写真を整理して江戸名所図会に掲載されてるところをアップしています。今回は阿佐ヶ谷神明宮です。図会に絵はありませんが説明書きがありました。鳥居
★ランドマーク阿佐ヶ谷神明宮:この神社は、旧阿佐谷村の鎮守で、主祭神は天照大御神です。
天保7年(1836)に刊行された『江戸名所図会』巻四によると、日本武尊が東征の帰途阿佐谷の地で休息し、のちに尊の武功を慕った村人が旧社地(現阿佐谷北5-35付近、同周辺一帯をお伊勢の森と称した)に一社を建て、神明宮を勧請したのが当宮の始まりといわれます。
建久年間(1190~1198)には土豪横井兵部(一説には横川)が伊勢神宮に参拝した折、神の霊示をうけ、宮川の霊石を持ち帰り神明宮に安置したと伝えられています。その後江戸時代中頃に至り、祇海という僧が神告により社を現在地に移し、世尊院が別当職を勤めたといわれます。
当宮は、村をこえた地域の信仰も篤く、その一端を示す「内藤新宿仲下旅籠屋中 仲下茶屋中」の文字が刻まれた文政11年(1828)の銅製の3本御幣が奉納されています。
秋の例大祭に能楽殿で奉納される「阿佐ヶ谷囃子」(杉並区登録無形民俗文化財)は、江戸時代末期からの伝統があり、区内では早くに伝えられた囃子です。ここから井草囃子をはじめ、鷺宮(中野区)、戸塚(新宿区)などに流布していったといわれます。神門
拝殿
★ランドマーク世尊院:世尊院は阿谷山正覚寺ともいい、真言宗豊山派の寺で本尊は不動明王です。
創立は、現在中野区にある宝仙寺が阿佐谷から移転した頃と伝えられ、武蔵名勝図会には、その時代を永享元年(1429)頃と記されています。
この移転以前の宝仙寺は、現在の阿佐谷南三丁目9番付近に山門をかまえ、当時の寺領は、中央線の阿佐ケ谷駅付近にまで至る大寺であったといわれています。
この宝仙寺が移転した後に、宝仙寺の子寺で、地元村民の寺として残されたのが世尊院です。
本尊の不動明王立像、観音堂の聖観世音菩薩立像や阿弥陀如来坐像は、室町様式のうかがえるりっぱな仏像であります。
なお明治22年から大正11年まで、旧杉並村の村役場がこの寺の本堂におかれていました。
現在の本堂は、昭和10年に再建されたものですが、都道133号線建設のため、昭和48年現在地に移築し、今日に至っております。江戸名所図会より中野宝仙寺
修行大師像
鐘楼鐘楼
五重の塔