昨日はほとんど部屋の終始片付け。
kekeは昼過ぎまで寝て、昨日は部屋に行ったりTVを見たりしていた。
TVは初めて競馬番組がかかっていて、「有馬記念か?」と言うと、「CMでやっていたからかけてみた。」などと言う。
「有馬記念、昔見に行ったことがあるよ。若い頃会社勤めをしていて、その時にね。」
たまたま部屋を片付けていたら、奥の方に写真の束があった。
それは私の20代の頃の写真である。初めて勤めた会社の写真である。
そこに有馬記念を見に行った時の写真もあった。
当時、競馬をよく見ていて(父が好きだったのだ)、有馬記念を見に行きたいと言ったら、同期の男の子が有馬記念に行く催しを計画してくれた。
その写真の束に偶然、私がうんと小さい時(まだ学校に上がる前)に母と二人で写っている写真が入っていた。
私は親が撮ってくれた小さい頃の写真を全部失くしてしまった。
最初の離婚の時に「着の身着のまま」みたいな状態で家を出てしまったので、それきりになってしまったのだ。自分が悪いのだからしょうがない。
余談だが、二度目の夫が同じように出て行く時に親からもらったアルバムは持っていってもらった。
本当は腹がたって、あんなもの燃えるゴミに出したらどんなにスッキリしただろうという心境だったので、わざわざ教えてやりたくなかったが、持って行ってもらった。それは自分がとても後悔したからである。
そんなこともあって、あれを処分してしまった最初の夫の気持もよく分かるからもういいのだ。
その諦めたところに、その1枚だけが入っていた。
たぶん、当時の会社の社内報か何かで使うために、それだけ抜いていたんだろう。
私はその写真を机に飾ることにした。
たぶん、自分の生涯で一番よく撮れている写真だと思う。
「keke、これ小さい頃のアタシだよ。」と言ったが、見もしない。
自分には関係ないそうである。
「お前の小さい頃の写真なら見るかい?」と冗談で言うと、「それも関係ない」そうである。
買ってきたコタツ布団はかぶせてみると、意外に薄く、角が丸いのでカバーに入れるのに苦労した。
kekeは「前の布団の方が厚かった」と言い、言われると確かにそうだ。
「返品できるか行って相談しようかな」と言うと、kekeが「電話してから行った方がいいのでは。」と言う。
「それもそうだ」と思い電話してみると、返品できるようである。
kekeは昼過ぎまで寝て、昨日は部屋に行ったりTVを見たりしていた。
TVは初めて競馬番組がかかっていて、「有馬記念か?」と言うと、「CMでやっていたからかけてみた。」などと言う。
「有馬記念、昔見に行ったことがあるよ。若い頃会社勤めをしていて、その時にね。」
たまたま部屋を片付けていたら、奥の方に写真の束があった。
それは私の20代の頃の写真である。初めて勤めた会社の写真である。
そこに有馬記念を見に行った時の写真もあった。
当時、競馬をよく見ていて(父が好きだったのだ)、有馬記念を見に行きたいと言ったら、同期の男の子が有馬記念に行く催しを計画してくれた。
その写真の束に偶然、私がうんと小さい時(まだ学校に上がる前)に母と二人で写っている写真が入っていた。
私は親が撮ってくれた小さい頃の写真を全部失くしてしまった。
最初の離婚の時に「着の身着のまま」みたいな状態で家を出てしまったので、それきりになってしまったのだ。自分が悪いのだからしょうがない。
余談だが、二度目の夫が同じように出て行く時に親からもらったアルバムは持っていってもらった。
本当は腹がたって、あんなもの燃えるゴミに出したらどんなにスッキリしただろうという心境だったので、わざわざ教えてやりたくなかったが、持って行ってもらった。それは自分がとても後悔したからである。
そんなこともあって、あれを処分してしまった最初の夫の気持もよく分かるからもういいのだ。
その諦めたところに、その1枚だけが入っていた。
たぶん、当時の会社の社内報か何かで使うために、それだけ抜いていたんだろう。
私はその写真を机に飾ることにした。
たぶん、自分の生涯で一番よく撮れている写真だと思う。
「keke、これ小さい頃のアタシだよ。」と言ったが、見もしない。
自分には関係ないそうである。
「お前の小さい頃の写真なら見るかい?」と冗談で言うと、「それも関係ない」そうである。
買ってきたコタツ布団はかぶせてみると、意外に薄く、角が丸いのでカバーに入れるのに苦労した。
kekeは「前の布団の方が厚かった」と言い、言われると確かにそうだ。
「返品できるか行って相談しようかな」と言うと、kekeが「電話してから行った方がいいのでは。」と言う。
「それもそうだ」と思い電話してみると、返品できるようである。