小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

初めての映画館では

2013年03月25日 01時39分22秒 | 日記
2010年6月13日(日)(2歳2か月)


 映画『超仮面ライダー電王/エピソードBLUE』を、
りえとゆうきにせがまれて、連れてった。

 仮面ライダー電王の映画版第6作目。

 ゆうきとりえは電王ファンで、映画館で観るのは
3作目だ。

 どーでもいい知識になるけど、同じ仮面ライダー 
に映画版が2作以上作られるので、サブタイトルが
必ずついている。
 例えば『仮面ライダーカブト/GOD SPEED LOVE』と
いったように。

 このサブタイトルには横文字のものが多いのも特徴
である。

 今回は春奈も連れていくことにした。

 たまには子供3人面倒みてやるのもいいだろうと、
みんたに対して仏心で連れて行こうとしたら家を出
るなりゲリラ豪雨に襲われた。

 何の報いだよ!

 駅では、りえから、

 「パパ、今度は寝たあかんで」

と、くぎを刺された。

 前回『仮面ライダーW/ビギンズナイト』(やっぱり
サブタイトルが横文字)を観に連れて行った時に、そ
の上映中に寝てしまったことを覚えてやがったようだ。

 しかし、今回は春奈が上映中爆睡していた。

 春奈にとっては初めての映画館で、館内の暗さに怖
がるかと心配していたけどそっちの方は杞憂だった。

 その代わりに、館内が暗くなったことで眠くなって
しまったようだ。


 その夜、風呂から上がった春奈がまた裸ン坊のまま
走り回る。

 パジャマを着せようと追いかけ回していたみんたが
疲れて、

 「はるー、もう知らんで」

と、言うと、春奈がピタッと足を止めて、それから、
みんたの方を振り向くと、

 「もう知らんで、とちゃう!」

と、えらそうな口調で言った。

 どんだけ態度がでかいねん。

118 天孫たちの神話の原像

2013年03月25日 01時34分38秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生118 ―天孫たちの神話の原像―

 
 とりわけ、海幸彦として語り継がれるホオリの神話は海の物語として際立っ
ていますが、いわゆる日向三代、ホノニニギ、ホオリ、ウガヤフキアエズ、
すべてが海神の娘を妻に迎えているのです。

 この中で、ホノニニギとコノハナノサクヤビメの出会いの場面に注目した
いと思います。

 『古事記』では、ホノニニギが笠沙の御前(かささのみさき)で偶然に出
会ったコノハナノサクヤビメに一目ぼれしたと描いています。
 一方の『日本書紀』の本文には、出会いの場面は描かれていないのですが、
『日本書紀』の一書には、ホノニニギが浜辺を訪れた時にコノハナノサクヤ
ビメと出会った、と描かれています。
 また、別の一書にも、ホノニニギが笠狭の御碕(かささのみさき)を訪れ
た時、波穂の上に八尋殿を建てて、はた織りをしているコノハナノサクヤビ
メに一目ぼれしたと描かれています。

 この中で、コノハナノサクヤビメが、八尋殿にてはた織りをしていた、と
いう部分に注意したいと思います。
 『古事記』に、高天の原においてスサノオが乱暴を働くエピソードがあり
ます。その中に、アマテラスが忌服屋(いみはたや)にて神衣を織っている
場面が登場します。
 最高神であるアマテラスが誰のための神衣を織っていたのか、この矛盾は、
アマテラスが本来は日神の巫女か妻であった名残であろうと言われています。
 すると、コノハナノサクヤビメが織っていたのは天孫のための神衣であり
、コノハナノサクヤビメは、浜辺で天孫を迎える巫女の存在だったと思われ
るのです。
 さらに言えば、この神話の原型では、神は海から浜辺にやって来るもので
はなかったでしょうか。

ここで思い起こされるのが、出雲大社の神在祭の、海上に龍を迎える一神事
です。
毎年10月11日より15日までの間に、海上より白波の上を藻に乗って杵
築の海辺にやってくるこの龍を、神官が潔斎して海辺に出て、玉藻をもって
袖に承けると龍蛇はその上に留まります。それを六角の曲物に納め、標縄を
張り、神殿に納めるというのです。

 ところで、龍を入れ物に収める行為とはどのような意味を持つのでしょう
か。

 天孫降臨の段で、『古事記』は、最初アメノオシホミミが降る予定だった
のが直前にホノニニギが誕生したので代わりにこの神を降ろすことになった、
と描いています。
 つまり、ホノニニギは生まれたばかりに赤ん坊の神だったのです。
 『日本書紀』の一書では、ホノニニギをタカミムスヒが、

 憐愛を集めて崇(かた)て養いたまう

と、あります。生まれたばかりではないにしろ、やはり乳幼児の状態で葦原
中国に降ろしたと思われます。
 この時、タカミムスヒはホノニニギを真床追衾(まとこおうふすま)で覆っ
て降ろした、とあります。
 また、別の一書には、ホオリがワタツミの宮を訪れた時に、真床覆衾(ま
どこおうふすま)を用いる場面と、ホオリの妻となったトヨタマビメがウガ
ヤフキアエズを生んだ時に、真床覆衾と茅にこの神をつつんで渚においた、
という場面があります。
 ワタツミは、ホオリのために3つの部屋を用意します。
 ホオリは、端の部屋では両足を拭い、真ん中の部屋では両手の手を押さえ、
手前の部屋では真床覆衾の上に座ります。それを見て、ワタツミはホオリが
天孫であることを知る、とあり、ここでは、真床覆衾が天孫のみが使用する
ものとして描かれているわけです。
 
 日向三代いずれにも真床覆衾が登場しますが、ホオリの場合を除いて、他
のホノニニギ、ウガヤフキアエズは、赤ん坊の状態でこの真床覆衾にくるま
れる、という形になっています。
 それではこの真床覆衾とはどのようなものなのか、これについてははっき
りとせず、布団のような寝具の一種とする説や、赤ん坊を包むものとする説、
赤ん坊を収める容器のようなかたちをしているのではないかとする説などが
あります。

 しかし、日向三代の神話の原像が、海からやって来る神の神話であったと
するならば、神在祭における龍を納める入れ物(六角の曲物)とは、まさに
真床覆衾に該当するものなのではないでしょうか。

 それから、ホノニニギがコノハナノサクヤビメと出会う場面がすべて海辺
であるのも、海からやって来る神を海辺で巫女が迎えることが原型であると
することについても、『日本書紀』の異伝に、生まれたウガヤフキアエズを
母神が海辺に置いて去っていくところに見ることができるのです。

 ホオリはワタツミの娘トヨタマビメを妻にしますが、トヨタマビメがウガ
ヤフキアエズを生むときに、
 「私たちは出産のときには元の姿に戻って子を生みます。だから、私が出
産する姿を絶対に見ないでください」
と願ったにもかかわらず、産所の中を覗いてしまいます。するとトヨタマビ
メの正体は八尋和邇でした。
 正体を見られたトヨタマビメはそれを恥じて、生まれたウガヤフキアエズ
を残して海に帰ってしまいます。
 『古事記』も『日本書紀』の本文、異伝ともにこれを伝えていますが、『日
本書紀』の異伝のひとつ、すなわち一書のひとつには、茅でウガヤフキアエ
ズを包んで海辺に捨てていった、とあり、別の一書、先ほどお話ししたもの
ですが、ここには、ホオリがワタツミの宮を訪れた時に、真床覆衾(まどこ
おうふすま)を用いる場面と、ホオリの妻となったトヨタマビメがウガヤフ
キアエズを生んだ時に、真床覆衾と茅にこの神をつつんで海辺においた、と
あります。
 さらには、その異伝として、トヨタマビメはウガヤフキアエズを海辺に置い
ていくことをよしとせず、海の中につれていきますが、
 「天孫の子を生みの中におくべきではない」
と、考え直し、妹のタマヨリビメにウガヤフキアエズを預けて陸地に帰します。
 ウガヤフキアエズは、まさに海からやって来た神として描かれているのです。


・・・つづく