小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

415 葛城氏の先祖たちが持つ伝承(前編)

2015年08月12日 01時06分36秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生415 ―葛城氏の先祖たちが持つ伝承(前編)―
 
 
 実は葛城氏の始祖、建内宿禰(武内宿禰)自身が朝鮮半島に関わっている
のです。
 そもそも、神功皇后の三韓征伐の伝承においても、建内宿禰は仲哀天皇、
神功皇后の重臣として傍にいます。
 
 また『日本書紀』の神功皇后摂政四十三年の記事に次のような内容なことが
記されています。
 
 百済王が久氐(くてい)、弥州流(みつる)、莫古(まくこ)を使者として日本に
派遣してきた。
 同じ時に新羅も調の使いを送って来た。
 これは百済、新羅による初の朝貢であり、皇后と皇太子(後の応神天皇のこと)は
大変喜んだ。
 しかし、新羅の貢物は珍しい品が多くあったのに対し、百済の貢物は量も少なく
質も良くないものばかりだった。
 そこで百済の使者たちに、
 「百済の貢物は新羅に劣っているのはどうしてなのか?」
と、問いかけると、答えて言うには、日本に向かう途上の新羅で新羅人に捕らえ
られ、日本への貢物を新羅が用意した者と交換する形で強引に奪われてしまった。
新羅が持ってきた貢物は我々から奪ったものである。我々が日本に差し出した
貢物は、新羅に強引に交換させられたものだ。
 それを聞いた皇后と皇太子は、その真偽を確かめる死者を百済と新羅に派遣
すべきとして、誰を派遣すればよいかを天神に占った。
 すると天神が答えて言うには、
 「武内宿禰に議を行わせよ。そして千熊長彦(ちくまながひこ)を使者にすれば
願いは成就するであろう」
 それで千熊長彦を新羅に遣わして問いただすと、はたして百済の使者が言った
とおりであった。
 
 それから、『日本書紀』応神天皇七年の記事には、
 
 「高麗人、百済人、任那人、新羅人がそろって来朝してきたので、武内宿禰に
これらの人々を率いて池を作らせた。それで、この池を韓人池という」
 
と、あります。
 
 武内宿禰の子で、葛城氏の祖でもある葛城襲津彦(『古事記』では葛城長江
曽都毘古)についても朝鮮半島に関わる伝承があります。
 
 『日本書紀』の神功皇后摂政五年の記事に次のようなことが記されています。
 
 新羅王は汙礼斯伐(ウレシカン)、毛麻利叱智(モマリシチ)、富羅母智(ホラモ
チ)らを遣わして朝貢してきた際に、日本に人質に出されていた王子の微叱許智
伐旱(ミシコチホッカン)を新羅に脱出させようとした。
 使者たちは皇子の一時帰国を求め、神功皇后はこれを許可した。そして襲津
彦を副えて新羅に帰らせたが、使者たちは対馬で襲津彦を欺き、微叱許智を
密かに船に乗せて新羅に逃した。
 謀られたことを知った襲津彦は使者たちを殺すと、新羅に攻め込み、捕虜を
日本に連れて帰った。