小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

420 新羅王子の帰還④

2015年08月23日 00時37分30秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生420 ―新羅王子の帰還④―
 
 
 堤上は美海の部屋に入っていて、翌日側近が来て部屋に入ろうとするのを
押しとどめて言った。
 「昨日王子は狩りで駆け回ったから非常に疲れて起きられない」
 陽が傾く頃になって、側近が怪しみ再び問うと、
 「美海はすでにずっと前に発った」
と、答えた。
 彼らは急いで倭王に告げた。王は騎兵に追わせたが追いつけなかった。
 そこで堤上を捕らえて問い詰めた。
 「お前は今では私の臣下になっているのになぜお前の国の王子をひそかに
逃がしたのか?」
 堤上は答えた。
 「私は鶏林の臣下であって倭国の臣下ではない。わが王の望みに答えよう
としたまでのことである。どうしてあなたに告げる必要があるのか」
 倭王は怒って、
 「お前はすでに私の臣下であるのに、それでも鶏林の臣下だと言うならそれ
相応の刑を加えねばならない。しかし、もし倭国の臣下だと言うならば、きっと
高い官職を授けよう」
と、言った。
 堤上は、
 「むしろ鶏林の豚、犬になっても倭国の臣下にはならない。むしろ鶏林の鞭を
受けても倭国の官職や碌は受けない」
と、答えた。
 倭王は怒って堤上の脚下の皮を剥ぎ、葦を切ってその上を走らせた。今の
葦の上に血の痕があるのは世間では堤上の血と言う。
 倭王が再び、
 「どこの国の臣下か?」
と、問うと、堤上は、
 「鶏林の臣下である」
と、言った。
 さらに堤上を熱く焼いた鉄の上に立たせ、
 「どこの国の臣下か?」
と、訊いた。堤上はやはり、
 「鶏林の臣下である」
と、言った。
 倭王は堤上を屈服させることができないことを知り、彼を木島で焼き殺した。
 
 美海の帰還に訥祇王は宝海とともに南の郊外に出迎え、宮中で宴を設け、
全国に大赦を下した。
 そして、堤上の妻を冊封して国大夫人とし、その娘を美海公夫人とした。
 
 
 以上が『三国遺事』が記すものです。
 
 ※(『三国史記』、『三国遺事』ともに内容は、朝鮮史研究会訳の金錫亨著
『古代朝日関係史』を参考)
 
 
 『日本書紀』、『三国史記』、『三国遺事』を比べてみると、それぞれで人名が
異なるものの、大筋としては新羅の使者が策略を用いて人質の新羅王子を
帰国されるも自身は焼き殺される、という話であることは一致しています。
 
 また、『三国史記』の「新羅本紀」の中に、倭国にやって来た百済人が、新羅と
高句麗が倭国に侵攻しようとしている、と倭王に中傷した、という部分がありま
すが、このことから、当時百済人も日本の王権の近いところにいたことをうかが
わせます。
 実際、『日本書紀』も『三国史記』の「百済本紀」にも、百済からの人質がいた
ことが記されているのです。