きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

よそはよそ うちはうち

2023-05-20 | 息子keke


初めてお赤飯を炊いてみました!もち米3合で、小豆70g。
参考にしたのはこちらのレシピです。(分量違うけど:笑)小豆を30分ゆでたりして時間は掛かるけど、全然難しくありませんでした。ちょっとご飯を炊く時のお水が多すぎたようですが、3合炊けば飽きるほど食べられます。
餃子も鉄のフライパンで焼いたものです。焦げているのもありますが、まずまずきれいに焼けました。

実家の母はいつも鉄のフライパンを使っていたので、私も結婚生活の最初は鉄のフライパンを使っていました。でもやっぱり餃子がうまく焼けない。みんな皮がくっついてしまう。それで母にボヤいたら母が「フライパンをしばらく置いておけばはがれると思うけどねぇ・・・」と自信が無さそうに言っていました。

それを思い出して、ガスの火を消した後にすぐにはがさないで、しばらく置いておいて、少し冷めてからゆっくり無理しないように少しづつ丁寧にはがしてみたのです。気のせいか味もスーパーのお惣菜の餃子の味がします。(しっかり味がついてよい感じ♪)

今日は天気がイマイチだと言うのでストリートピアノとヒトカラに行ってきました。ストリートピアノは早い時間で人がいないのを見計らって弾くのですが、今日は途中で同年代ぐらいのおじさんが聴いて拍手してくれました。決してうまい訳じゃないし、途中で間違えてキーを叩いていたりするのですが、以前のように頭真っ白になって立ち止まる・・・ということはあまり無くなりました。(時々まだ、そうなりそうだけど、ちょっとごまかして弾けるようになったのです。)

人前で弾ける度胸をつけるために、たまにこういう所で弾いてみて・・・誰も聴いていない方がいいなと思うけれど、拍手していただけるとうれしいですね。(*^o^*)(私もそういう場面に出会ったら、そう言う風にしてみよっと。)
今日はそれだけでハッピーになりました。


そしてヒトカラから帰ってくると、kekeが洗濯機で洗ったシーツを干して、洗濯機の埃取りの網があまりにひどいので、洗ってくれていました。(今まで埃を取る事はあっても洗うことはなかった。)

kekeに「キョウイゾンって知ってる?」と言うと、「何それ」と言うので「離れられない親子。私って子離れできない親なのかしら?」と言うと、「あなたはね。(苦笑)」と言う。

sake「kekeちゃんが幸せになるためなら出て行ってもいいんだけど。」
keke「毎月仕送りくれれば出て行ってもいいけど(笑)」
sake「いくら?」
keke「10万(笑)」
    ・・・・・・

そうだよな!!!

ここまで紆余曲折いろいろあって、ここでやっと、や~~っっっと2人で稼いで、食べたいものを食べて、行きたい場所に行くお金を気にしない生活になったのに、それを赤の他人にあれこれ言われたくないよな!!(まだ言われた訳じゃないけど)

ちゃんと働いて税金も納めているんだし、どう生きようがその人達の勝手じゃん。
それを自立しないのはおかしいとか、結婚しないと一人前じゃないとか、一人っ子はカワイソウとか、そんなことばっか言ってるから、この国は年間何万人も自殺する人が出るんだよ。

だって、型にはまってないとケチつけられるんだもん。

それじゃ、その「自立している」「結婚している」「子供を何人も育ててる」人が立派なのか?と言えば、そうでもないじゃん・・・そういう型にはまった生き方がうまくできている人ほど、平気で人の心を土足で踏みにじったりしてることもあるよね。

友人だったG子の娘さんがある日行き先も知らせず出て行ってしまった。
彼氏についていくために。お母さんと離れなきゃいけないと思ったから。

私は「でも、(親と一緒にいるkekeと)どっちが正しいかなんて分からない。そんなの最後にならなきゃ分からない。」って言ったの。G子も「最後まで分からないよね。」と言っていた。

何かを言いたい人は、その瞬間のその時だけを勝手に切り取って、正しいとか悪いとか、ああだこうだ言う。
だから無責任だよ。

私だって、こうして子供とずっと暮らすことが正しいかどうかなんて分からない。そんなの最後にならなきゃ分からない。だけどね、だから今ああだこうだ言うのはおかしいと思う。よくもまぁ、他人に対してそんな事を勝手に言えるものだと思う。

人生相談は、答えがほしい相談者と、回答する先生の需要と供給が合っているのだからいいんだけど。


共依存

2023-05-20 | 日記


たまにお弁当に作る「れんこんと鶏むねのチャイナデリ」
「きょうの料理」市瀬悦子さんのレシピ。昨晩の鶏のから揚げでリメイクしてみました。

昨日から人様の人生相談(読むテレフォン人生相談)をちらちら読んでいる私です。

昨日は「悩む方にも問題があるのではないか」と短絡的に書いてしまいましたが、例えばアルコール中毒の方が身内にいるとか、精神的にトラブルを抱えた家族がいるとか、そういう自分だけではどうにもならないケースもあるでしょう。
よく出てくるのが、自分が育った環境。親との関係、どこかで我慢しているとその押さえ込んだ気持ちがいずれどこかで傷になって出てくることがあるらしい。(悩みの多くにはそういう見えない過去への問題もあることが多いみたい。)

そしていろいろ読んでいるうちに「共依存」という概念に気がつきました。
我が家は・・・厳密には私がだけど、息子に依存しているのでしょう。
kekeは優しいから、私が悲しむから一緒にいてくれているのかもしれません。

精神科に行けば誰もが病名がつくとよく言われますが、何を持って「まとも」と言うのでしょうか。今の世の中、何かの名前をつけては人を病気扱いしたい人が多いのでは、とも思います。
(それで心貧しい人はそれを取り上げて誰かを非難し悦に入るみたいな)

多様性多様性言いながら、ちょっとはずれれば病名が付くような(指さされるような)本当に生き難い世の中です。
多様性って何なのだろうと考えてしまいます。