池袋の人世横丁が2008年7月末に閉鎖されることになって、 その最期を見届けようと立木は後輩を連れてスナック『ゆきちゃん』を訪れた。
終戦後の昭和26年頃に復興マーケットから移転してきた飲食業の店を中心に、長屋風に軒を連ねて翌年には人世横丁の原型が出来た。
いずれも木造の建物で、中には若干手を入れただけで現在に至っているものもあった。
もともと行政の進める街の区画整理にしたがって、線路脇などで商売していた店や屋台・行商に携わる商人なども加わってできた横丁である。
当時、東京プリズン裏の空き地だったところに商売の拠点を移したものだから、創業時には元のマーケットから客を誘導してくるなど苦労も多かったらしい。
人世横丁は、初めから組合を結成して出来上がったという経緯がある。
そうしたつながりの強さもあって、店同士が助け合いながら今日までやってきた。
しかし強固なつながりとは別に、高層建築の谷間に這いつくばる店々には、ある時期から空の重みで押しつぶされそうな危うさがあった。
昭和へのノスタルジーだけでは支えきれない現実が、ひたひたと迫っていたのである。
実際、軒を連ねる木造店舗はおおむね築五十年を超え、地震対策などの心配も顕著になってきた。
軌を同じくして、店主の高齢化も目立つようになった。
創業時から人世横丁で商売をしてきた女将の中には八十歳を超える者もいて、組合の会合などで廃業を希望する意見も出されていた。
立木行きつけのスナック『ゆきちゃん』は、創業者の娘が受け継いだ店だからまだ頑張る余地はあったが、再開発の要望が強まったのを潮時に廃業を決意した。
この路地を埋める三十数軒の店は、人世横丁という運命共同体でもあったため、いったん廃業が決まると足並みの乱れはまったくなかった。
7月末の明渡し期限を前に、順次移転や引越しを進めていったのであった。
「おお、ほとんどシャッターが下りてるじゃないか」
暮れかけた路地に足を踏み入れた立木は、あらためて眩しそうに辺りを見回した。
普段より灯りの数が減った通りはむしろ薄暗く、軒を見上げて目を細める理由はなかったにもかかわらず、無意識にそうした仕草をしたのだった。
思えば彼自身、この一画に二十数年通い続けていた。
フリーのイラスト描きになる前は、音羽に近い出版社の専属のような立場で仕事をしてきたが、そのころ先輩の編集者に連れてこられたのがこの横丁であった。
「おい、ブクロに行こうか」
いきがって地名を省略して呼ぶのは、今どきの若者と変わりなかった。
以来、仕事の打ち合わせやプライベートの付き合いの後、立木も先輩にならって相手を『ゆきちゃん』に誘うことが多かった。
この日も雑誌社の後輩を連れてきたのは、モノの終わりの息遣いを見せてやりたいという親心に似たところがあった。
人世横丁最期の日を自分の思いの中だけで完結させてしまうことに不安を感じ、無意識のうちに誰かを立会わせたかったのかもしれない。
『ゆきちゃん』には数人の先客がいた。
どの顔も見知った常連で、立木が入っていくと皆ほっとしたような表情で迎えてくれた。
「こんばんは」
「やっぱり現れたか」
常連だけに通じる誼みといったものを、最後の最後にちょっぴり顕したいという願望が覗いていた。
この男はいつもカウンターのとば口に席を占め、一品の料理とコップ一杯の冷酒に覆いかぶさるようにして時を過ごすことが多かった。
年齢は五十代後半だろうか、ときどきカラオケのラインアップにない軍歌を口ずさみ、ひとり孤高をつらぬいている。
あるいは他人には興味がないフリをして、案外人目を気にするタイプだったのかもしれない。
「やっぱり・・・・」その男の予想もしなかった一言に、立木は思わず相好を崩した。
距離がぐっと縮まったのを意識した。
「いらっしゃい」
ママのほうは普段と変わりなく淡々と客を迎えた。
長年贔屓にしてくれた感謝の思いを、言葉ではなく手元の皿の上に表した。
前々から準備していたのであろう先付けの小鉢にも、特別に腕を振るった形跡があった。
立木は、なす炒めと刻み茗荷にひと箸つけ、二月に亡くなった明神さんという渾名の男のことを口にした。
「奥さんに先に行かれて参ったんだろうけど、もうちょっと頑張って街の最期を見届けて欲しかったなあ」
「仲のいい夫婦ほど、後を追うように逝っちゃうみたいね」
ママが包丁の音を発てながらしみじみと言った。「・・・・明神さんの奥さんて、姉さん女房なんだって。再婚だったんだってよ」
奥さんが離婚したばかりで落ち込んでいた時に、学生だった明神さんが猛アタックして結婚に至ったのだと、常連でも知らない秘話を初めて明かした。
「へえ、それで仲がいいんだ。・・・・僕らは聞いたことないけど、ママには心を許していたんだなあ」
立木がうらやましそうに言った。
「明神さんのボトルまだ入ったままだけど、みんなで空けてくれない? きっと、いい供養になると思うのよ」
「おお、いいですよ。人世横丁の最期を一緒に見届けさせてやろうよ」
この日の暑さにもめげずにスーツ着用の老紳士が賛同すると、ママが沖縄の黒糖焼酎を客の前にかざした。
「ロックでもお湯割りでも、好きなやつにしていいわ」
じゃあ乾杯。明神さん青い海でまた逢いましょう。・・・・いや、空だろ? ありがとう。サンキュー!
それぞれが思い思いの言葉を口にしたが、胸中にある懐かしさは同じものだった。
ボトルはあっという間に空になり、はからずもこの夜のイベントの一つが済んだようなホッとした空気が流れた。
人世横丁の廃業に合わせて、半年前に亡くなった明神さんへの追悼を済ませると、一瞬店内を時間のよどみが支配した。
一人ひとりの客が、己の行く末にいまだ定まらない不確かなものを感じ、舌の上でその不如意さを転がしていた。
立木は自らが呼び込んだ息苦しさを振り払うように、カウンターの端にいて珍しく話題に反応していた男に声をかけた。
「いつも軍歌を唄ってくれてましたけど、僕はあの歌好きだったですよ・・・・」
相手もいつになく心を開いている感じがしたし、立木自身もこれまで踏み込むことを遠慮していたのを、歯止めが一気に外れたような気分だった。
「そうそう、軍歌なのにちっとも勇ましくなくて、むしろ寂しいような節回しがいいんだよな」
背広の老紳士が、ここでも同調した。
「あのハイ、ハイという合いの手がなんとも言えないですよね。・・・・あの歌、曲名は何というんですか」
立木が勝手に軍歌の男と名付けた壮年の常連客は、問いかけられてのろのろと顔を上げた。
「自分がテープに録ったとき、たしか『戦線愛馬の唄』と放送したように覚えておりますが・・・・」
「ほう、なるほど。道理で馬をいたわっている内容ですものね。いいなあ、僕いまリクエストしたいんですが、いいですか」
ここに集まる客は、もう二度と顔を合わせることもあるまいと思うと、要望する言葉にも力が入った。
「そう言われちゃうと・・・・」
男は一瞬ためらいの表情を見せたが、もそもそとズボンの皺を伸ばすような仕草をして立ち上がった。
♫ 昨日ぬかるみ 踏み踏み来たがヨ~
今日は越えます 山の波~
ハイ、そら、ハイ、ハイ
弾丸にゃ恐れぬ 忠義じゃ負けぬヨ~
馬も俺らも 変わりゃせぬ~
ハイ、そら、ハイ、ハイ
せめて露営の 月夜の河でヨ~
洗うてやりましょ 可愛いやつ~
ハイ、そら、ハイ、ハイ
辛抱してくれ 御国のためにヨ~
敵の陣地は まだ遠い~
ハイ、そら、ハイ、ハイ
マーチ調の軍歌と異なり、ほとんど馬子唄のような節回しで、愛馬に語りかける哀調がこの夜も立木の胸に響いた。
「いい歌だなあ、歌い手は誰なんでしょうね」
戦時中の歌にどれほど精通しているものか、立木は大した期待もせずにつぶやいた。
「ああ、自分もよくは知らなかったんですが、児玉好雄という人だそうです。正式に音楽を習った人ですが、民謡の要素も取り入れて独特の歌い方を作り上げたらしいです」
二十数年『ゆきちゃん』に通い、その間何度も同じカウンターの椅子に止まった二人の男が、人世横丁の廃業・閉店に臨んではからずも垣根を取り払ったのだった。
(好んで軍歌を唄うには、それなりに理由があるに違いない・・・・)
そう踏んだ立木は、さらに男の懐に切り込んだ。「・・・・お身内に、招集された方でもいらっしゃるんですか」
「いや、まあ。・・・・親父は直接兵隊に取られたわけではないんですが、青森の方で牧場をやっておりまして・・・・」
何年にも亘って、陸軍から軍馬の供給を要請されていたのだという。
彼の年齢から推し量ると、直接太平洋戦争や軍馬育成に携わったはずはないのだが、家族総出で牧場を営んできた末に敗戦で生活が壊滅した影響は免れなかった。
「まあ、馬の生産は戦後ほぼ北海道に移ってますからねえ」
サラブレットが主流の世の中になって、自分らの牧場はどうせ生き残れなかったと思いますが・・・・と注釈した。
「・・・・自分の家では、年の離れた姉が馬喰に引きたてられていく馬を見送ったと言っておりました」
戦争の具としての軍馬を育て、次々と斃れていく軍馬を補充するために生産向上に力を注いだ。
大人の思惑とは別に、幼い子供だった姉は馬との別れが悲しくて親に隠れて泣いたという。
ひょんなことから、寡黙だった軍歌の男がセピア色のエピソードを口にする。
最期の夜に用意された魔法が、男たちの心を経験したことのない陶酔に誘い込んでいた。
「泣いたと言えば、僕も山羊との別れで小一時間涙が止まらなかったことがある・・・・」
立木は自分の幼少時代の思い出をぼそぼそと語りだした。
隣りの席の後輩が、立木の横顔を不思議そうに見つめるのに気づいたが、制する感情はどこからも湧いてこなかった。
「疎開中のことだからね、みんな家の軒下に鶏を放したり、粗末な小屋を作って山羊を飼ったりしたのさ・・・・」
やがて子山羊が生まれると、成長するのを待って父山羊も母山羊も売られることになる。
現金収入の少ない僕の家では、一頭ずつ業者に引き渡すことにしたのだが、母山羊との別れに際して子山羊が見せた悲嘆の声に、僕の胸中は引き裂かれたのだ。
「辛かったなあ。・・・・なんにせよ別れは辛いもんだ」
軍歌の男の姉さんが、可愛がって育てた馬を送り出すときの悲しみを共通のものにしていた。
(誰でも一つは別れの悲しみを持っているはず・・・・)
スナック『ゆきちゃん』に集った客は、次々と促されるように秘めたエピソードを披露した。
池袋の夜は更けていき、横丁を介した人生劇場の幕が降ろされる時刻が迫っていた。
「名残惜しいけど、みんな元気で活躍してね」
ママの声に送られ、それぞれが人世横丁のアーチを振り返り、眩しいほどの通りへよろめき出ていった。
「先輩、明かりの点いていない提灯って、余計せつないですね」
この街の、この路地の、この横丁の終焉が、後輩の中でなにがしかの思いを醸成したことを感じ、立木もグラッとよろめいてポロシャツの肩に手を掛けた。
(おわり)
人も街も横丁もそんな心許なさを抱きながら恐る恐る歩みだしながら少しずつ力をつけていって、やがて周りに人の輪も出来それなりに輝く時代を迎えます。
しかし大抵時代とシンクロする絶頂の時代はそんなに長くつづかず、気がつかないうちにいつの間にか徐々にずれていきます。
たぶん世の中の変化が早すぎるのでしょう。
息せき切って追いつこうという気にもなりきれません。
そして周りに出来た人たちとのつながりの中で何ということもない安定がやってきます。
横丁もお店もお客も・・・そんな風にして一緒に年老いていくのでしょう。
そうやってこの短編小説がみせてくれた最後の夜がやってくる。
それはお店にとっても通い続けたお客にとってもなんて幸せなことだろう。
ここに登場する人たちみんながその一夜の短い時間を惜しむ姿からそのことが鮮明に伝わってきました。
いままで楽しませてもらってありがとうと。
その中で絶頂期はほんのわずか、あとはなんということもない均衡を保ちながら、共に終焉に向かっていくのかもしれません。
人生横丁よ、ありがとう・・・・。
共に生きた人びとの心に、いつまでも残ることでしょう。
私は、昔からある渋谷の百軒店でいつも飲んでいたのですが、池袋同様、バブル期の地上げと店主の高齢化で、私の行き付けの店も最近、店を閉じてしまい残念です。
池袋方面は、全く地理感が無いのですが、人情味豊かな池袋の人世横丁にも行ってみたかったです。
人も場所も、いつかは終焉を迎えるのですね。
渋谷の百軒店というところも、戦後の闇市から発展したのでしょうか。
それぞれの思い出の場所を連れて、人は生きていくもののようです。
コメントありがとうございました。