(壁の中)
巣鴨プリズンが解体されたとき、ある独房の壁の中から奇妙な塊が転がり出てきた。
公には報道されなかったが、それは高温の熱によって溶かされたコンクリートが、冷えて固まった状態に見えた。
普通、ブルドーザーで破砕された壁は、捻じ曲がった鉄筋を除けば、セメントと砂、砂利による組成が一目瞭然だった。
それに対し、発見された塊は内部でガラス質の粒子が滾り、流れ出たような形跡が見られた。
飴を塗りつけたような表面には、わずかながら人をほっとさせる暖色系の彩りがあった。
なぜ、コンクリートが溶けたのか。
壁の一部だけが、どうして他と違う様相を見せるのか。
独房に収監された囚人が、脱獄を図るために薬品で壁の腐食を狙ったと考える者もいた。
壁の解体に携わった業者は、上司を通じて拘置所の責任者に報告した。
あり得ないことだが、少しの疑いでもあれば検証しておく必要があるだろうと考えたからだ。
関係機関は、土木建築の権威を呼んで詳しく調査した。
「ふしぎだ」
首をひねった。「・・・・事例がない」
現在知られている化学変化では、説明のつかないもののようであった。
「割ってみよう」
東大教授でもある斯界の権威が呟いた。
「先生、最新のカッターでカットしてみませんか」
助手が教授の顔色を窺った。
「よかろう」
固い鉱物でも輪切りにできるウォーターカッターで、縦割りに切断した。
「おっ」
中心に人型の空洞があった。
「どういうことだ?」
教授が助手の顔をみた。
「わかりません」
助手は食い入るように空洞をみつめていた。
「中に閉じ込められていたガスが、何らかの理由で膨張し、逃げ場を求めた結果だろう」
代わりに教授が見解を述べた。
報告書にもそう書かれた。
カットされた現物、写真、それに最初の塊の立体画像が添えられた。
たまたま噂を聞いた教誨師が、壁から転がり出た塊を見に来た。
「この人型には、片足がない・・・・」
死刑になった戦犯の、身体的特徴とそっくりだった。
教誨師は丸坊主の死刑囚を脳裏に浮かべた。
収監後の日々、一日として途絶えることのなかった読経の声。
壁に向かって微動だにしなかったあの戦犯の横顔を。
(彼はなにを祈っていたのか・・・・)
当然、戦地で犯した残虐行為を悔い、人びとの魂に謝罪を繰り返していたものと思っていた。
(しかし、祈りが壁を溶かすほどのパワーを持つものだろうか?)
教誨師は、漠とした疑念に付きまとわれていた。
(あの男には、もっと切実な理由があったはずだ・・・・)
空洞の人型が放つ波動の粗さが気にかかった。
「懺悔の祈りなら、窓を抜け空に向かうものだ」
壁の中に閉じこもるなど、より生身に近い執念のなせる業ではないか。
死刑執行の朝、男は何の迷いも見せなかった。
立会いの教誨師など、まったく必要としない確信に包まれていた。
吊り下げられた肉体は、抜け殻のように見えた。
一見、魂の解放があったかのように。
壁の中の塊、その中心の人型。
教誨師は思った。
あの空洞は、執念が作り上げた究極の隠れ家ではなかったのか。
処刑の前に、おのれの魂を避難させ、世間に抜け殻を差し出したのではないか、と。
教誨師は、自分の力が及ばなかったことを、認めざるを得なかった。
何人の罪びとに接し、祈りの必要を説いたことか。
慈悲に縋るためにと、罪深き魂の解放をうながした場面を回想した。
一番熱心に懺悔し、祈りの高みに達したと見たあの死刑囚が、かくも異形の姿に変身していたとは・・・・。
教誨師は、断ち割られたコンクリートの塊に手を合わせた。
(一心不乱さが壁に空洞を作ったとして、彼の誤算は、巣鴨プリズンがこれほど早く壊されると予測できなかったことだ)
教誨師は、死刑囚の念を拭うべく、塊から放した両手をハンカチで何度もこすった。
辞したあと、空洞の人型について人に話すことはなかった。
跡地に商業ビルが建てられた現在、壁の中にあった塊がどこに保管されているのか、誰ひとり知る人はいない。
(おわり)
ガモジン
いやー、面白かった。
窪庭さんは新境地を開かれた・・・そんな感じを受けましたが、いかがでしょうか。
この短編が伝えてくる不思議な怖さは、人間存在の目には見えない部分の何かを「ちょっと見てよ」と目の前に突きつけられたときのような・・・。
教戒師は人型の空洞に何を見たのでしょう。
次回作も楽しみにしています。
知恵熱おやじ
結局のところ、教誨師の物の見方がいちばん正しかったような……。でも、作者は正解を示してくれないところがニクイ。
手品を使って読者をちょいとからかったように。
前段で、その年代と不思議な塊と大きさ(寸法など)を少しでも示してくれると、ありがたかったです。
(知恵熱おやじ)様、深海の底にも水の揺らぎがあると聞きました。
(丑の戯言)様、なかなかご要望に応えられなくて・・・・。
ありがとうございました。