私は本棚から「ブッタとシッタカブッタ」と言う漫画を取り出した。
どんな漫画本かは一言で簡単に説明する事ができないので関心ある方は検索して調べていただくとして、ペラペラ読んでいくと「幸福と不幸について」書かれていた。
幸福は山で、不幸は谷だそうである。
不幸の谷を土を入れてみて、ならしていくと、今度は幸福の山も減ってしまって平らになるそうである。
私はこれを読んで、へーと思い、周りで何事もなく平和な人生を送っているように見える人は、もしかしたらこれなのかなぁなんて思っていた。
その2巻の副タイトルが「そのまんまでいいよ」と書いてあるので、それも買ってみようかなと思った。
それから二人で食事をしていると、kekeが「昨日は外に出て街まで行った」と言う話を珍しくしてきてくれた。
私は「それはすごい!」と褒めた。「何をしたの?」と尋ねたけれど、特に返事はしなかったのでそれ以上は訊かなかった。
その時にシッタカブッタの事を思い出して、この本いいよ、と言ってみると「もう読んだ」と言う。
「あらどうだった?」と言うと、「病んでいる人が読む本だと思う」と言う。
「良かったら続きも買おうと思うんだけど」と言うと、「もうほとんど全部読んだ」と言う。
どこで読んだのだろう?と思ったら、大学のカウンセラー室に置いてあったそうである。
kekeは私の知らない所でいろいろ模索しているらしい。
それは単純に本を読んだとか、誰かに言われたから、では解決しないのだと思う。
自分で考えて、足で歩いて、それで見たこと聞いた事でしか答えはみつからないのかもしれない。
これは私の昔からの持論なんだけど、「経験は生きた年数にほぼ比例する」のだと思っている。
私は割りと行動がゆっくりで、何もしてないような時間(布団の中でボンヤリしている等)がとても多いのだけど、「本当に何もしない」と言う時間と言うのは無いわけで、何か考えていたり、するのである。
人付き合いも悪いけど、その分本を読む時間が多いかもしれないし、料理の経験が増えてうまくなっているかもしれない。
つまり、生きている年数に経験は比例するので、長く生きている人間をバカにしてはいけないと思うのだ。
それがどんな経験でもだ。
なので、自分の息子が何もせず家でブラブラしていると言うと否定的に考えてしまうのだけど、その間さえやっぱり何かは積み重なっているのだと思う。
それは稼ぐ事にはつながらないかもしれない。
でも、やっぱり無駄ではないし、この先どこかで何かに繋がっていくのだと思っている。
一生懸命考えて何かをしようとしている、kekeを応援したい。
どんな漫画本かは一言で簡単に説明する事ができないので関心ある方は検索して調べていただくとして、ペラペラ読んでいくと「幸福と不幸について」書かれていた。
幸福は山で、不幸は谷だそうである。
不幸の谷を土を入れてみて、ならしていくと、今度は幸福の山も減ってしまって平らになるそうである。
私はこれを読んで、へーと思い、周りで何事もなく平和な人生を送っているように見える人は、もしかしたらこれなのかなぁなんて思っていた。
その2巻の副タイトルが「そのまんまでいいよ」と書いてあるので、それも買ってみようかなと思った。
それから二人で食事をしていると、kekeが「昨日は外に出て街まで行った」と言う話を珍しくしてきてくれた。
私は「それはすごい!」と褒めた。「何をしたの?」と尋ねたけれど、特に返事はしなかったのでそれ以上は訊かなかった。
その時にシッタカブッタの事を思い出して、この本いいよ、と言ってみると「もう読んだ」と言う。
「あらどうだった?」と言うと、「病んでいる人が読む本だと思う」と言う。
「良かったら続きも買おうと思うんだけど」と言うと、「もうほとんど全部読んだ」と言う。
どこで読んだのだろう?と思ったら、大学のカウンセラー室に置いてあったそうである。
kekeは私の知らない所でいろいろ模索しているらしい。
それは単純に本を読んだとか、誰かに言われたから、では解決しないのだと思う。
自分で考えて、足で歩いて、それで見たこと聞いた事でしか答えはみつからないのかもしれない。
これは私の昔からの持論なんだけど、「経験は生きた年数にほぼ比例する」のだと思っている。
私は割りと行動がゆっくりで、何もしてないような時間(布団の中でボンヤリしている等)がとても多いのだけど、「本当に何もしない」と言う時間と言うのは無いわけで、何か考えていたり、するのである。
人付き合いも悪いけど、その分本を読む時間が多いかもしれないし、料理の経験が増えてうまくなっているかもしれない。
つまり、生きている年数に経験は比例するので、長く生きている人間をバカにしてはいけないと思うのだ。
それがどんな経験でもだ。
なので、自分の息子が何もせず家でブラブラしていると言うと否定的に考えてしまうのだけど、その間さえやっぱり何かは積み重なっているのだと思う。
それは稼ぐ事にはつながらないかもしれない。
でも、やっぱり無駄ではないし、この先どこかで何かに繋がっていくのだと思っている。
一生懸命考えて何かをしようとしている、kekeを応援したい。
何とお呼びして良いか分からないのですが、コメントを読んで二つ救われたことがあります。
一つはご長男さんとkekeが本当にタイプが似てて、その「お金を使わない、くそ真面目、・・・」と言う全てが合致するのですが、今までそれを私は欠点だと思っていたんですね。でも、「それがどれだけ救われたか分からない」と言われる話を読んで、「そう言う考え方もあるのかな」と思いました。
今まで「まだ外で荒れてくれた方がマシ」と思ってきましたが、実際にそうなったら母は心配で、今日はどこで何をしてるのか毎日ハラハラしてばかりでしょう。
今の家でグースカはイライラしますが、確実に家で悪い事はしてないので、まだ良いのかもと思えました。
それからもう一つは、今まで「自分の育て方が悪かったのでは」と思ってきたのですが、それだったら、同じ親に育てられた長男と次男の性格がそこまで違うという事はないわけです。
私の至らなかった点もあるでしょうが、本人の生まれ持った性質があるってことですよね。それはとても救われました。
人様のお子さんが「中退」と聞いても、「若いしまだまだ道はある」と思えるのですが、自分も息子がそのような状態になると、「絶望の真っ暗闇トンネル」になってしまうのです。
たぶんこれは、経験しないと分からないのだと思います。
だから、そのトンネルから抜け出した方のコメントは本当に救われるのです。
まだまだ安心できないと言うのもそうだと思います。私もこれで何年後になるか分かりませんが、社会人になれましたと言う日が仮に訪れても、安心はできないと思います。
そうですか、わが子を信じてやれるのは親だけですか。
そうなんですよね。経験って無駄にはならないんですよね。
いつかこの経験が何かの役に立つと私も信じて行こう。もともとが優しい子なので、こう言う気持を経験すれば、さらに人に優しくなれると思うのです。^^
どうもありがとうございました。