小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

419 新羅王子の帰還③

2015年08月21日 06時53分37秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生419 ―新羅王子の帰還③―
 
 
 『三国遺事』には次のようなことが書かれています。
 
 奈密王(奈勿尼師欣のこと)の三十六年、倭国の使者が来て、
 「友好の証として、王子のひとりを遣わしてわが国に誠意を表していただくことを
のぞむ」
と、求めてきたので、三男の美海(未斯欣のこと)を倭国に遣わした。この時美海は
まだ10歳であったが、倭王は美海を捕らえて30年間も帰さなかった。
 その間に訥祇王が即位したが、この王の元年に高句麗の長寿王が使者を遣わ
してきて、
 「大王の弟君である宝海は知恵と才能に秀でていると聞いて、ぜひ親しくしたい
と思っている。願わくば宝海にわが国を訪ねてもらいたい」
と、告げたので、王は、それによって両国が和親するならば、と思って宝海を高句麗に
遣わしたが、長寿王も宝海を抑留して帰さなかった。
 訥祇王が即位して10年がたったある日、臣下や国内の豪傑たちと酒宴を催して
いた時、王は涙を流して臣下に、
 「わが父は人民のために政道を行い、そのために愛児を倭国に送り再会できない
まま亡くなった。私も即位して以来、隣国との戦争が絶えないが、ただひとり高句麗が
親交を結ぼうということがあって、これを信じ、弟を使節として高句麗に送ったが、
高句麗もやはり彼を捕えて帰さない。もし二人の弟たちと亡き父の廟に参ることが
できれば国の人々に恩恵を返せるのだが、誰がこれを可能とできるだろうか」
と、言った。
 これに対し、臣下たちは一様に、
 「このことは決して易しいことではありません。勇気と知恵を兼ねそろえた者でなく
ては不可能でしょう。私どもの考えではそれは金堤上の他にはおりますまい」
と、答えたので、王は金堤上を召し、二王子の奪還を頼んだ。
 堤上は高句麗に向かうと宝海に接触し、脱出の期日を謀った。
 そして、五月十五日を脱出決行の日と決め、堤上は高城浦口にて船を用意して
宝海を待つことにした。
 期日が迫ると宝海は病と称して数日間参内しなかった。
 約束の夜、宝海は逃げ出して高城の海辺にたどり着いた。
 高句麗王はこれに気づき、数十人の家臣に追わせ、高城で追いついた。
 しかし、高句麗においての宝海は彼らにいつも恩恵を施していたので兵士たちは
彼に同情してわざと逃がしたのだった。
 宝海の帰還に訥祇王は喜んだが同時に美海への思いがさらに増し、涙を流して
側近に言った。
 「身体に片手しかなく、顔に片目しかないのと同じだ。一人の弟は帰ったがもう
一人がいないのにどうして胸を傷めずにおれようか」
 それを聞いた金堤上はひとり倭国に向かった。
 堤上は、倭王に会うと、
 「鶏林王(新羅王)が何の罪もないのに私の父兄を殺したのでここまで逃れてまい
りました」
と、欺いた。
 倭王は堤上を信用し、彼に家を与えて住まわせた。
 それから、堤上はいつも美海に従って海辺にでかけて遊び、魚や鳥を捕まえて
いつも倭王に献上していたので王は非常に喜び、疑わなかった。
 たまたま暁の霧がたちこめて一寸の先も見えなかった。
 堤上が美海に、
 「お行きなさい」
と、言うと、美海は、
 「それでは一緒に行こう」
と、美海は言った。
 堤上が、
 「もし私も行けば倭人らが気づいて追って来るのではないかと心配されます。だから
私は留まって彼らの追撃を食い止めましょう」
と、言うと、美海は、
 「今、私はお前を父兄のごとく思っているのに、どうしてお前を置いてひとり帰って
いけようか」
と、言った。
 堤上は、
 「私は、王子の生命を救い、大王の気持ちさえ慰められればそれで十分でございます。
どうして生きることをのぞみましょうか」
と、言い、酒をついで美海に捧げた。
 この時、新羅人の康仇麗が倭国に来ていたので彼を従えて送り出した。