落合順平 作品集

現代小説の部屋。

アイラブ桐生 (49) 「おちょぼ」と恋の行方(3) その1

2012-06-23 10:28:14 | 現代小説
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アイラブ桐生
(49)第3章 「おちょぼ」と恋の行方(3)





 舞妓さんのお休みは、月に2回で、第2と最終の日曜のみです。
他には、春におこなわれる「都踊り」のあとに、5~6日ほどのお休みがあり、
暮れの28日から年明けの5、6日までが「お正月休み」です。
しかし駆けだしの舞子は、とりわけ忙しく、仕事に追われて休む暇などありません。
文字通り毎日が、お座敷と舞の稽古に明け暮れます。



 初夏に入った頃、「おちょぼ」がハイキングに行きたいと言い出しました。
小春姉さんから「とても素敵な、お勧めのハイキングスポット」とやらを聞いてきたので、
私と二人で行きたいからと・・・・是非にと言って譲りません。



 「雨が降らなかったら付き合います」、という条件付きで、
6月最後の日曜日に、天王山まで出かける約束をしてしまいました。
天王山は、天正10年におこった山崎の戦いで知られいる京都と大阪の境にほど近い景勝地です。
天下統一を成し遂げた豊臣秀吉が明智光秀を破ったことでも良く知られている、古戦場です。
古くからの名だたる歴史と共に、明媚な自然にも恵まれている山里です。
勝負を決める分岐点のことを「天王山」と呼び、その勝負のことを
「天王山の戦い」と呼ぶようになった語源とされている、ゆかりの地です。




 「今日は、春玉ちゃんにとっては、初めての天王山です。
 はい。とても綺麗にできました」



 お千代さんが、娘さんの衣装を使って、
「おちょぼ」をハイキング用の普通の女の子に仕立てくれました。
しかし、その恰好を見て腰が抜けるほどに驚ろきました。
にっこりと笑って登場した「おちょぼ」の容姿は、はるかに膝上のミニスカート姿です。
まぶしいほどに白い脚が、これでもかとばかりに輝いています。
山歩きにしては、大胆すぎるといえる服装そのものです・・・・



 「大丈夫です。
 ハイキングと言っても、天王山は山崎の駅から小一時間くらいの山道です。
 道中には、これといった急勾配もありません。
 春ちゃんなら、これで充分歩けます。
 第一、春ちゃんは、とっても綺麗な足をしてるだもの。
 たまには出してあげましょう。
 殿方にも目の保養になりますからね。うっふふふ」



 それからもうひとつ、これも大切な必需品ですと言いながら、
つばが大きく、被ると顔全体まで隠れてしまいそうな帽子を取り出しました。





 「これは昔、小春さんも使っていたとても便利な魔法の帽子です。
 舞妓さんが、陽に焼けたりしたら大変です。
 それともうひとつ、万一の時にも強い味方になります。」



 なんのことだろうと、すこし不思議な気がしました。
お千代さんからお弁当を受け取り、さあ出かけようという矢先になってから、今朝は
ご機嫌な様子の源平さんが、邪魔にならないから持って行けと言いながら
封筒を手渡してくれました。
最近の源平さんは、娘さんが戻ってくると、とたんに不機嫌となり、
「おちょぼ」が来ると上機嫌にかわります。




 「なぁに・・・お父さんも、最後の抵抗だ。」


 そんな源平さんの様子を横目に見ながら、お千代さんは相変わらず、
カキツバタの書き込みに専念をしていました。
三度のご飯なんか食べなくも、人は全然平気なのにというのがいつも口癖の人が、
この頃は、源平さんの好物ばかりを毎日丹念に作リ続けています。
外で娘さん達と会うことも止めて、いつの間にか若い人たちとの接点は、
もっぱら私が、連絡係としてこき使われています。


 熱燗を間に置いて、二人で差し向かいで飲んでいますが、
まだまだお互いに、先の見えない手さぐり状態のままのようです・・・・、
二人して碌な会話もせずに、酒だけをしきりと酌み交わしながら「あ~」と、
「う~」だけを、ひたすら繰り返しています。
大丈夫なのでしょうか。この二人・・・・





 京都線の山崎駅を下り、ぐるりと回りこみながら踏切を渡ると
正面に、天王山登り口の石柱が立っていて、ハイキングコースへと続く石畳の坂道が始まります。
道中にはアサヒビール・大山崎山荘美術館などもあり、その案内看板も見えています。
雨は降らず、結局この日は、すこぶるの好天に恵まれました。



 惜しげもなく白い脚をさらけ出した、ミニスカート姿の「おちょぼ」は、
どう見てもその辺に屯している、普通の高校生たちと同じにように見えます。
今日は、白粉も紅もつけていない、ただの16歳の素顔のままの少女です。
浴衣や着物姿ばかりを見慣れてきた私の目から見ると、まったく別人に見えてしまうほど、
洋服がよく似合っているおちょぼ」です。




 「回り道していきましょか。」



 「おちょぼ」に手をにひかれて、そのまま山荘美術館の方面へ向かいました。
急な山の斜面に沿って登っていくと、うっそうとした深い緑の向こう側に、
美術館らしい建物の屋根が見えてきました。
その行く手を遮るようにして、突然、木々の間から岩肌が現れます。
岩肌に沿って少し歩くと、今度はトンネルが見えてきます。
ひんやりとするトンネルを抜けた瞬間に、いっぺんに視界が開けて、
きわめて手入れの行き届いた、洋式の庭園が現れます。



 庭園には野外彫刻が見え、広い空間のあちこちに点々と置かれています。
広い庭と、点在する彫刻の織りなす風景が、英国風の山荘美術館ともほどよく調和をしています。
ウサギの彫刻を見つけた「おちょぼ」が、大きな歓声を上げています



 「不思議の国のアリスみたい!」



 もうすっかり有頂天で、とても手がつけられません。


 ここに陳列してある、ドガやルノワールなどの印象派の絵画や、
モネの「水蓮」なども見たいのですが、このはしゃぎようでは無理かもしれません。
この少女は毎日の生活そのものが、日本の古くからの花柳界の格式や歴史、
芸事が優先の世界に、きわめて深く埋没しきっているのです。
それらのことを、ごく当たり前のこととして暮らしているのです
ふつうならば、天真爛漫に10代の青春を謳歌しているはずの年頃です。
美術品や絵画よりも、いまの「おちょぼ」が欲しているのは、
このお日さまが溢れている庭園と、目に染み入るような緑の空間のほうが、
はるかに大切なことかもしれません。
そんな心配をよそに、きわめて無邪気に「おちょぼ」、蝶々のような飛び跳ねています。
本当に、ただの、どこにでもいる女の子の一人になってしまいました。




 汗をたくさんかいたあげく、頬を上気させ、髪も濡らしたまま
やっと私の所へ戻ってきたのは、それからずいぶんと時が経ってからのことです。
開口一番、「せっかく来たのですから、早くドガや、ルノワールの
絵画を見に行きましょう。ねぇ、そのために来たのですから」と急かしはじめます。
まったく、この子は、とにかく悪気のない子です・・・・



 「ここにある、たくさんの印象派の絵画たちは、
 みんな有名な絵で、どれもきわめて素敵だそうです!
 私もモネの”水蓮”が大好きです。ねぇ行ましょう、早く。ねぇ早くったらぁ!」





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