カン・ドンウォンに会いたい

カン・ドンウォンに会えたら想い残すことは無いと思っていました。
でも、違った…また、会いたい…

カン・ドンウォン、イ・ハニョル記念事業会に2億ウォン寄付

2019-01-23 22:37:34 | 1987

 ドンウォンくんに会ったことが昨日のことのように思い出されます

 

 

今までで一番身近に感じました

 

 

 

 

また、こんなに心温まるニュースが伝えられ

 

 

手を合わせたくなりますよー

 

 

 

 

インフルエンザもやっとよくなり

 

 

今日から仕事に復帰…

 

 

 

 

疲れた体に元気いただきました!

 

 

 

 

 


 

カン・ドンウォン、イ・ハニョル記念事業会に2億寄付…’1987‘縁→匿名寄付“温かい“

2019.1.23 翻訳サイト使用

 

俳優カン・ドンウォンが‘イ・ハニョル記念事業会’に2億ウォンを寄付した事実が一歩遅れて知らされて温かさをもたらした。

‘イ・ハニョル記念事業会’側は去る15日公式ホームページに“2018年イ・ハニョルを賛えて彼の意を広げる事業に多くの方々が心を集められた”として“巨額の特別後援があった。 後援して下さった方々に感謝申し上げてイ・ハニョルの意を賛えるのに使う”と明らかにした。 ところがこの巨額の後援者がまさにカン・ドンウォンだった.

‘イ・ハニョル記念事業会’側は22日“昨年3月カン・ドンウォンさんが事業会側に2億ウォンを特別後援会費に伝達した。

イ・ハニョル烈士のお母さんペ・ウンシム女史の口述作業などお母さん関連事業と記念事業会の運営に使ってほしいという意を伝えた”とカン・ドンウォンの寄付の便りを知らせた。

カン・ドンウォンの寄付が一歩遅れて知らされた理由はカン・ドンウォンが匿名を要請したため。 カン・ドンウォンの所属会社YGエンターテインメントもやはり“俳優が匿名で寄付したと理解する”と言葉を慎んだ。

カン・ドンウォンは2017年封切りした映画‘1987’で故イ・ハニョル烈士役で特別出演した。 カン・ドンウォンが引き受けた故イ・ハニョル役は民主化運動に先に立つ延世(ヨンセ)大学校学生で劇中平凡な大学生ヨニ(キム・テリ)が恐れを乗り越えてデモに参加するのに最も大きい影響を与えた人物だ。

カン・ドンウォンは‘1987’撮影後にも故イ・ハニョル烈士のお母さんペ・ウンシムさんと共に食事をして談笑を交わすなど着実に連絡して過ごしていると分かった。

カン・ドンウォンの温かい行いにインターネットユーザーは“内面が満杯の俳優”、“匿名で2億寄付だなんて”、“容貌ぐらいメンタルもトップ”、“改めて舞台挨拶で涙を流した姿が思い出されますね。 真心がさらに感じられる便りです”等多様な反応を見せた。

一方、カン・ドンウォンは今年封切り予定のアメリカ映画‘津波LA’に出演する。 ‘津波LA’はアメリカLA歴史上最も強力な津波が都市を強打するという素材のパニック映画だ。

 


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映画'1987'、2018青龍映画祭 最優秀作品賞おめでとうございます!

2018-11-25 00:34:30 | 1987

 '1987'は

 

 

 

記憶に残る映画

 

 

心に残る映画です

 

 

 

 

韓国のつらい歴史の映画





その中でドンウォンくん演じるイ・ハニョル烈士の存在は



砂漠にオアシスのようでした




オアシスが消えるときはすごくショックだったけど…

 

 

 

 

 

'1987'が2018青龍映画祭で最優秀作品賞を受賞したのには



大きな意味がある



 

 


 

'2018青龍映画祭'映画'1987'カン・ドンウォン キャスティング理由? "イ・ハニョル烈士はハンサムだった"

2018.11.24 翻訳サイト使用

 

 

1987年6月抗争を扱った映画'1987'が2018青龍映画祭で最優秀作品賞を受けた。

'1987'は23日ソウル慶煕(キョンヒ)大平和の殿堂で開かれた今年の第39回青龍映画賞授賞式で'工作','リトル フォレスト','神とともに-罪と罰','雄雌殺人'を抜いて最優秀作品賞を受けた。

映画'1987'は1987年1月、二十二才の大学生が警察の調査の途中で死亡して事件の真相が隠蔽されると真実を明らかにするために動き出した人々の胸躍る話を扱った。 キム・ユンソク、ハ・ジョンウ、ユ・ヘジン、キム・テリ、パク・ヒスン、イ・ヒジュンが主な役を受け持ちカン・ドンウォン、ソル・キョング、ヨ・ジングが加勢した。 'ファイ:怪物を飲み込んだ子供' 'カメリア' '地球を守れ!'のチョン・ジュナン監督がメガホンを取った。

故パク・ジョンチョル拷問致死事件が火ぶたを切り故イ・ハニョル死亡事件で終える'1987'の演出方式は1987年1月から6月まで発生した悲劇の歴史を不足することも科することもなく向き合って真正性あるメッセージで観客の心臓を走るようにさせた。

チョン・ジュナン監督は最近JTBC '部屋の1列'に出演してカン・ドンウォン配役にまつわるエピソードを紹介した。

イ・ハニョル烈士にカン・ドンウォンをキャスティングした理由に対して"初めはシナリオにイ・ハニョル烈士なのか知らず'ハンサムな男子学生'という配役名を作った。 イ・ハニョル烈士が実際にハンサムだったと考えた"と説明した。

カン・ドンウォンもやはり最近引き受けたキャラクターの中で映画'1987'のイ・ハニョル烈士役が最も記憶に残ると明らかにしたことがある。 彼はあるメディアとのインタビューで"イ・ハニョル烈士キャラクターはまだみな抜け出せなかったようだ。 イ・ハニョル烈士のお母さんに治癒を受けているようだ。 ある瞬間から私を息子のように眺めているので心がとても痛かった"と話して映画'1987'に対する自分だけの感想を打ち明けた。

 


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20余年間休まず駆けてきた俳優カン・ドンウォン"年を取る? とても良い" つづき

2018-09-18 22:47:29 | 1987

 "年を取る? とても良い"

 

 

 

 

 

私もそう思って暮らしてきました

 

 

 

 

でもねー





 

やっぱり若い方がいいよねw

 

 

 

 

 

だからねー

 

 

 

 

 

今を楽しもう!

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 20余年間休まず駆けてきた俳優カン・ドンウォン"年を取る? とても良い" つづき

 2018.2.25記事 翻訳サイト使用

 

◆映画'ゴールデンスランバー'撮って高校時代の記憶のが次々と


-高校時代が気になる

寮に住んでいたが、一つの部屋に11~12人ずつ生活した。 軍隊のように常に横になって寝た。 友達とそのように毎日生活するので互いに悩み相談もして親しかった。 自律学校なのでサークル活動も自由だった。 その時その経験と思い出があったので20代に学生生活を楽しむことができなくても大丈夫だったようだ。


-サークル活動もしたか

私は放送部の活動をした。 バンド活動はしなかった。 親しい友達がハードコア バンド活動をしたが、自分の部屋にきてハードコア音楽をかけて過ごした。 そうしたら私も自然にその音楽の中毒になってファンになった。

 

-映画'ゴールデンスランバー'を撮って学生時代の記憶がたくさん出たようだ

高校時代の友達の思いがたくさん出る。 映画の中のゴヌのように高校の同窓生は策略なしに優しくて純粋な友達が多い。 サークル活動も積極的にして、夜間学習も自主的にするシステムなので自由な学生時代を送った。 授業を'さぼ'って友達をそそのかして自転車に乗って山や野に風に当たりに行ったこともあった。

 

(映画'ゴールデンスランバー'はイサカ・コウタロウの同名ベストセラーを原作に2010年日本でも映画化になった作品だ。 この映画は光化門(クァンファムン)で広がった大統領候補暗殺事件の犯人にされた一人の男の逃走劇を描いたもの。 巨大な権力によって平凡な個人の人生が操作されるという興味深い設定を基に、追って追われる逃走劇中の友達の友情を表わした。 カン・ドンウォンはわけも分からないまま容疑者になって追われることにな善良な市民'ゴヌ'役を担ってあふれる緊張感をプレゼントする。 見えない権力に対抗するゴヌの成長と変化はドラマの軸になって劇を導く。 )

 

 

 

-映画'ゴールデンスランバー'で俳優キム・デミョン、キム・ソンギュンなど同い年たちと共に呼吸を合わせたが

映画'オオカミの誘惑'(2004)の当時ハンソンとともに映画を撮って以後私の同じ年頃の俳優らと共に撮影する機会が少なかった。 今回のキャスティングの話を聞いてよかったと思った。 ソンギュンは映画'群盗'(2014)の時から知った友達だ。 一緒にする撮影シーンが多くないので惜しかったが、一緒にいるだけでもとてもおもしろかったよ。 冗談も互いに気楽にできるから。


-逃走劇だから思いっきり走っただろう

陸上選手の役でなければこれよりもっと走ることはないようだ。 幸いものすごくはやく走ったわけではなくて体力的に大きい無理はなかった。


-都心の真ん中で逃走するシーンが多かった

誠信(ソンシン)女子大の前で撮影するシーンがあったが、道行く人がとても多い。 撮影許可は受けても市民の空間なので、私たちが撮影すると入ってくるなという言葉は言えない。 人々の間で演技をするのがとても恥ずかしいことだ。 撮影中に私とあう市民も"友達どこかで見た"という目つきでとても驚かれる。(笑い)


-映画の製作を直接提案したが。 この映画の魅力は

ストーリーやメッセージ、主題がやってみる価値があると考えた。 実際にそんなことが起きているのに被害者は正しく補償を受けられなくなっている場合がある。 それでこのような部分に光を当てる映画があるべきではないかと思った。 どうしても商業映画をみな見るので人物中心にだけ食い込むことはないけれど、そのような要素を引き出してお見せするのも価値があると考えた。

事件を解決していく過程の中で主人公が一人で格好良く解決するのでなく、今まで積み重ねた人間の信頼で解決していくメッセージも良かったし。 原作での多少苦しい結末がこの映画である程度解消させたようで満足だ。 この頃誠実に生きるのが容易でない世の中なのではないか。 傷も多く受けることになって。 そうした方々に力になることができる映画だ。 メッセージもあって感動もある。

 

 

◆ "ゴヌのセリフ"私がちょっと損をするのはどうだ"は、私が頻繁に話す言葉"

 

-映画の中キム・ゴヌ キャラクターは自分が損をしても人を先に考える情が多くの人物に出てくる

映画の中のキム・ゴヌが話した"私がちょっと損をするのはどうだ"という言葉は実際に私がたびたびいう言葉でもある。 誰か私に"それはあまりにも損なことじゃない"と話すときはいつもそう答えたりする。 ゴヌの性格と似ている面がある。

デビューの時から私の座右の銘が孔子の'知之者不如好之者好之者不如楽之者、それを知っている人はそれが好きな人にはおよばない'であるが,この言葉と共にいつも念頭に置いている言葉が"他人を傷つけて生きるのをやめよう"だ。 そのような点で似ているようだ。

 

-実際に大きく損害をこうむったことがあるならば

今すぐに思い出すのは映画を撮って苦労した仕事だ。 "私が苦労はほどほどにすれば良い"と考えてした仕事なのに、とても苦労したことが結構ある。(笑い)例えば時間に追われてアクションシーンをする場合にはとても危険だ。 限定された予算でそうでなくても時間も不足したが、もし私が一つ一つ几帳面に問い詰めて撮影するならばさらに遅れるではないか。 このような時は危険を甘受してとる。 そうするうちに映画'マスター'(2016)の撮影時はカーチェイスシーンの途中で長いガラスが首に刺さって穴があいて治療を受けたこともある。

 

 

 

つづく

 

 


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20余年間休むことなく駆けてきた俳優カン・ドンウォン"年を取る? とても良い"

2018-09-17 20:56:05 | 1987

 安室奈美恵さん引退しましたねー

 

 

 

 

アイドル?アーティスト?として

 

 

 

走り続けた日々が終わった

 

 

 

 

 

最後までカッコいい終わり方だった

 

 

 

ゆっくり休めるといいですねー

 

 

 

 

 

樹木希林さんは最期まで女優でした

 

 

 

 

ご冥福をお祈りいたします

 

 

 

 

 


 

20余年間休まず駆けてきた俳優カン・ドンウォン"年を取る? とても良い"

2018.2.25記事 翻訳サイト使用

-"真剣で激しかった20代の人生...過去に戻りたくない"
-映画'ゴールデンスランバー'を撮って高校時代の記憶次々と
-チョン・ジュナン監督の映画'1987'特別出演ビハインド ストーリー明らかに

 

 

カン・ドンウォン(38)は黙々と休まず駆けて来た俳優だ。 1999年19才の年齢でモデルとしてデビューした後、他の誰よりも激しい20代を送った。

2003年ドラマ'威風堂々な彼女'を始め映画'彼女を信じないでください'(2004),'私たちの幸せな時間'(2006) '黒い司祭'(2015),'検事外伝'(2016),'マスター'(2016),最近'1987'(2017)等に至るまで30編に近い作品に出演してきた彼は'美男'というタイトルにとらわれず毎回多様なジャンルと善-悪を行き来するキャラクターで韓国を代表する俳優に位置付けた。

今年彼はこれまで以上に忙しい一年を送っている。 昨年末封切りした'1987'の重い余韻が消える前に映画'ゴールデンスランバー'で観客を訪ねた。 また、キム・ジウン監督の映画'人狼'の撮影を終えて3月からはハリウッド進出作'津波LA'の撮影準備にも突入する。

映画'ゴールデンスランバー'封切りに先立ち三清洞(サムチョンドン)のあるカフェで会ったカン・ドンウォンは"いつも期待以上を見せる俳優になりたい"と話した。 意味ある話が映画化されるように願う心で時々シナリオを書き続けたという彼はいつか自身の文章がスクリーンになる日が来ることを望む希望も表わした。

 

 

 

◆"真剣で激しかった20代の人生...過去に戻りたくない"


-デビューして20年目だ。 俳優として年を取るということは。

歳をとることはとても良い。 年齢をよく過ごしている気がする。 顔に増えるシワも見栄えが良くて。 過去に戻ってその過程を再び経るのは嫌なようだ。


-なぜ嫌なのか

1999年19才に始めたモデルの日から考えるなら今年20年目で、現在に来るまであまりに荷が重い時間を送った。 今になって振り返ってみると仕事をとてもたくさんした。 20代は少しは楽しんでもかまわなかったと思う。 10代の時もそうでなぜそんなに真剣だったのか分からない。 20代始めはモデルの仕事をして演技のレッスンを受けたし、友達が盛んに学校に通う20代半ばもずっと働いてきた。 幸い高校生時期を送った3年間の寮生活は私を強くした。 そのおかげで社会生活に無理なくよく適応したようだ。


-最も多く休んだ期間は

映画'チョン・ウチ'(2009)の作品準備で1年ほど空白期があった。 チェ・ドンフン監督が作品説明をしながら出演提案をしたが、ストーリーが興味深くてその場ですぐにOKをした。 ところが監督が"これからシナリオを書く予定"といったよ。(笑い)すぐ書かれるといって待ったが1年ほどがかかった。


-休み期間中は

山に入って木工を習った。 工房には引退された年配の方々がたくさんおられたが、共にご飯を食べて作業して家にくれば寝て、朝なれば再び山に行って木を削って...このような生活を反復した。 撮影に入る前にはアクション スクールに通った。

 

 

 

-木工を習った理由は

どうしても職業特性上家に大きい鏡が必要だった。 その当時鏡を買いに行ったが気に入ると思えば100~200万ウォン程度でとても高かった。 これは違うと直接作ろうと始めた。 結局、鏡ではなく木工をすることになったが。(笑い) 4余年間時間があるたびに作業した。


-主に作ったものは

食卓、椅子、棚などあれこれたくさん作った。 手がたくさん傷ついた。 とてもたくさん作って見たらあちこち散らばっている。 お母さんの家にほとんどある。 3mのテーブルも作ったが知り合いの方が食堂をするというので差し上げて、姉の家にもあって、家の駐車場の倉庫にもある。


-今でも作業するか

時間がなくてできない。 私にとって'師父'のような方が個人作業に没頭されるといって工房を個人作業室に変えられた。 私が行けばいつでも機械を使うこともできる。 私の木々もまだその場所にある。

 

 

 

 つづく

 


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「1987、ある闘いの真実」明日、7館の劇場で上映スタート!

2018-09-14 22:41:41 | 1987

 「1987、ある闘いの真実」



お近くの映画館で観られますー TT

 

 

 

 


明日9/15~7館の劇場で上映スタート!

 


埼玉:川越スカラ座
静岡:静岡シネ・ギャラリー
愛知:センチュリーシネマ、中川コロナ、半田コロナ
福岡:KBCシネマ、小倉コロナ

 


その他の劇場情報はこちら
1987arutatakai-movie.com/theaters.html 





 

 




キム・ユンソク"カン・ドンウォン強骨、ハ・ジョンウ一当百、チュ・ジフンはからだが弱い"爆笑

2018.9.14 翻訳サイト使用

 

俳優キム・ユンソクが一緒に演技した後輩の健康に対して言及して笑いを誘った。

14日午後ソウル、鍾路区(チョンノグ)あるカフェで進行された'雄雌殺人'のインタビューでキム・ユンソクは"今回会った友達がからだが弱いようだ"としながら笑った。

彼は"以前の友達は皆元気だった。 カン・ドンウォンも強骨でハ・ジョンウも一当百(一人で百人力)なのに、チュ・ジフンはとても胃が敏感な人だ。

緊張すると腹痛がくるそのようなスタイルだ"と話して笑いを誘った。
続けて"チン・ソンギュさんは思いのほか気管支が良くないようだ。 風邪を引いた。 映画を見れば分かるだろうが地下に横になって演技する場面がある。 そこがとても冷たかった"と付け加えた。

また、キム・ユンソクは"監督と何よりも接見室場面の議論をたくさんした。 最も大変な場面だった。 とてもタイトな顔のクローズアップショットが出てくる。 そこになれば二人ともほとんど動けない状況で感情が行き来しなければならないのでスタッフ全てネズミが死んだように声を出せなくなっている"と説明した。

彼は"ロケ撮影だった。 スタジオならば防音になるはずなのに周辺に車が過ぎ行く音がみな聞こえるのに演技をしなければならなかった。 建物は若干響きがある。 騒音を出すと作業するのがとても難しい。 とても用心深くとらなければならなかった。 超集中してその場面を撮った"と回想した。

キム・ユンソクは"接見室場面が何度か出てくる局面が多様にある。 温度がますます変わってそんなことに対するコントロールをしながら監督が調整をしていかなければならないので一番集中してとったようだ"と話した。

一方、'雄雌殺人'は監獄で7件の追加殺人を自白する殺人犯と自白を信じて事件を追う刑事の話をモチーフにした犯罪実話劇だ。

題名である'雄雌殺人'は被害者はいるが申告も死体も捜査もなくて世の中に知られなかった殺人事件を意味する。

キム・ユンソクは事件を追跡する刑事キム・ヒョンミンに扮し、チュ・ジフンは監獄で追加殺人を自白する犯人カン・テオ役を担った。 来月3日封切りする。

 


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「1987」観てきました

2018-09-10 22:57:51 | 1987

月曜日というのに映画館はすごい人でした

 

 

 

 メンズデーのせいか男性が多かったです

 

 

 

 

 

韓国の歴史の中にこんなにも辛く悲しい時があったのかと

 

 

 

涙が流れます

 

 

 

 

 

ドンウォンくんが出てくるまでかなり待たされますが

 

 

 

そこだけスポットライトが当たっているのではないかと思うような登場シーン

 

 

 

 

短い出演時間にもかかわらず強烈なインパクト!

 

 

 

 

 

 

 

 

悲しい映画です…

 

 

 

 

 

 

 韓国映画1987 OSTキム・テリ、カン・ドンウォン-覆われた道(ユ・ジェハ原曲)(2017)

 

 


 

映画'1987'韓南(ハンナム)大で撮った
カン・ドンウォン、キム・テリ出会う場所
集会デモ準備する場面
'弁護人・殺人者…'なども撮影

2018.1.9記事 翻訳サイト使用

映画'1987'の主な撮影場所である韓南(ハンナム)大キャンパス全景.
(c)韓南(ハンナム)大

 

最近公開されて人気を呼んでいる映画'1987'が大田(テジョン)韓南(ハンナム)大で撮影されたと発表された。

9日大学側によれば映画の中でカン・ドンウォン(イ・ハニョル役)とキム・テリ(ヨニ役)が大学'漫画愛'サークルで出会った後5・18光州(クァンジュ)民主化運動関連動画を見る部分の撮影場所は韓南(ハンナム)大ギウイドン記念館(旧理科大)講義室と廊下というものだ。

また、この大学学生会館の新聞放送局事務室は映画の中でカン・ドンウォンが"何でもしなければならないですね!"といって同僚学生たちと集会デモを準備する場所として出てくる。 ここでは去る2013年末 公開された映画'弁護人'も撮影された。

韓南(ハンナム)大はいろいろな映画とドラマの撮影地として脚光を浴びている。 昨年上映された'殺人者の記憶法'をはじめとして'德恵(トクヘ)翁主' '弁護人' 'セシボン' 'コリア' 'その年の夏'などが代表的だ。 来る17日から放送されるtvNドラマ'マザー'の主な舞台は韓南(ハンナム)大宣教師村だ。

韓南(ハンナム)大関係者は"私たちの大学は1956年開校以後多様な建築物と空間がよく保存されていて生活様式や歴史などを映像で現わしやすい場所が多いと映画やドラマ界に知られている"とした。 特に西洋と韓国伝統建築様式が結びつかれた近代建築物(大田市(テジョンシ)文化財資料44号)の宣教師村は周辺の生態の森と調和して美しくて物寂しい風景で有名だ。

 

コメント (4)
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「1987、ある闘いの真実」タイムスケジュール!

2018-09-06 21:27:34 | 1987

 「1987、ある闘いの真実」タイムスケジュール出ました!

 

 

 

 

シネマート新宿

http://www.cinemart.co.jp/theater/shinjuku/schedule/index.html

 

シネマート心斎橋

http://www.cinemart.co.jp/theater/shinsaibashi/schedule/index.html

 

 

 

 

 

 

 

‘エンディング クレジットを応援します'キャンペーン映像

 

多くのスタッフの汗と情熱が集まって一編の映画が製作されるまで
'エンディング クレジットの主人公を応援してください!'

一番目の主人公、映画'1987'衣装担当アン・ソヨン チーム長



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オフィシャル ファンクラブにカン・ドンウォンからメッセージ!

2018-08-31 20:39:17 | 1987

「1987、ある闘いの真実」来週公開です




「1987、ある闘いの真実」オフィシャルサイト
http://1987arutatakai-movie.com







カン・ドンウォン ジャパン オフィシャル ファンクラブに





芸能リポーターが選んだ最高実物ハンサムさんから






メッセージが届いていますよー







早く行って来てー!



https://gangdongwon.jp/







髪が少し伸びて可愛いー 


 


 

 

 

 

1000人以上 インタビューした芸能リポーターが選んだ最高実物ハンサム

 

 

 


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「1987、ある闘いの真実」 9月8日(土) 日本公開!

2018-08-29 00:15:53 | 1987

 1987、ある闘いの真実

9月8日(土)よりロードショー





 

 http://www.cinemart.co.jp/theater/shinjuku/lineup/20180421_15021.html

 

 

 

 

大判タオルが必要です

 

 

 

 


 

ホン・ソクチョン"カン・ドンウォン ハンサムでうわさ、マネジャー慶南(キョンナム)まで訪ねて行った" 

2018.8.27記事 翻訳サイト使用

 

‘噂ショー’ホン・ソクチョンがカン・ドンウォンに対して話した。

27日放送されたチャネルA ‘噂に聞いたでショー(以下‘噂ショー’)’ではスターのデビュービハインド ストーリーが公開された。

この日放送によればカン・ドンウォンは若い時期慶南(キョンナム)で寮学校に通った。 友達が背が高くてモデルをしろと話したがカン・ドンウォンはソウルにはもっと素晴らしい人が多いという考えで芸能人の夢は見なかった。

記者は“カン・ドンウォンが漢陽(ハニャン)大機械科2学年の時地下鉄でキャスティングされた”と明らかにした。

これに対しホン・ソクチョンは“本当にすばらしくてハンサムなスーパースター候補が慶南(キョンナム)にいるという話を聞いてマネジャーが訪ねて行ったといったよ。 発掘してモデルでデビューをさせた。 偶然でなくその地域でハンサムだともっぱらの評判だったといったよ”と話した。

引き続き“カン・ドンウォンのような顔はどこに隠れていても芸能界にうわさがすぐ出る”と付け加えた。

 


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歴史を感じる映画'1987'ロケ地のスーパー保存

2018-06-10 23:01:29 | 1987

 イ・ハニョル烈士31周期追慕行事が

 

6月1日から9日まで

 

延世(ヨンセ)大学キャンパスで開催された

 

 

 

 

 

1987年6月抗争は民主化の決定的事件だった

 

 

今の民主主義ができるまでに犠牲になった方々がいたということ

 

 

 

 

 

忘れてはいけない

 

 

 

 

 

こんな悲しい事件が二度と起きませんように…

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

映画'1987'カン・ドンウォン、キム・テリ撮影したヨニネスーパーを見に木浦(モクポ)に来てください

2018.1.9記事 翻訳サイト使用

 

 

西山洞(ソサンドン)一帯近現代美術館通り…撮影当時の姿再現のために協議中


木浦市(モクポシ)が最近観客追求中である映画'1987'の撮影地であるヨニネスーパーを観光商品化する。

西山洞(ソサンドン)に位置したヨンヒネスーパーは映画の中でイ・ハニョル役のカン・ドンウォンとヨニ役のキム・テリがスーパーの前で時局の痛みを率直に話をする場面が撮影された。 また、最後の場面でヨニが街頭のデモ現場に走って行く姿が撮影されるなどヨニネスーパーは映画で占める重要性が高い。

'1987'の撮影地として注目されているヨニネスーパーなど西山洞(ソサンドン)一帯は村全体が近現代美術館通りということができるほど過去の情緒を感じることができる。

西山洞(ソサンドン)路地は近代に日本人遊郭街が造成されたところでまだ過去の建築物が残っている。 ヨニネスーパーの後に太平洋戦争末期空中爆撃を避けるために作った大型防空壕(長さ31M)が残っているなど歴史的傷跡も保存されている。

ヨニネスーパー近隣のシファ村の路地は近代木浦(モクポ)の姿が濃く残っていて

でも1980年代の姿を再現するのに最適な場所であった。

市関係者は"歴史性と商業性を同時に満足させることができる観光商品を作るためにヨニネスーパーを映画撮影当時の姿で再現するために映画製作会社であるCJエンターテインコメントと協議中だ"とし、"映画'1987'の歴史的意味をもう一度再確認して見ることができるキッカケになるように'ヨニネスーパー'を特色ある観光商品として活用する"と明らかにした。



 


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