ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

龍巌寺、熊野神社、勢揃坂

2016年07月23日 00時33分27秒 | 歴史の小道

渋谷区の食品衛生センターで食品衛生管理実践研究会(東京都・区食品衛生監視員OB会)の例会に参加してきました。異物混入の勉強会が中心でした。少し早めに出かけてリハビリを兼ねて古地図にある龍巌寺まで歩いてみることにしました。JR千駄ヶ谷駅で降りて、東京体育館の運動場の所を通って昔川だった外苑西通りを青山の方面に歩き、途中の仙寿院の前で、一休みしながら写真をとりました。

仙寿院の前の道、古地図の水野左近と今オリンピックの競技場で工事中の間の道です。

こちらは青山通り方面に向かう外苑西通りです。これを少し行く信号がありそれを左に折れて右に曲がって坂を上ると龍巌寺があります。

右曲がるとゆるやかな坂があります。

この坂は勢揃坂というらしいです。

★ランドマーク勢揃坂:勢揃坂は、現在の住所で渋谷区神宮前二丁目の旧國學院大学幼児教育専門学校(現在は国学院高等学校第二記念館)とその向かいの龍巌寺のあいだを登って、熊野神社(青山熊野神社)前に至る坂道である。勢揃坂は緩い勾配の坂で、渋谷区内に残る古道のひとつである。勢揃坂の西側には、1964年東京オリンピックの開催に合わせて整備された外苑西通りが並走しており、現在の勢揃坂は交通の少ない裏通りとなっている。

この坂はかつて鎌倉道(鎌倉街道)の一部であったとの説もある古い坂道で、勢揃坂の名は後三年の役の際に奥州出陣する八幡太郎義家が永保3年(1083年)、ここで軍勢を揃えたとの言い伝えによる。このときに従軍した武士のなかには、桓武平氏良文の嫡流にあたり渋谷氏の祖でもある秩父十郎武綱がおり、参陣して手柄を立てたという伝説もある。

目的の龍巌寺です。

江戸名所図会の大人の塗り絵から

竜岩寺となっていますが、同じところです。松は戦災で焼けてしまったそうです。

原図はこちらです。

龍巌禅寺の山門中には入れないようです。

★ランドマーク龍巌寺(りゅうがんじ、竜巌寺):龍巌寺は勢揃坂の途中にあって古風な山門を持つ、臨済宗の寺である。山号を古碧山という。かつて龍厳寺には松の名木、『笠松』、またの名を『円座の松』があった。この松は江戸時代には葛飾北斎の浮世絵(「青山円座松」)や歌川広重(「竜巌寺円座の松」)に描かれ、『江戸名所図会』にも取り上げられる名所であった。

龍巌時の山門を入って右手の奥には、八幡太郎義家が腰を掛けたと伝えられる石「腰掛石」が残っている。義家はこの寺の天満宮で出陣の連句をやって社前に奉納したことがあって、この天満宮は俗に句寄(くよせ)の天神とも呼ばれた。とおうことのようです。

 葛飾北斎「青山円座の松」

残念ながら内部に入れないので門の所から撮りました。突き当りが本堂?手前の左に地蔵さんがありました。

門の前にはイチョウの古木です。

勢揃坂をさらに上ったところに熊野神社があります。

熊野神社鳥居

★ランドマーク熊野神社:初めは、紀州徳川家の守鎮守であったものが移遷後に青山総鎮守となった経緯から、その後も神社の祭礼の際には紀州家からの代参があったという。社号は当初「熊野大権現」であったが、明治維新時に発布された神仏分離の令により、1869年(明治2年)に「青山熊野神社」と改称された。

熊野神社は華麗な社殿を持つほか、俗謡に「青山に過ぎたるものが二つあり、鳶の薬缶に原宿の山車」と唄われるように、盛大な祭礼でも知られる。熊野神社は、江戸時代に作られた『江戸名所図会』にも江戸の名所のひとつとして描かれている。

拝殿

左手奥に

伏見稲荷大明神丸い石は力石です。

文政11年と書かれています。

御神木はヒマラヤスギのようです。

神社の前の道を外苑西通りに出ると会場があります。

左に行くとメトロ外苑前駅、古地図の梅窓院の方向です。

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