もしかしたら、ラカンは自分の存在を掴みあぐねているのだろうか。幼い時の記憶をたぐり寄せ、己が人間なのか、犬なのか、それとも風のように転げまわり、吹き荒ぶものなのか、見極めきれずに呆然と日を送っているのかもしれない。
そんなことを考え始めると、桂木だって、自分がどんな存在なのか、不安になる。
両親はすでになく、兄弟もいないし、妻との間に子供を授からなかったし、その妻とも離婚している。ある時期、天蓋孤独に憧れ、それを望んだことが、現在の身の上を引き寄せたのかもしれない。
夢の中で、絶顛にさらされ、上空を舞う禿鷹に怯えて呻いたのは、独りよがりな生き方に対する罰だったのだと、承知している。
「ご主人、ラカンの散歩を、わたしに任せてくれませんか」
突然の決意が、桂木の口を衝いて出た。
呆れたように彼を見つめる主人の頬に、緊張が走った。
「そんな無謀なことが出来ますかい。事故が起こってからでは遅いでしょう。誰が責任を持つんですか」
「わたしが持ちます」
きっぱりと言った。
「だめ、だめ。だいたい失礼ですよ。ラカンの飼い主は、わたしなんだ。やっと秩序ができたのに、あなたが出しゃばったら、ラカンはますます混乱するだけです」
強く拒絶されて、桂木は引き下がった。
確かに、彼の思いつきには大した根拠もない。ただ、ラカンを連れ出してボールを追いかけさせたり、自ら腹を見せて戯れたり、犬の仲間の中へ放したり、存分に遊ばせてみたいと思ったのだ。
何歳になっても、少年時代に帰ることができる。ふるさととは、帰るべき場所をいうだけでなく、無心に遊んだ時間をさすのではないか。人間がそこに戻れるのなら、犬だって同じことではないのかと考えた。
日を置いて、もう一度口説いてみようと心に決めた。散歩に連れ出しさえすれば、ラカンと心を通わせる自信がある。引きずられようが、噛まれようが、そこを通り抜けてこその人生だと意気込んだ。
六月の初め、桂木は『ヘラ鮒釣具』の店を訪れた。
この日、ラカンの姿が見えなかったが、いつかと同じように声をかけてみた。
「桂木さん、ラカンはもういませんよ」
奥から出てきた主人の、改まったもの言いが気にかかった。
「えっ、なぜ」
と問うと、
「ここで、新聞の勧誘員に噛み付いてしまってねえ。うかつな奴だよ、あの新聞屋・・」
ふだん、犬のいた辺りを指差した。
その後、病院に連れて行ったり、保健所に連絡したり大変だったという。慰謝料の交渉も進んでいない状態で、しかしラカンだけは保健所の係員が来て連れて行ってしまったのだと教えた。
桂木は声を失った。淡い希望が打ち砕かれたのだ。他人の飼い犬に関して、不服を言うことはできない。しかし、不満は残る。
ラカンは強制的に捕獲されていったのだろうか。飼い主は、それを阻止することができなかったのだろうか。
一点の疑念を晴らすために、桂木は保健所を訪れた。
ラカンは、すでに薬殺されていた。
経緯については明確な答えを得られなかった。桂木の目論見は、完全に絶たれた。ラカンを振り向かせることは、もう永久にできないのだ。
夜、眠りに落ちる前、桂木が天井に目をやっていると、虚空を見つめるラカンの幻影が広がることがある。
建材の染みと、電燈の笠の影がもたらす錯覚に違いないのだが、枕元のスタンドを消しても、しばらくは残像が桂木を苦しめた。
真相も知らず、納得したわけでもなくラカンが負っていった運命は、ひとつの命に対する思い込みをことさら空しく感じさせる。
だが、一方、人間まがいの評価を得て面白がらせたラカンには、案外似合った一生だったのかもしれない。
「哲学の犬か・・」
謎を残した存在が、いつまでも悲しく思われた。
(おわり)
そんなことを考え始めると、桂木だって、自分がどんな存在なのか、不安になる。
両親はすでになく、兄弟もいないし、妻との間に子供を授からなかったし、その妻とも離婚している。ある時期、天蓋孤独に憧れ、それを望んだことが、現在の身の上を引き寄せたのかもしれない。
夢の中で、絶顛にさらされ、上空を舞う禿鷹に怯えて呻いたのは、独りよがりな生き方に対する罰だったのだと、承知している。
「ご主人、ラカンの散歩を、わたしに任せてくれませんか」
突然の決意が、桂木の口を衝いて出た。
呆れたように彼を見つめる主人の頬に、緊張が走った。
「そんな無謀なことが出来ますかい。事故が起こってからでは遅いでしょう。誰が責任を持つんですか」
「わたしが持ちます」
きっぱりと言った。
「だめ、だめ。だいたい失礼ですよ。ラカンの飼い主は、わたしなんだ。やっと秩序ができたのに、あなたが出しゃばったら、ラカンはますます混乱するだけです」
強く拒絶されて、桂木は引き下がった。
確かに、彼の思いつきには大した根拠もない。ただ、ラカンを連れ出してボールを追いかけさせたり、自ら腹を見せて戯れたり、犬の仲間の中へ放したり、存分に遊ばせてみたいと思ったのだ。
何歳になっても、少年時代に帰ることができる。ふるさととは、帰るべき場所をいうだけでなく、無心に遊んだ時間をさすのではないか。人間がそこに戻れるのなら、犬だって同じことではないのかと考えた。
日を置いて、もう一度口説いてみようと心に決めた。散歩に連れ出しさえすれば、ラカンと心を通わせる自信がある。引きずられようが、噛まれようが、そこを通り抜けてこその人生だと意気込んだ。
六月の初め、桂木は『ヘラ鮒釣具』の店を訪れた。
この日、ラカンの姿が見えなかったが、いつかと同じように声をかけてみた。
「桂木さん、ラカンはもういませんよ」
奥から出てきた主人の、改まったもの言いが気にかかった。
「えっ、なぜ」
と問うと、
「ここで、新聞の勧誘員に噛み付いてしまってねえ。うかつな奴だよ、あの新聞屋・・」
ふだん、犬のいた辺りを指差した。
その後、病院に連れて行ったり、保健所に連絡したり大変だったという。慰謝料の交渉も進んでいない状態で、しかしラカンだけは保健所の係員が来て連れて行ってしまったのだと教えた。
桂木は声を失った。淡い希望が打ち砕かれたのだ。他人の飼い犬に関して、不服を言うことはできない。しかし、不満は残る。
ラカンは強制的に捕獲されていったのだろうか。飼い主は、それを阻止することができなかったのだろうか。
一点の疑念を晴らすために、桂木は保健所を訪れた。
ラカンは、すでに薬殺されていた。
経緯については明確な答えを得られなかった。桂木の目論見は、完全に絶たれた。ラカンを振り向かせることは、もう永久にできないのだ。
夜、眠りに落ちる前、桂木が天井に目をやっていると、虚空を見つめるラカンの幻影が広がることがある。
建材の染みと、電燈の笠の影がもたらす錯覚に違いないのだが、枕元のスタンドを消しても、しばらくは残像が桂木を苦しめた。
真相も知らず、納得したわけでもなくラカンが負っていった運命は、ひとつの命に対する思い込みをことさら空しく感じさせる。
だが、一方、人間まがいの評価を得て面白がらせたラカンには、案外似合った一生だったのかもしれない。
「哲学の犬か・・」
謎を残した存在が、いつまでも悲しく思われた。
(おわり)
何を隠そう、読んでいていちばんエキサイトしたのは、大根花を盗掘するところでした。たぶん、誰にでも似たような体験があるのでしょう。ぼくも公園の森林で、好きな羊歯を盗掘したことがあり、あのときのスリルと罪悪感がよみがえりました。
とにかく、こんな上質な小説をブログで読めるなんて幸せです。次なる作品を期待します。
そしたら、こちらに先のコメントがあり
「こんな上質な小説をブログで読めるなんて幸せです」
全くの同感でした。
我が家は子供たちも私たち夫婦も猫より犬派でして、亡くなるといつの間にか次の犬が何かの縁でやってくるということで、生涯で4匹の犬と暮らしました。
2匹は老化の果てに私の腕の中で眠るように最期を迎えましたが、3匹目の小型犬が真夏の暑い日庭で熱中症にやられていなくなりしばらく犬なしの日々つづきました。
何年かして縁あって4匹目がやってきたのですが、これがエネルギーの塊りみたいな奴で、散歩に連れて行って農道などある広々としたところで放してやると、野生に帰るといいますか気が狂ったように畑の中まで駆けずり回のでいつも最後は𠮟りつけるありさまでした。
あるとき4~5キロ離れたところにある河川敷の広大な自然公園に連れて行ったところ、ほかの家の方が散歩に連れてきていた雌犬と意気投合して仲良くなり、そちらの方と相談してちょっと放してやったら、そのまま帰ってこず、、、近隣の保健所や野犬保護関係機関に特徴を話してそれらしい犬を捕獲したら連絡してくれるよう頼んだのですがついに2匹は捕獲されないままでした。以後犬を飼うことはなく、、、どこかでカップルで生きているといいのですが。御作を読みながら久しぶりにそんなことを思い返しました。ありがとうございます。
あの旅から発想なさった窪庭さんの傑作小説もありましたね。『草津にて』は素晴らしかったです。
いつかまた再掲載してくださいませ。
また読んでみたいです。
昔の仲間で生き残っている二人なんですよ。
懐かしく読みましたが、kojiさんも支持してくださって嬉しいやら面はゆいやら。
最後まで応援していただきありがとぅございました。
栗田英二氏の名前を見るとあちこち小旅行したことを思い出します。
ところで愛犬を4匹も飼われた経験をお持ちなんですね。
最後にやってきた犬は元気いっぱい駆け回る奔放さの持主だったようですが、駆け落ちするとはねえ。
犬の意外性を見せつけられた思いでしょう。
餌より恋・・・・飼い犬の中に眠っている野生が甦りましたかね。
コメントありがとうございました。