さっちゃん 空を飛ぶ

認知症で要介護5の妻との楽しい日常を 日記に書き留めたいと思います

さっちゃんは入院することになりました

2021-11-30 23:57:16 | 大腿骨転子部骨折
トイレの中で、僕は思わずが滲んでしまいました。
それはさっちゃんが浮かべる笑顔を思い出していたからです。
朝、目覚めた時に笑顔を見せてくれることがあります。
テレビの画面を観ていて、僕の方を振り返って笑顔を見せてくれることがあります。
さっちゃんと二人で話をしていて、笑顔を見せてくれることがあります。
僕がお道化た仕草を見せると、笑顔を見せてくれることがあります。
何故だか理由は分かりませんけど、笑顔を見せてくれることがあります。

そんなさっちゃんの笑顔が僕の心を幸せにしてくれていたんだなと思って、僕はが滲んできました。
去年の後半、何ヶ月間かの間、さっちゃんの表情から笑顔が消えた時期がありました。
デイサービスがこしらえてくださった傘寿のお祝いカードに貼り付けてある写真は笑顔の顔ではありませんでした。
その後、笑顔が復活し、どれだけ僕の心が救われたことでしょう。

今日のNHK朝の連続テレビ小説で、ヒロインの安子が赤ん坊のるいをきつく怒るシーンがありました。
その直後、安子は「ご免ね」とるいに必死に謝ります。
るいは赤ん坊ですから、きょとんとしているだけ。
そんな場面を観て、僕は泣けて来てしまいました。
安子の怒る気持ち、安子の謝る気持ちにとても共感してしまったからです。
僕とさっちゃんの姿をだぶらせて観てしまったからです。

さっちゃんと顔を合わせることも出来ない日々が長く続くと、さっちゃんとの関係は一体どうなってしまうんでしょう!?
さっちゃんのあの素晴らしい笑顔が再び消えてしまうかもしれないと思うと、泣けて来てしまいます。

僕はどちらかと言うと、理性的、合理的な人間です。
悪く言えば、冷徹な面があるかと思います。
さっちゃんの今後や、自分自身の将来を考えて、頭の中だけでは酷く打算的なことが浮かんできたりします。
考えるだけのことと、本心や実際に行動することは違うんだ、と自分で自分を弁解したりしますけれど、そんな考えが浮かぶ自分は酷い人間だとも思います。
ある人からは「〇〇さんの得意技の自己中」とまで言われたことがあります。
もちろん憤慨しましたが、こんな要素が少なからずあることも事実だと認めざるを得ません。

ここまでは11月30日の火曜日の昼に書いています。
ここからは先週の土曜日から起きた出来事を順を追って簡潔に記録しておこうと思います。

     *   *   *   *   *   *   *   *   *   *

土曜日の夕方5時12分、寝室からバタ~~ンという大きな音が響きました。
何事だっ! と、僕はすぐに寝室の戸を開け、中を見ました。
すると、足元にさっちゃんが倒れて呻いています。
さっちゃんが布団から立ち上がって何かに躓いたりして転ぶことは2、3度起きたことはありました。
でも、今回のように呻いているのは初めてです。
顔中に汗を掻いていることも心配でした。
セーターなども着たまま寝ていたからだろうと、自分を納得させました。

とにかく、さっちゃんを抱きかかえて、布団に戻しました。
を打ったんだろうかと、頭を触ってみますが、たん瘤のようなものも出来ておらず、触ってもさっちゃんが痛いとは言いません。
全身を触ってみましたが、どこが痛いのか分かりませんでした。
ともかく、しばらくは布団の中で安静にしておいてもらおうと考えるしかありません。

土曜日は朝食(遅い昼食?)が凄く遅かったので、夜の8時前に寝ているさっちゃんに声掛けをして起きてもらおうとしました。
ところが、さっちゃんに起きる気配はまったくありません。
無理矢理起こすのも可哀想ですし、眠気が強い状態では食事も出来ないでしょうから、そのまま寝かせておくことにしました。

日曜日もさっちゃんはまったく起きる気配がありませんでした。
ただ、横向きで寝ているさっちゃんを仰向けに位置を変えようとすると、痛がります。
脚をあちこち触っても痛がりませんが、左膝の辺りに手を当てて、脚を開かせようとすると、痛がるんです。
さっちゃんは股関節のどこかを痛めたのだろうかと、思いました。

さっちゃんは夜になっても一向に起きる気配はありません。
ただ、これだけ長く寝ていると、パッドは多量のおしっこを吸っているはずです。
夜7時ころ、さっちゃんのパッドを取り換えることにしました。
さっちゃんに立ってもらおうとすると、立てません。
背中側から両脇の下を持って、立ち上がらせますが、左足に全然力が入っていません。
これではトイレまで歩かせることも不可能です。

僕はお風呂場からお風呂場用の椅子を持って来て、布団の上、壁側に置き、座布団を敷きました。
そして、さっちゃんを脇の下で抱えて立たせ、それからその低い椅子に座らせました。
ズボン、ズボン下を引きずるようにして脱がせました。
パッドは重くなっていましたが、許容量にはまだ余裕がありました。
土曜の夜から丸一日ほとんど水分を摂っていないからでしょう。
新しいパッドに替え、分厚いズボンは脱いでもらって、また布団の中で寝てもらいました。

この体験をして、僕はやっとさっちゃんの状態が大変なことになっていることを実感しました。
それまではどうしてもいいようにいいように考えてしまっていたんです。
救急車を呼ぶべきかもしれない、呼んだ方がいいと考えました。
また一方で、今日は日曜日だし、にもなってしまった、今病院へ行っても・・・・と思う自分もいました。
明日目が覚めると、さっちゃんは起き上がって自分で立てるようになっているかもしれない、そんな楽観的な想像もしました。
どうであるにせよ、明日の朝まで待ってみようと決めました。

水屋の中に紅茶用の急須があったので、それに白湯を入れて横向きに寝ているさっちゃんに飲んでもらいました。
白湯が注がれる様子が見えませんから、ほんの少しずつしか飲んでもらえません。
半分寝ているようなさっちゃんですけれど、白湯を少しですが飲んでくれました。
さらに8時過ぎ、少しだけ食べてもらいました。
昨晩作ったさっちゃん用の夕食です。
キウイ1個と柿半分、クリームチーズと花豆とサラダチキン。
ほんの少しですが、さっちゃんは食べてくれました。

夜、熱を計ってみました。
37.4度ありました。


11月29日の月曜日。
僕が何時に起床して、何をしていたのか、まったく記憶がありません。
メモをしている訳でもありませんから、忘れてしまっています。
ただ、朝食を摂る余裕はなかったようですね。

まず、9時前にケアマネさんに電話を入れました。
簡潔に状況を説明し、ケアマネさんの意見を求めました。
ケアマネさんはすぐに救急車を呼んだ方がいい、と言ってくれました。
僕もそうしようと思ってはいましたから、その行動を取ることに確信を持つことが出来ました。
9時3分に僕は119番通報をしました。
9時9分、「もうすぐ到着します。建物の名前を教えてください。何号棟の何号室ですか」との連絡が入りました。
玄関の外で物音がしましたから、玄関を開けると、隊員の方がすでに到着していました。
この部屋に救急隊員を迎えるのはこれで2回目ですが、どかどかと乗り込んでくる、そんなイメージは覆りませんね。
人の住まいのイメージとは明らかに異質な侵入者です。

さっちゃんの状態を調べると同時に、僕に対しても指示を出します。
「健康保険証、飲んでいる薬、お薬手帳、お金を持って来てください」
他にもあったように思いますが・・・・
「病院からすぐ戻ることもあるかもしれませんから、靴も忘れないように」
前回の場合は、さっちゃんは救急隊員を見ると状態がよくなってしまって、病院でも特に悪い箇所が見つからずに帰宅したんです。
でも、今回はそんなことは期待できそうにありません。
さっちゃんは毛布にくるまれて、玄関の外に置いてあるストレッチャーに載せられました。

向かう病院は部屋に居る時にすでに決まっていました。
僕の住む市の東の端にあるA病院です。

救急車の中でさっちゃんに関していろいろと聞かれました。
病歴、手術歴、アレルギー、身長、体重、etc.
体温を計ると、その時も37.4度でした。

A病院に入ると、整形外科の診察室前にあるストレッチャースペースに止めて、診察を待ちます。
その後、診察室へ。
10時18分、最初の診察を終えて、レントゲン室へ。
僕は診察室の前で待つことになりました。
この時から、病院での記録をメモしています。
10時58分、レントゲン撮影を終了したさっちゃんが別室で待機するとのことで、ストレッチャーを押して別室へ行きました。
先ほどまでいた救急隊員から、病院のスタッフに代わっていました。
別室は空いている言語療法室でした。
ストレッチャーも救急車のから病院のものに代わっています。
看護師さん(多分)が「念のためコロナの検査もしますね」と言います。
コロナ検査をするということは、入院なのでしょうか?
さっちゃんはずっと寝ているように見えました。

看護師さんが再び来て、PCR検査と抗原検査をしました。
PCR検査は鼻の奥深くまで綿棒を突っ込んで痛いという話は聞いていましたが、確かに深くまで突っ込むんですね。
抗原検査は唾液でするのかと思っていましたが、この時はPCR検査同様綿棒を鼻の奥深くに突っ込む検査でした。
さっちゃんは凄く嫌がっています。
痛そう。
他にも、ここで採血もしました。
細い瓶に数本の血液を採りました。
注射針を刺すときに、さっちゃんは腕を動かしますから、僕はさっちゃんの腕をしっかりと押さえておきます。
11時9分に終了。
抗原検査は20~30分後に、PCR検査は翌日に分かるそうです。

11時33分、待機していた部屋から出て、先ほどの診察室前に移動して待ちます。
11時50分ころから、診察室で医師の説明を受けました。
レントゲンの映像を見ながら先生は説明してくれます。
でも、「この線とこの線が離れていますよね」と言われてもどういうことなのかさっぱり分かりません。
看護師さんが左股関節周辺の骨の小さな模型を持って来てくれました。
さらに、骨折部分の3D映像もあって、それを見せてくれました。
それでようやくさっちゃんの左足のどこがどうなっているのかが理解できました。
左脚大腿骨の股関節に近い部分の前側が骨折しているのですね。
手術が必要とのことです。
自然には引っ付かないのですね。

手術は骨の髄部分に芯となる金属棒をいれて、それと交差するようにもう2本の金属棒で固定するんだそうです。
人工骨等は使わないそうです。
普段、血液をサラサラにする薬(エゼチミブとエパデールでしょう)を飲んでいるので、その効果が薄まるまで期間を開ける必要があるそうです。
なので、おそらく手術は翌週以降になるのだそうです。
手術後は翌日からでもリハビリを始めるそうです。

12時4分に診察は終わり、さっちゃんが入院する部屋も決まり、入院のための検査と言うことで、さっちゃんは心電図を取りに連れて行かれました。
僕は診察室の前で待つことに。

その後、看護師さん(ではないかもしれませんが)が来られて、入院に関する説明を受けました。
抗原検査の結果は陰性だったそうです。
今、コロナ禍なので基本的に面会は出来ないことを伝えられました。
ただ、手術当日は会えるかもしれないそうです。
他にもいろいろと説明を受けましたが、詳しくは忘れました。
12時半にその説明が終了。

続いて、12時40分に4階のさっちゃんが入院する病室のあるフロアへ行きました。
12時50分から、ナースステーションの前のフロアで男性看護師さんからいろいろと質問を受けました。
今後の看護や入院生活に必要な情報を僕から聞くためです。
それに、すでに入院生活は始まっていますから、そのための寝巻きや肌着、オムツなどの件も決めておかねばなりません。
特に自宅から用意するものは無いみたいですね。
さっちゃんが着ていた服は全部僕に返してくれましたから、さっちゃんはすでに病院が用意した肌着や寝巻きを着ているようですね。

いろいろ言われた中で、ひとつ気になった点がありました。
「早めに介護度変更の手続きをした方がいいですよ」と言うんです。
「術後でなくても、手術前に手続きを進めてもいいですよ」と言うんです。
確かに、後期高齢者が大腿骨骨折をすると、その後どうなるかは想像がつくかもしれません。
要介護3では出来ないことがあるんだろうか、とも思いました。
(この点に関しては、ケアマネさんが病院側に再度問い合わせてくれました。
その結果、手術後ある程度経ってからでもいいでしょう、との結論です。)


あと、「保湿剤を持って来てください」と言われました。
さっちゃんが認知症になってから保湿剤は使っていません。
痒がることもありませんでしたから、どうしようかと思案中です。
家にそれらしきクリームのようなものはありますが、そのどれなんでしょうね。
僕はその中のニベアクリームを借りて使っていますけどね。

13時17分、この男性看護師さんの聞き取りや話し合いが終わりました。
これで今日の病院での仕事はすべて終了です。
コロナ禍でなければ、これからさっちゃんの病室へ行って、しばらくはそこで一緒の時間を過ごすんでしょうが、今はそれが出来ません。
多分、夕食時まで病室にいただろうと思います。
でも、それは不可能ですから、すぐに帰らなければなりません。
コロナ禍の影響をこんな時に受けるとは、哀しいですね。
13時25分、ケアマネさんに報告の電話を入れました。
この日の言語リハビリの中止は伝えてもらっています。
さらに、デイサービスとショートステイの中止も連絡してもらうよう頼みました。

駅へ向かい、ホームで持ってきたお菓子を食べました。
この日初めての食事です。
最寄りの駅中でお弁当を買って、家で食べました。

その後、このブログの文頭のトイレでの涙、朝ドラの録画を観て涙した話になるんです。
夜は何も食べませんでした。
目の奥が痛くて、この日一日、僕は凄く緊張していたんだと思いました。
隣りにさっちゃんのいない布団でひとり横になりました。

11月30日、火曜日。

目の奥の疲れは取れていました。
朝食をしっかりと食べて、入院手続きの書類を書き込んで、持って行きました。
入院保証金5万円も持って行きます。
これは退院時に精算されます。

行き帰りを自転車で行きました。
片道30分くらいですね。
帰って来て、早めの夕食を取り、このブログを書きました。

すぐ書き終わると思っていましたが、すでに真夜中を過ぎています。
文字のレイアウトなどをすると、終了は1時過ぎでしょうかね?
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