ドンくんがサッカーを選んでいたらどうなっていたでしょう
もちろん一流のサッカー選手になっていたはず
そうだと、今のドンくんはいなかったということに・・・
小学校の時にサッカーをあきらめさせてくれた
お父さん、お母さんに感謝です
自転車の誘惑に負けたドンくんに感謝です
運動神経が良くてお勉強もできて
スーパー小学生なドンくんはみんなの人気者だったでしょうね
<過去記事>
カン・ドンウォン‘しなやかな サッカー少年‘
2003.8.31 翻訳サイト使用
慶南(キョンナム)、昌原(チャンウォン)は私の故郷に違いない。小学校の時から高等学校まで青少年期の思い出がそっくりそのままつまった所だ。
小学校の時我が家は数回引越しをしたので三ヵ所の学校に通った。三つの小学校はみな母校だ。
小学校の時の生活記録簿を出すといつもこういう話が出る。‘学業成績は優秀だが注意が散漫だ。’小学校の時の成績を自慢するのはきまりの悪いことだが1学年の時から6学年の時まで‘秀’の成績だった。結構賢い学生だった。上位圏の学生たちがする学級委員も毎年引き受けた。
それまで両親が願う息子に成長していた。昼休み、放課後など暇さえあればボールを蹴った。毎日、暗くなって球が見えなくなるまで狂ったように運動場を走った。当時、私に世の中で最も楽しくて面白いことは‘サッカー’であった。町内のおばさんの間では‘要注意人物’として映っていた。時をわきまえず家の前に訪ねてきて声をぎゃあぎゃあと‘サッカーしに行こう’と友人を呼び出すなかで‘カン・ドンウォンを避けろ'という警戒令が下されることもあった。
小学校5学年の時いよいよサッカー部に抜擢される幸運を得た。100mを12秒で走るこの‘しなやか サッカー少年’の才能に注目した体育先生が本格的にサッカーを始めてみろと薦めた。私は飛ぶようにうれしかった、ユニフォームまでもらって着たまま選手になってひたすら威風堂々と家へ向かった。
ところがサッカーユニホームを着て入った私を見るやいなや両親の顔色が変わった。母と父は私を呼んで座らせると‘運動すると暮らしが大変だ。勉強を熱心にしなさい’と話した。
両親の言葉を断れなかった。今になって考えればとても恥ずかしい話だがサッカー部を止めて試験で1等になれば自転車を買あげるという母の誘惑のうまい話に気持ちが傾いてやりたかったサッカー部をあきらめてしまった。
そのことが私の人生の一番目の別れ道だった。時々はその時サッカーを始めたら選手になっていたのではないかと思う。両親の話に従ったのは後悔してないけれど少し心が痛いのも事実だ。
中学校に入学して私は徐々に女性とファッションに目覚め始めた。