、見事に私の一番痛いところを突いています。
正直に、まだ決めかねています、とだけ答えました。
「やっぱりな・・・
お千代も一番にそれを心配しておった。
お前はんにその気があるんなら、
ここで、京友禅でも金箔師にでも、なんにでも育ててやることはでける。
まぁその程度の素質は持っているだろうと、お千代も言っていた。
俺もその通りだろうと思う。
しかし正直なところ、俺にはまだ、お前の本気度が見えん。
なんか他に、まだ引っかかっておるんかいな?」
応えようがないので、まだ目標を探している最中です、とだけ答えました。
そうだろうなやっぱり、と源平さんがため息をついています。
すこしあいだ間が空いて、そのあとの言葉がなかなか出てきません・・・
「おう順平、頼みが有るんだ。何も言わずにきいてくれ」
「珍しいね。で、なんだい?」
「こいつに、京のてんぷらの真髄ってやつを教えてやってくれないないか」
藪から棒の提案です。
そう言われてから視線をあげた順平さんが、ちらりと私の顔を見たあと、
あっけないほどぼ即答をします。
「あぁいいよ。
いつからでもいいから、好きな時においで。
別に減るもんでもなし、何でも教えるやるさ。俺でよければ、」
「そうか、有りがたい。
そう言うわけや。
お前、明日からでも、こいつに弟子入りをせい」
無茶くちゃな話が、本人を抜きにして目の前で進行をしています。
簡単に頼み事を言う源平さんもそうですが、聞いた瞬間にもう即答をしている
順平さんも、相当に適当な様子に見えてしまいます。
「おいおい、軽い気持ちで適当に受け答えをしている訳ではあらへんぞ。
お前さんも、もともとはといえば、板前修業をしていた身だろう?
時間が空いたときに来ればいいさ。
いちから教えてやる」
盃を呑みほした源平さんがそれならば話が早いと、さらに押し込んできます。
「まぁ、京都の土産だと思ってすこし、ここで修業せい。
京都に住み着いて骨をうずめるつもりなら、いくらでも面倒はみてやれる。
俺でも、お千代でも仕事を教えてやることが出来る。
しかしなぁ、京友禅や金箔の仕事というものは、京都以外では通用はせん。
おそらく日本広しと言えど、通用するのは狭い範囲の、ごく一部だけじゃろう。
そいつが俺たちの泣き所だ。
それでこいつに頼み込んでみた。
板前の腕なら日本全国どこでも通用をするはずだ。
覚えておいても損の無い仕事だろう。
そんなわけだ。本気でここで世話になったらええ」
結局、源平さんは一人勝手に、そんな風に話をまとめてしまいました。
突然、降ってわいたてんぷら修業の話です・・・
私が何か言おうとする前に、順平さんに止められてしまいました。
「前々から源平には、頼まれていたことだ。
何か役に立つ仕事のひとつでも、仕込んでおいてくれってな。
そう言う奴だこいつは。
京染めや金箔仕事じゃ食えないが、板前仕事ならどこでも食える。
いつまでも、ホテルのボーイじゃ仕方がなかろうに、
第一、春玉が可哀想だと、いつも事あるごとに、こぼしていたさかい」
そのひとことを聞いた瞬間に、口元にまで盃を運んでいた源平さんが
思わず、大きく咳こんでしまいました。
「おいっ。それは俺たちだけの話だ。
まったく余計なことを言う。まだ、こいつには内緒の話だろう。
余計なことまで言うなよ、とうへんぼく。」
「あれ・・・・内緒かいな?
お千代さんも、来るたんびにいつもそう言っていたし。
俺はてっきり、もうこいつも知っている事なのかと勝手に思いこんでいた・・・・」
「ほれみい、お前はひとことが多すぎる。
余計なことは言わずに、黙って天ぷらだけを揚げていればええもんを。
ほらみろ。こいつに、すっかりと全部ばれちまった。」
「それならそうと、最初から俺にも、ひとことを言っておけ!
お前も肝心なところで、いつも一言が足りねえ。
だから、いつも話がややこしくなる!
言っちゃいけねえのなら、ひとことクギくらいさしておけばいいのに!」
「上等だ、このやろう・・・・。
同級生だと思うから優しい口をきいてれば、逆切れをしゃがって。
この野郎、ただではすまさないぞ!」
まぁまぁと、今度はこちらが止めに入る番になってしまいました。
この同級生コンビは、単純で典型的に熱しやすく冷めやすいという呑み友達です。
気心が知れているだけに、些細なことでいつもこんな風に熱くなります
「京の友禅染から、金箔師はんに弟子入りをして
免許皆伝をもらう前に、もう、今度は天ぷら屋はんどすか。
ほんにいそがしいこてぇ、どすなぁ~」
久し振りに顔を見せたとたん、いきなり春玉からの痛烈な皮肉がやってきました。
今日は洋服姿で、17歳の素顔を見せている春玉です。
4月は「都をどり」の本番が続きます。
1日から30日まで、一日4公演が連日のようにつづきます。
出だしの舞妓はひっぱりだこで、実質25日間を、フル稼働のまま乗り切ります。
朝は10時までに楽屋入りをして、4回の公演を済ませてから急いで着替えをすませます。
ひと息入れる暇もなく、今度は祇園のお座敷を駆け回ります。
12時から1時頃まで働いて、朝の6時ころにはもう起き出して、髪結いさんへ向かいます。
技量も要りますがこの時期には、とにかく体力が一番物をいうようです。
無事に「都をどり」をつとめあげた春玉が、4日間のお休みをもらいました。
休みの初日に久し振りにと、お千代さんを訪ねたそうです。
少しの時間をお千代さんと雑談をして過ごしてから、わざわざ順平さんの
お店まで、『おおきにお世話になりました』と、大きな差し入れを携えて訪ねてきました。
日本髪を解いた春玉は、久し振りに明るい色の洋服などを着ています。
気のせいか(ご無沙汰続きで見慣れていないためか)すこしやつれたようにも見えました。
「そんなことはいっこうにおへん。とにかく食べとおしです。
楽屋は支給のお弁当やら、御贔屓さんからの差し入れやらで、とにかく物が溢れています。
大きいおねえさんからの振る舞いなども届いて、とにかく食べ物だらけどす。
猫にかつぶし。かっぱにきゅうりみたいなもんでどして、
なんぼをどりで体力を使うたかて
をどりが終わるころにはしっかり身についております。
痩せるどころか、『をどり肥り』ちゅうとこどす。
着物を着ていると、どなたもお気づきになりませんが、実は此処だけの話、
わたし、脱いだらすごいんどす。うっふふ・・・・」
「そら大変だ。春ちゃんも早めに足を洗わんと、むくむくと肥りぬくで・・」
カウンターを挟んで、順平さんと春玉が談笑をしています。
仕込みのほうも一段落をして、そろそろ提灯に灯を入れる時間になりました。
「おい群馬。今日はもうええ。
せっかく春ちゃんが、『都をどり』のご褒美でもらった、4日間のお休みだ。
舞妓がゆっくりできるのは、『をどり』のあとか、お正月休みくらいと相場が決まっている。
せっかく、迎えに来てきてくれたようだ。
もう、春ちゃんと二人でお帰りぃ。二人でゆっくりとしたらええ。
季節がら、加茂川の散策でもいっといで。」
加茂川はまずいでしょう。祇園のおねえさんたちとまた、ばったりと行き会ったりしたら、
後がまずいから、危なすぎて歩けません、と答えると・・・・
「若いもんが、遠慮をすることなどありません。
春ちゃんは、すっかり髪を下ろしているし、見なれていない洋服姿だ。
紅も、白粉もつけていない今の姿は、誰が見ても、どこにでもいる17歳そのものです。
その辺を歩いている高校生と、まったく似たようなもんだ。
気にしないで、手でも足でも組んで、加茂川の土手あたりを歩いたらええ。
ん・・・・足を組んだら、まともには歩けねえか・・・・」
あはは、と笑う声に送られて、暗くなり始めた路地を歩き出しました。
都をどりの直後は、祇園の人通りも一段落します。
舞妓や芸妓さんの大半は、生家に戻るか旅行などで、『をどり』の後の休暇中は、
みなさんともに京都を離れるのが一般的のようです。
春玉は、なんで生家に帰らないのと質問すると、私の目を見て
「いけず。解っているくせに」と、ツンと怖い目をして機嫌を損ねてしまいました。
高瀬川から左に折れて、お千代さんの家へ向かいました。
「普通のお化粧をがしてみたい」と、さっきから春玉が胸をはずませています。
『夕方からなら手が空くから、もう一度いらっしゃい。楽しくお化粧をしましょう』
と、お千代さんとはすでに、その約束は出来ていたようです。
『男子は立ち入り禁止です!』と、嬉しそうに目を細めて笑った春玉が、
お千代さんの部屋の襖を、ピシャリと音を立てて閉め切ってしまいます。
「おっ。なんだい、春玉が来たと思ったら、もう籠城中か。
男は立ち入り禁止だって。まるで、夕鶴のおつうだな・・・・
中で、機(はた)でも織っているのかな、女どもが二人して。
まあ、待っていても仕方がないだろう。
俺の部屋で一杯やろう、用が済めば、ほどなく出てくるだろう。
女の機嫌と天の岩戸は、触らぬ神に祟りなしだ。
くわばら、くわばら。あっはっは」
源平さんと差し向かいで、二号徳利を三本ほど開けてすっかり気分が良くなった頃、
廊下でひそひそと話す、女どもの低い声が、こちらの部屋まで聞こえてきました。
ようやく、春玉の『普通のお化粧』が終わったようです。
「綺麗な、お嫁はんが出来あがりました」
お千代さんが、勿体をつけながらゆっくりと障子を開け放ちます。
長い髪をアップに仕立てて、普通のお化粧をした春玉が現れました。
びっくりするほどの美人な仕立てぶりに、源平さんがまず完璧に、その場で固まりました。
もともと健康的で白い肌をしている春玉は、軽やかに施されたお化粧だけで
肌が一層引き立ち、唇は吸いつきたくなるほどに見事に艶やかに見えました。
『ほんまもんや・・・・驚いたなぁ。春ちゃんが眩しいほどに輝いておる!』
動きの止まった源平さんの手元からは、いまにも盃が、こぼれて落ちそうです・・・・
お嬢さんが愛用していたというワンピースも、そのお化粧ぶりとも相まって、
これもまた、実に良く似合っていました。
「ほうら。ねぇ~、素敵でしょ。
着物を着ている時の春玉ちゃんも可愛いけれど、
洋服姿も、捨てたものではありません。春ちゃんはスタイルが良いんだもの。
何を着ても、まったく良く似合うわねぇ!」
「うん、まったくの別人だ。いやいや見事な別嬪はんだ!」
着物と浴衣姿ばかり見てきたせいか、源平さんは、余りにも違う春玉の洋服姿に、
さっきからしきりと驚嘆をしっぱなしです。
似合う、似合うと、お千代さんは手を叩いて大喜びをしています。
「いいわよ、ほんとに素敵!
春ちゃん、明日はそれに決めましょう。
似合うわよ、可愛いわ。
せっかくのお休みだもの、たっぷりとエンジョイをしてきてくださいね。
いいわね~、。明日は鞍馬にハイキングだもの、楽しくなるわね~
美味しいお弁当をつくるわよ。張り切って!」
『あら・・・・どうしたのあなたは。全然うれしくないの。?
こんな美人の春ちゃんとデートが出来ると言うのに、まったく感動がありませんねぇ?』
と、お千代さんが、私の顔を覗きこんで怪訝そうな顔をします。
え? ・・・・いったい、なんの話でしょうか。
まったく知らなかったのは、実は本人の私だけでした。
鞍馬山のハイキングへ、二人で出掛けるという予定は
私の承諾なしに、すでにひと月も前の『都をどり』の時から決まっていたそうです。
都おどりを無事に勤めあげた春玉への、目一杯のご褒美として、
春玉とお千代さんの間では、わくわくする出来事としてすでに決まっていたのです。
どうりで春玉が、生家には帰らないはずです。
しかし、気がつくのがあまりにも遅すぎました・・・・
すっかり、あとの祭りです。
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