趣味の日記

観劇・歴史・小説・漫画などなど、思いつくままの語り日記

映画鑑賞

2007-12-30 23:58:30 | Weblog
年の暮れだというのに、掃除を放っぽらかして、映画を観に行ってきました。
突然どうして?という感じですが、何気にネットでお正月映画をチェックしていて、今年は何にも面白そうなのがないなぁ~と思っていたら、ところがどっこい、「光の六つのしるし」が公開になってる!
私が大昔に、読んで気に入ってたファンタジー本の映画化。
映画化するのは聞いてたけど、公開時期とかはまったくノーチェックだったので、びっくり&早く観に行かなきゃ!と、つい出かけてしまったわけです・・・。
しかも、大阪梅田の映画館ではなく、難波へ出るか、神戸の三宮へ出るかという選択。そりゃあ、普段よく行く梅田の映画館をチェックしてるだけじゃあ、ひっかからないはずだ。
結局は三宮で観てきたのですが、これが、原作とかなりストーリーが違う。
まず、主人公の年齢からして違うし(苦笑)。原作では、主人公のウィルが11歳の誕生日を迎えるところから始まります。が、映画は14歳の誕生日。・・・この年頃の3歳分は、かなり大きい違いだぞ。
原作のイメージが、まだ小さい男の子、というイメージなので、かなり違和感がありました。
それと、映画では完全に現代。原作での、ちょっとだけ古びた感じの、田舎の風景というのとは、これまた違いました。
映画そのものが、どちらかと言えば原作を下敷きに、かなりオリジナルを交えて再構築した単独作品、という雰囲気になってます。
原作は全部で5冊。闇の戦いシリーズとしては4冊なんですが、もう1冊、なぜか別の出版社からまったく別個として出ていて、本当は5部構成の物語。
でも、映画はこの「光の六つのしるし」単独で、一応は完結しています。

このファンタジーの特徴は、時空を越えて、過去と現在を行ったり来たりできること。そういう能力を持った、光の‘古老’たちは、いくつもの時代にいくつもの姿で何重にも存在しているので、結構読んでるとややこしい。
映画では、そういう設定は全部すっ飛ばして、‘古老’はタイムスリップができる、というだけにとどめてあります。
主人公のウィルは、その力を持って生まれた最後の‘古老’。11歳の誕生日にその力と使命に目覚め、見た目が幼いにもかかわらず、‘古老’としての力を自覚するにつれてどんどん中身が老成していく、そのギャップが原作では結構好きだったんですけど、映画は14歳の思春期の少年らしさのまま、少年としての成長期として描いてありました。
まぁそれはそれで、まったく別物として上手くまとめてあったので、面白いと言えば面白かったんですが。
あと、その光の力を秘めた六つのしるしを探すわけですけど、原作にはちゃんと六つ、形あるものとしてのしるしを集めるのが、映画では六つ目が違ってましたね。原作にはあった‘火’のしるしが映画ではなくなってて、六つ目はウィル自身、ウィルの人としての魂の強さ、という解釈になってました。そして六つ集まったところで、闇の騎手を倒して、ハッピーエンド。
原作では、六つ集めることは序章でしかなく、さらに闇と戦うための仲間と力を、集めていくことになります。
それで最後には、アーサー王伝説にまで絡めて、ウィルを導く‘古老’の一人メリマンの正体が、実はアーサー王の魔法使いマーリンだったとか、ウィルの友人となり、共に闇と戦うことになる少年ブラァンが、実は時を越えてかくまわれ、育てられた、アーサー王の世継ぎだったとか、そういう物語にまで発展していくんですよね。
この映画の様子だと、あまりこの続きを作る気はないのかな、と思ったんですけど、どうかな~?

そもそも、この本を知って映画を観てる人がどんだけいるんだろう?今日の映画館もガラガラだったし(苦笑)、ファンタジー好きでいろいろ読んでる人なら知ってるだろう、くらいの、かなりマニアックな部類に入る本だと思うんだけど。
・・・まぁ、私はたまたま、子供の頃にファンタジーにハマっていろいろ読んでた時期があったので、この本は気に入って覚えてましたけど。

とりあえず、昨今のファンタジーブームに乗って作られた映画としては、原作のコンセプトを上手く使って、オリジナリティをもって構成してあるという点で、まだ出来の良い方ではないでしょうか。

コメント
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