趣味の日記

観劇・歴史・小説・漫画などなど、思いつくままの語り日記

祝!ソフトバンク優勝

2008-06-22 23:55:52 | Weblog
交流戦、無事にソフトバンクが優勝できました。
昨夜、巨人に延長12回裏逆転サヨナラ負けをして地団太を踏んだので、ともあれ今日は勝ってホッとしました。
阪神ファンの方々、すみません(苦笑)。でも、少なくとも巨人の優勝は阻止しましたから、それでご容赦を(爆)。
この数年、常にあと一歩でリーグ優勝を逃し続けてきたソフトバンク。交流戦限定とはいえ、その最後の一歩をようやくモノにして優勝できたことは、ほんと良かったね~と思います。
(特に、おととしの斉藤投手の激闘の末の敗北の姿を目に焼き付けてる身には、今年の杉内投手の孤高の奮戦ぶりは、あの時とオーバーラップしてたまらない~)
来週からはもとのリーグ戦が再開します。さ、ちゃんとオリックスの応援に戻らなきゃ(大爆)。
幸いにも(??)オリックスからはオリンピック代表の候補に一人も入らなかったことですし(汗)、8月のオリンピックの期間中も、オリックスだけはフルメンバーで試合ができるので、そこでちょっとでも勝ちを取らなきゃ(それで取れなきゃ、もうどーしよーもない/爆)。

野球ネタはそれくらいにして。
雪組バウ「凍てついた明日」の2バージョン目を観てきました。
私はオギー作品が大好きですが、これほど語るのが難しいものはないので(苦笑)、大したことは書けないんですけど。
何というか、ひと言であらわすなら、この作品の初演版が‘空虚’‘虚無’といったイメージだったとすれば、今回の再演版は、‘混沌’‘カオス’というイメージでしょうか。
初演のグンちゃんやタータンさんのボニーとクライドは、荒涼とした砂漠の空虚な風にさらされてるような、渇いたものがありましたけど、再演版では、泥の中に沈み込んでもがいてるような、息苦しくて何も見えない、そんな方向性に作ってあったのではと。
そしてその混沌の中でもがき、溺れ、出口を探そうとして必死に動いていたのが、大月さゆちゃんでした。
逃げるのではなく、光明を見出すために、一歩を踏み出していった1バージョン目のアニス。
そして今日の2バージョン目、ひたすらあがき苦しんで、走り続けたボニー。
どちらも、今回の再演に当たってオギーが求めたものに、きっちり応えた好演だったと思います。すごく、観ていて伝わってきたし、面白いお芝居でした。
入れ替わりだった愛原実花ちゃんは、その点かなり苦戦してたんじゃないかと。ボニーは、初演のグンちゃんのビデオをさぞ何回も観たのだろうと思える、グンちゃんを踏襲した演じ方。硬質な愛原ちゃんには、確かにそういう方向が似合うのかもしれないけど、でも中身はあくまでもグンちゃんのような空虚感はなく、必死にあがいてる。だから、どうしてもグンちゃんのイメージのほうが先行してしまいます。
そして今日のアニスも、1バージョン目のボニーをどこか引きずった演じ方。先のボニーとイメージが同じな分、アニスの立ち位置が曖昧になってしまった気がします。それに、さゆちゃんのアニスを観たあとでは、どうしても比べてしまう。

もともとがグンちゃんのボニーのために書かれたといってもよい作品なので、どちらかといえばボニーにメインが置かれてるような比重なんですけど、それにしても、肝心の主役・クライドのかなめ君、印象が薄いのは・・・なぜ??
確かに見た目はスタイル良く、スーツ姿も決まって、綺麗なスターさん。
でも、お芝居に芯があまり感じられない。甘ったれでただひたすら逃げることしか知らない、クライドの追い詰められ感、怖いからそれを隠して強がってる危うさ、そういったクライドの本質は、かなめ君にはハマりそうに思えるのに。
台詞回しや歌い方が、妙に初演のタータンさんを踏襲してるのが、余計に気になる。発音や抑揚を真似てるだけで、かなめ君には中身が伴っていない。やはりタータンさんはものすごく上手かったんだと、改めて思ったほど。
しかも、1バージョンと2バージョン、ほかのワークショップシリーズと違って、両方をかなめ君一人で演じてるにもかかわらず、私が観劇した1回目と2回目、進歩がないのはどーしてでしょ???(汗)
かなめ君を好きな皆様には申し訳ないけど、どうも私には、かなめ君のクライドは、オギー作品の主役としては納得ができなかった・・・。

一方、2番手格として保安官補佐のテッドを演じた緒月君のほうが、よほどカッコ良く、一本芯の通ったお芝居で、ものすごく面白かった。
クライドの幼馴染で、なのに進む道を違えてしまった、やりきれなさと優しさと厳しさ。
ラストに1節だけ歌う主題歌の「ブルース・レクイエム」が素晴らしく、ほんとなら丸々1曲歌って欲しかった・・・(歌うべき役としての立ち位置じゃないのが残念)。
クライドの悪仲間、レイモンドのくらま君も、面白いお芝居で目が行きます。
初演のケロさんは、空虚ゆえのキレっぷりというか、死ねばそれで終わりの虚しさ、みたいなところがありましたが、くらま君のレイモンドは、熱いドロドロした黒いものを抱えてるからこそ、それを吐き出すためのぶっ飛んだ言動、やはり何かにあがいている人物としての作り方。
初演がトウコちゃんだったジェレミー、そしてハマコさんだったジョーンズは、それぞれバージョンごとに、役代わりで下級生の子たちが演じてましたが、かなりの健闘だったとはいえ、やはり難役には違いない。
特にジェレミーはね・・・今でも私は、あの役がトウコちゃんの最高の役だったんじゃないかと思ってるくらい。
その代わり、再演版の演出では、ジェレミーは一切、主題歌を歌ってません。そういう立ち位置で描かれてないってことでしょうね。
初演でクライドの姉を演じてたまゆみ姐さんが、今回はボニーの母親役。シビさんの位置に入りましたが、ここでも主題歌は一切歌わず。
全体として、登場人物たちの感情を表に出し、それぞれの思いと苦悩を強く語らせてるので、ボニーとクライドを見つめる視点で歌うべき主題歌は、却ってメインキャラたちではなく、周囲のオーディエンスたちに限定したのかな、と思います(初演のトウコちゃんもシビさんも、違う立場から二人を見つめるという点で、主題歌を歌うべき立ち位置だったのね)。

語りづらいと言いつつ、あれこれ書きましたけど(苦笑)、やはりオギー作品は難しい。
演じる側もそうだろうし、観る側、語る側にとっても(爆)。
再演のために人物たちの比重をかなり変え、セットもがらりと変え、傍観者であるオーディエンスたちを影ではなく群衆として動かし、ラストシーンの演出も初演とはまったく違ったものにした、オギーの手腕はさすがだと思います。
初演の見事な当て書きが強く印象に残ってる作品だけに、再演して大丈夫なのか?と正直思ってましたけど、これはこれで、オギー作品として面白い試みではあったんじゃないかと、今は思います。

コメント
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