砂丘屋ブログ

鳥取市今町にある居酒屋店主の
日々の泡とか

昔みた絵のはなし

2011-04-13 | 日記
もう20年も前のこと。 その時住んでいた大阪から青森の三沢に向かった。三沢の駅でギターを弾いてたら誰かが迎えにきてくれるって話だった。そして噂どうりに現れた知らない人の車に乗りこんだ。
六ヶ所村に着いた。
一週間後に行われる命の祭のボランティアだった。会場であるだだっ広い牧場にトイレの穴を掘ったり、沼で萱をかったり、看板にペンキを塗ったりした。そして命の祭りが始まり、大阪から何人かの友達がきて、現地でも友達ができた。野外コンサートやフリーマーケット、出店なんかもあり調子にのってうかれて祭りをたのしんだ。
でもいつも心に引っ掛かっていた。会場にあった暗い納屋のようなとこに展示してあった絵のことが気になってた。

チェルノブイリの子供が書いたその絵が心から離れなくなった。


祭りのあと一人、北海道に渡って路上で演奏した。いろんな街の公園、雑居ビル駅の階段などでゴミのようになって眠った。時々、あの絵を思い出したけど、つらくなって、こわくなって、どうしようもない気持ちになるからって考えないようにした。その後もでたらめのふりをして、忘れたふりをして、やりすごした。声をあげて伝えようとしてる人たちを冷めた目でながめた。

なにもしなかった。なにも考えなかった。

いまになってあの絵のことをよく思い出します。
コメント (2)
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