アメリカフウロ
(城跡ほっつき歩記)より
白地にうっすらと紫を配し
初夏を彩るアメリカフウロ
たくさんの指を開いて風と露を呼ぶ
赤ちゃんの掌(たなごころ)は狭くて小さい
だけど本当は無限に広い
ママだけでなく犬のエルまで目を細める
アメリカ風露の花は穢れなき未来
希望をつないで世の中を浄化する
雪山でかがやくエーデルワイスのように
つぶらな瞳を向けられると世界が共振する
音叉のもとは疑うことのない信頼なのだ
いつの頃から人は暗鬼になったのだろう
そうだ赤ちゃんを大統領にしよう
分け隔てなく手を差し伸べる首相にしよう
国連事務総長の椅子も赤ちゃんが座ればいいのだ
移民も帰化植物も等しく生きることを認められている
アメリカフウロも郷に入って楚々と咲いている
手のひらをオープンし赤ちゃんのように愛され化身する
野に満ちてアメリカフウロ
どこにでもある小さな花に希望が降りる
花は赤ちゃんのように 愛は風露のように
安易な気持ちで利用させていただいておりますが、あらためて感謝申し上げます。
古城探索の旅で遠方までお出かけだったとか、季節もよくさぞ収穫があったことと存じます。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
ありがとうございました。
いつもありがとうございます。
先月末に3日ほど秋田、岩手方面へ出かけておりました失礼を申し上げました。
このアメリカフウロはアメリカと名がついているように、何処にでも見かける頑健な外来種ですが、ドクダミ、露草などの在来種に比べますと繁殖力では劣ります。
葉の形に少しだけ特徴がありますが、実際には花も淡色で花径は1cmほどと小さく、草丈も膝下まで届かないことから、初めての方の場合にはよく探さないと見つからない、目立たないことこの上ない野草です。
撮影には地面に腹ばい状態で撮影するのがベストなのですが、傍から見ればかなり怪しい人物となり果てます ^_^;
言ってみれば、空気のようなもの。
息苦しくなるような社会は困ります。
そうならないことを願っています。
まったく仰る通りで、人には10も100も人の数だけ考え方があり、それを認めながら折り合いをつけて生きていくのが人の世なのでしょうね。
今日否定される生き方が5年後には社会通念として認められるなんてことも珍しくないのですから
しかもそうなってもそれを否定する自由もある
それが私の望んでいる社会の在り方です。
増幅する憎しみ、放縦な価値観、いつからこうしたものに支配されるようになったのか。
おそらく哲学や文学が力を失ったことと関係があるように思います。
それは発信する側の問題であるだけでなく、受信する側への動機付けが疎かにされてきたせいではないでしょうか。
つまり教育の問題でもあると思います。
世の中では、勝者のみがもてはやされる傾向にあります。
子供のうちから、強者優位の価値観を植え付けられる・・・・。
それは人間の本性に根ざしているので、ある程度やむを得ないのですが、それだけで世界が成り立っているのではないことを実感する機会が失われている気がします。
昆虫や小動物とのふれあいや、生身の人間との関わりの中で、痛みや悲しみを体感する。
ゲームの世界には、それがないですからね。
特異な事件、特異な犯罪に見えて、それらを醸成する素地が広がっている。それが恐ろしい。
政治と教育は、世界の様々な現象と無縁ではない気がします。
(ちょっとしゃべりすぎました。ごめんなさい)
それが大人になるにつれて人の優劣を計る浮世の知恵を身に着けていって
悲しいかな、こ人間はこの世に不要、この人は役立つなどと区分けするようになる人も
でも赤ん坊のままでいることは許されない、花ではない人間の業から逃げきれない自分が自身の中にもちょっといたりして
辛いですね。あとは自制の意志を鍛えるしかないか