小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

想像ができて、理解

2015年08月24日 00時51分07秒 | 日記
2012年10月24日(水)(4歳6か月)
 
 
 よく春奈が口にすることのひとつに、
 
 「またおばあちゃんちにお泊りしたいな」
 
と、いうものがある。
 
 普段からじいちゃんばあちゃんの家に
行くのが好きやからなあ。
 
 そんな春奈が、家族全員がリビングに
いる時に、
 
 「おばあちゃんちにお泊りしたことある人」
 
と、言った。
 
 何を挙手を求めてるのやら。
 
 「お父さん、ある?」
 
と、春奈が訊いてきたので、
 
 「前は一緒に住んでたから」
 
と、答えると、あーそうか、といった表情を
していた。
 
 春奈には、パパがじいちゃんばあちゃんの
子であることはわかっていても、パパが子供で
若い時分のじいちゃんばあちゃんと家族して
いる光景が想像できないのだろう。
 
 だから、一緒に住んでいた、というのも言わ
れるまで気づいていなくて、言われて初めて、
あーそうか、だったのだろう。
 
 人は言葉を理解できても、その言葉の内容を
想像できて初めて「理解できた」と言えるのだろう。
 
 言われた内容がわかってもその光景までも
想像することができなければ「理解できた」とは
ならないのだと思う。

420 新羅王子の帰還④

2015年08月23日 00時37分30秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生420 ―新羅王子の帰還④―
 
 
 堤上は美海の部屋に入っていて、翌日側近が来て部屋に入ろうとするのを
押しとどめて言った。
 「昨日王子は狩りで駆け回ったから非常に疲れて起きられない」
 陽が傾く頃になって、側近が怪しみ再び問うと、
 「美海はすでにずっと前に発った」
と、答えた。
 彼らは急いで倭王に告げた。王は騎兵に追わせたが追いつけなかった。
 そこで堤上を捕らえて問い詰めた。
 「お前は今では私の臣下になっているのになぜお前の国の王子をひそかに
逃がしたのか?」
 堤上は答えた。
 「私は鶏林の臣下であって倭国の臣下ではない。わが王の望みに答えよう
としたまでのことである。どうしてあなたに告げる必要があるのか」
 倭王は怒って、
 「お前はすでに私の臣下であるのに、それでも鶏林の臣下だと言うならそれ
相応の刑を加えねばならない。しかし、もし倭国の臣下だと言うならば、きっと
高い官職を授けよう」
と、言った。
 堤上は、
 「むしろ鶏林の豚、犬になっても倭国の臣下にはならない。むしろ鶏林の鞭を
受けても倭国の官職や碌は受けない」
と、答えた。
 倭王は怒って堤上の脚下の皮を剥ぎ、葦を切ってその上を走らせた。今の
葦の上に血の痕があるのは世間では堤上の血と言う。
 倭王が再び、
 「どこの国の臣下か?」
と、問うと、堤上は、
 「鶏林の臣下である」
と、言った。
 さらに堤上を熱く焼いた鉄の上に立たせ、
 「どこの国の臣下か?」
と、訊いた。堤上はやはり、
 「鶏林の臣下である」
と、言った。
 倭王は堤上を屈服させることができないことを知り、彼を木島で焼き殺した。
 
 美海の帰還に訥祇王は宝海とともに南の郊外に出迎え、宮中で宴を設け、
全国に大赦を下した。
 そして、堤上の妻を冊封して国大夫人とし、その娘を美海公夫人とした。
 
 
 以上が『三国遺事』が記すものです。
 
 ※(『三国史記』、『三国遺事』ともに内容は、朝鮮史研究会訳の金錫亨著
『古代朝日関係史』を参考)
 
 
 『日本書紀』、『三国史記』、『三国遺事』を比べてみると、それぞれで人名が
異なるものの、大筋としては新羅の使者が策略を用いて人質の新羅王子を
帰国されるも自身は焼き殺される、という話であることは一致しています。
 
 また、『三国史記』の「新羅本紀」の中に、倭国にやって来た百済人が、新羅と
高句麗が倭国に侵攻しようとしている、と倭王に中傷した、という部分がありま
すが、このことから、当時百済人も日本の王権の近いところにいたことをうかが
わせます。
 実際、『日本書紀』も『三国史記』の「百済本紀」にも、百済からの人質がいた
ことが記されているのです。

この頃中国行ってない?

2015年08月22日 00時58分07秒 | 日記
2012年10月23日(火)(4歳6か月)
 
 
 今までにも何度か書いてきたことだけども、ヒッポファミリー
クラブの活動は、週に1度仲間が集まるファミリーと呼ばれる
場に参加すること、そして、普段は家でいろんな言葉で話さ
れるストーリーCDを聴くこと。
 
 さて、今日は何語のCDをかけようか。
 
 春奈が、
 
 「はるながえらぶ」
 
と、言うので任せてみると、春奈が選んだのは中国語のCD
だった。
 
 「この頃中国行ってないからな」
 
と、春奈。
 
 いや、お前中国に行ったことないやん。
 
 うちの家族で中国に行ったことがあるのは、みんたと、
ゆうきと、りえの3人である。
 
 僕も昔、観光で香港とマカオに行ったことがあるけど、
その時はまだギリギリで英領香港、ポルトガル領マカオ
だった。中国じゃなかった。
 
 たぶん、春奈は中国の人が身近だから、それがイコール
「行った」になっているのだろう。
 
 たしかに、春奈がもっと小さい頃は中国の人がうちに
来たりしていたけど最近は中国の人の受け入れはして
いないな。
 
 それにしても、海外の人との付き合いがその人の国に
行ったことになる、という感覚はすごいと思う。
 
 大げさかもしれないけど、案外これが国際交流の真髄
なのかもしれない。

419 新羅王子の帰還③

2015年08月21日 06時53分37秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生419 ―新羅王子の帰還③―
 
 
 『三国遺事』には次のようなことが書かれています。
 
 奈密王(奈勿尼師欣のこと)の三十六年、倭国の使者が来て、
 「友好の証として、王子のひとりを遣わしてわが国に誠意を表していただくことを
のぞむ」
と、求めてきたので、三男の美海(未斯欣のこと)を倭国に遣わした。この時美海は
まだ10歳であったが、倭王は美海を捕らえて30年間も帰さなかった。
 その間に訥祇王が即位したが、この王の元年に高句麗の長寿王が使者を遣わ
してきて、
 「大王の弟君である宝海は知恵と才能に秀でていると聞いて、ぜひ親しくしたい
と思っている。願わくば宝海にわが国を訪ねてもらいたい」
と、告げたので、王は、それによって両国が和親するならば、と思って宝海を高句麗に
遣わしたが、長寿王も宝海を抑留して帰さなかった。
 訥祇王が即位して10年がたったある日、臣下や国内の豪傑たちと酒宴を催して
いた時、王は涙を流して臣下に、
 「わが父は人民のために政道を行い、そのために愛児を倭国に送り再会できない
まま亡くなった。私も即位して以来、隣国との戦争が絶えないが、ただひとり高句麗が
親交を結ぼうということがあって、これを信じ、弟を使節として高句麗に送ったが、
高句麗もやはり彼を捕えて帰さない。もし二人の弟たちと亡き父の廟に参ることが
できれば国の人々に恩恵を返せるのだが、誰がこれを可能とできるだろうか」
と、言った。
 これに対し、臣下たちは一様に、
 「このことは決して易しいことではありません。勇気と知恵を兼ねそろえた者でなく
ては不可能でしょう。私どもの考えではそれは金堤上の他にはおりますまい」
と、答えたので、王は金堤上を召し、二王子の奪還を頼んだ。
 堤上は高句麗に向かうと宝海に接触し、脱出の期日を謀った。
 そして、五月十五日を脱出決行の日と決め、堤上は高城浦口にて船を用意して
宝海を待つことにした。
 期日が迫ると宝海は病と称して数日間参内しなかった。
 約束の夜、宝海は逃げ出して高城の海辺にたどり着いた。
 高句麗王はこれに気づき、数十人の家臣に追わせ、高城で追いついた。
 しかし、高句麗においての宝海は彼らにいつも恩恵を施していたので兵士たちは
彼に同情してわざと逃がしたのだった。
 宝海の帰還に訥祇王は喜んだが同時に美海への思いがさらに増し、涙を流して
側近に言った。
 「身体に片手しかなく、顔に片目しかないのと同じだ。一人の弟は帰ったがもう
一人がいないのにどうして胸を傷めずにおれようか」
 それを聞いた金堤上はひとり倭国に向かった。
 堤上は、倭王に会うと、
 「鶏林王(新羅王)が何の罪もないのに私の父兄を殺したのでここまで逃れてまい
りました」
と、欺いた。
 倭王は堤上を信用し、彼に家を与えて住まわせた。
 それから、堤上はいつも美海に従って海辺にでかけて遊び、魚や鳥を捕まえて
いつも倭王に献上していたので王は非常に喜び、疑わなかった。
 たまたま暁の霧がたちこめて一寸の先も見えなかった。
 堤上が美海に、
 「お行きなさい」
と、言うと、美海は、
 「それでは一緒に行こう」
と、美海は言った。
 堤上が、
 「もし私も行けば倭人らが気づいて追って来るのではないかと心配されます。だから
私は留まって彼らの追撃を食い止めましょう」
と、言うと、美海は、
 「今、私はお前を父兄のごとく思っているのに、どうしてお前を置いてひとり帰って
いけようか」
と、言った。
 堤上は、
 「私は、王子の生命を救い、大王の気持ちさえ慰められればそれで十分でございます。
どうして生きることをのぞみましょうか」
と、言い、酒をついで美海に捧げた。
 この時、新羅人の康仇麗が倭国に来ていたので彼を従えて送り出した。

間違っちゃあいないけど・・・

2015年08月20日 01時10分54秒 | 日記
2012年10月22日(月)(4歳6か月)
 
 
 一度は寝床に入った春奈が起き出して
きて水を飲みたいと言う。
 
 カップに水を注いでやり、春奈に渡すと、
それを飲み干して春奈が言った。
 
 「トイレ行かなな。おもらししたらお父さん
たちお母さんたちゆうきたちりえたち大変
やし困るからな」
 
 うん、寝る前に水を飲んだらトイレに行って
おいた方がいいよ。
 
 おねしょしたら家族のみんなに迷惑かける
と考えているのは偉いけど・・・。
 
 まず、もう4歳だしおねしょはしないように、
というのが一番の理由であるべきなんじゃ
ないか???
 
 何だか恩を着せられているような気がした
のは、僕の心が濁っているせいなのか?