ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

牛島神社(牛御前)水戸徳川邸跡(隅田公園)

2016年07月15日 22時52分03秒 | 歴史の小道

墨田区側の隅田公園内に牛島神社があります。本所保健所に在職中に、町内を牛が巡行していたのを見た覚えがあります。

本殿前の鳥居は全国でも数少ない三輪鳥居というものだそうです。

神楽殿

新しい由緒書きがありました。

★ランドマーク牛島神社由緒:神社の名前は、両国・向島の本所一帯が天武天皇の時代(701~764)に国営牧場が設けられ牛嶋といわれていたことに由来しているといわれています。

創建は、貞観年間(859~877)に慈覚大師が須佐之男命を郷土の守護神として迎えたのが始まりといわれています。その後平安末期に、源頼朝が房州千葉から挙兵して隅田川を渡ろうとしましたが、水位が高く渡ることができなかったときに、千葉胤常が神社に祈願したところ、無事渡ることができたことに感謝して、頼朝は神社に多くの土地を寄進したといわれています。その後も北条氏や江戸時代には江戸城の鬼門守護の社として幕府から寄進を受け、本所地区の総鎮守にもなっていました。


 牛嶋神社は牛御前社とも呼ばれていますが、これは慈覚大師が通りかかったとき、一人の古老が「師わが為に一宇の神社を建立せよ、若し国土の悩乱あらば、首び牛頭を戴き、悪魔降伏の形相を現わして、天下の安全の守護たらん」と託宣したことから天文年間(1532~52)に牛御前と改称したといわれています。

撫で牛

境内には「撫で牛」があり、体の悪い部分を撫で、牛の同じ部分を撫でると、病気がなおるといわれ、体だけでなく、心の病にも効き目があり、また「撫で牛」に涎かけを奉納し、その涎かけを生まれた子供にかけると健康に育つともいわれています。

江戸切絵図から、長命寺の脇にあった「牛の御前」が水戸屋敷を改修した隅田公園の中に移されました。付近には弘福寺や三囲神社、白髭神社、向島百花園、墨田区区役所、アサヒビールの本社などがあります。

少し離れて東京スカイツリーがあります。

江戸名所図会より

墨堤通りは今も長命寺のところで右に曲がっています。高速道路はまっすぐ抜けていますが。

こちらは牛御前宮を大人の塗り絵で塗った江戸名所図会です。奥に見える森は秋葉神社(秋葉大権現)でしょうか。

関東大震災の後の昭和の初めに水戸徳川邸跡の現在地に再建されたと書かれています。

東京大空襲での類焼も免れ東都随一といわれる総桧権現造りの社殿は昔のままの姿をみせており、狛犬と並んで左右一対の神牛(狛牛)が奉納されています。

これは狛犬

こちらが狛牛

 

牧場もあったらしいです。

包丁塚

燈籠

石碑類

丸い石は力石です。

小梅稲荷神社

外は隅田公園になっています。

江戸切絵図で水戸殿と書かれている場所です。

写真にある門はこれでしょうか

隅田川方面からの出入り口です。

★ランドマーク隅田公園由緒:隅田川沿いにある公園で、墨田区側の左岸は向島1、2、5丁目の面積約8万平方メートルの広さを誇ります。春には屈指の桜の名所となり、夏には隅田川花火大会が行われます。公園内の庭園は水戸徳川邸内の池等、遺構を利用して造られています。関東大震災後で屋敷が全壊するまで代々ここに住んでいたと伝えられますが、その後隅田公園の区域に取り込まれ、日本庭園へ姿を変えました。

公園越しに東京スカイツリーが見えます。

水戸邸跡地の由来碑

明治天皇が来たという碑です。

公園内の池です。

 

家の所から見える墨田区役所と住宅棟です。区役所の奥がアサヒビールの本社やスーパードライホールがあります。

公園内にはこんな碑がありました。二峯先生は全く知りませんでした。

こちらは堀辰夫ゆかりの地の碑です。

鳩が草浴びしていました。

7月30日の隅田川花火大会に向けて防護柵が作られていました。

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