さっちゃん 空を飛ぶ

認知症で要介護5の妻との楽しい日常を 日記に書き留めたいと思います

さっちゃんは東京在住の妹弟たちに傘寿の祝いをしてもらいました

2020-11-07 23:58:35 | 社会生活
さっちゃんは少し前の誕生日で80歳になりました。
さっちゃんには怒られちゃうかもしれませんが、年齢をカミングアウトしてしまいます。

僕がさっちゃんと知り合ったころから、女性ですから年齢に関しては明らかにはしていませんでした。
さっちゃんとの交際が始まると、僕との年齢差を気にしてそれまで以上に年齢を明らかにしなくなりました。
もちろん僕は知っていましたが、さっちゃんの乙女心に配慮して今までオープンにはしてきませんでした。
でも、今のさっちゃんならそんなことは気にしないと確信できます。
誕生日からはちょっと遅れましたが、今日、東京在住のさっちゃんの妹弟が傘寿の祝いをしてくれたのです。

三女のKa子さんは九州なので来れませんが、次女、四女、長男は東京に住んでいるのです。
次女のN子さんのお宅に、今日土曜日の1時に集まりました。
長男のT男さん、四女のK子さんと彼女の娘さんが来てくれました。
今日食べるみんなの食事はK子さんが用意してくれました。

まずは乾杯でスタートなんですが、さっちゃんは乾杯が何だか分かりませんし、お茶の入った湯呑を持たせようとしても持ってくれません。
まあ、そこらへんは適当に「さっちゃん、誕生日おめでとう!」と言うことで宴会がスタートしました。

さっちゃんはみんなの名前は分かりません。
自分の名前も言えないくらいですからね。
でも、妹弟というか、自分にとって近しい人、大切な人だということは分かっているようなんです。
その証拠に今日のさっちゃんはいつもと比べてとってもハイテンション!
よく喋りますし、喋る言葉の中の意味ある言葉の割合も高いように感じました。

何よりも顕著なのは笑顔が驚くほど多いことです。
二度や三度の笑顔ではありません。
10度とか20度も笑顔を浮かべるんです!
これには僕も驚きました。
前回、同じ場所でN子さんとK子さんで集まった時はこれほどではありませんでした。
今日はさっちゃんの弟のT男さんと姪っ子のMちゃんも来ていることが影響しているんでしょうか?

そんな笑顔の反動で、僕には徹底的に邪険に接するさっちゃんでした。
食事の介助も僕からのは拒絶。
姪っ子のMちゃんに食事介助してもらっていました。
それでも、たまに僕が食べさせようとすると、僕の手を押し退けます。
僕を叩いたりもします。
もちろん、全然痛くはないのですけどね。
「あらあら、大事なHさんをぶったりしちゃぁ駄目よ」と、妹さんは言ってくれます。
それほどに妹弟たちと一緒に居るのが嬉しいんでしょうね。

さっちゃんは高揚した気分を長く保ち続けることは出来ません。
途中、眠くなったりもして、畳の間で横になったり、ソファで休んだりもしました。
突然、「帰る!」と言い出して、玄関へ向かったこともあります。
Mちゃんに散歩に連れて行ってもらって、部屋から出たこともあります。
まあ、それでもさっちゃんとしては妹弟との楽しい気分を長く持ち続けていましたね。


バースデーケーキも用意してくれました。ロウソクを1本立てて火も灯したのですが、さっちゃんはフッと息を吹きかけてロウソクの火を消すことは出来ません。その後、さっちゃんはK子さんにそのケーキを食べさせてもらっていました。

美味しい食事をたくさん食べました。
さっちゃんも少しずつしか食べませんが、ずっと食べていました。
ワインも2本空けました。
もちろん、さっちゃんは飲みませんが、僕は1本分くらい飲んだでしょうね。
さっちゃんの笑顔も最後まで途切れることはありませんでした。


▲座っているさっちゃんの後ろに、左からT男さん、K子さん、N子さん、Mちゃん。さっちゃんもこういう時に笑顔を浮かべられればいいのですがね。

7時近くになって、傘寿の祝いの宴会もお開きとなりました。
さっちゃんと僕が最初に帰路につきました。
そのころには、僕を邪険に扱うこともなく、いつものように手を繋いで駅へ向かって歩いていました。
僕にとってはちょっとショックなことでしたけれど、認知症患者にとっての肉親の威力は凄いんだなと感じた1日でした。
今後もこんな集いの機会をたくさん作って欲しいと思いましたね。
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